after that 5




「何だ、また一人で飯か。お前、友達いないのか?」
「……余計なお世話です」
「お、おい、涼介」

赤城道路へ行く途中のファミレスの奥の席。
そこで一人黙々とオムライスを食べていたら、白い彗星様がこの前と同じ人を連れて現れた。
案内された席を通り過ぎ、まっすぐ近付いて来たかと思ったらお約束の台詞。
あわあわと慌てるお友達に構わず、その男はまた私の前に座った。
何が楽しいのか、目を細めて頬杖を突いて、スプーンを口に運ぶ手を休めない私を眺める。
ここは動物園か。
「向こうに行ってるぞ」とため息を吐きながら言う友達に軽く手を上げたかと思ったらそのまま腕組み。

「この前は助かった。あの和彦とか言う男にも礼を言っておいてくれ」
「別にそんな大したことしてないですよ」
「これで借りが二つ出来たな」
「そんな、借りって言ってもサーキットのはジュース奢って貰ったし、この前のだって――」

走りに付き合って貰ったのだからおあいこだ。
そう言おうと思ったんだけど、妙に気恥ずかしくなってやめた。
まあ、この彗星様に貸しがあるのも悪くないかな。なんて。
うん?って首を傾げる目の前の男の顔が見られなくて、私は最後の一口をスプーンにすくう。

「しかし、こんな所で一人で飯か?」
「……赤城に行く前にちょっと腹ごしらえです。そう言う彗星様はいつもあの男の人と一緒ですね」
「ああ、史浩とは昔なじみでね。何だ、嫉妬か?」
「全然違います」

スプーンが震えて、危うくオムライスが落ちてしまうところだった。
私はそれを急いで口に押し込んだ。
その様子をまた口の端を緩ませて眺めている。
この人、絶対私のことを猿とかペンギンだと思ってる……。

「ところで、俺にはちゃんと高橋涼介と言う名前があることは既に伝えてあるはずなんだが」
「そうでしたっけ?」
「お前がそう言うなら、俺もお前のことを弾が――」
「わーっっ」

慌てて立ち上がりその人の口を押さえようとしたら、お皿に置いたスプーンがガシャーンと大きな音を立ててしまい、それほど多くない周囲のお客さんの注目を浴びる羽目に。
私は慌てて咳払いし、お皿を下げに来た店員さんに愛想笑い。

「そう言う悪趣味な嫌がらせはどうかと思うんですけど」
「人のことは言えないと思うぜ」
「彗星って言われるの嫌なんだ?」
「正直なところ、どうでもいいんだがな。お前に真正面から言われると、多少の不快感が伴う」
「……何だか、すかした言い方」
「悪いな、これが地なんだ」

くく、と笑う高橋涼介。
その肩越しに、さっきの史浩って言う人が一人テーブルについてまったりと本を読み始めるのが目に入った。
おおよそ走り屋っぽくない人。
それを言ったら、この人もそんなに走り屋って雰囲気じゃないけど。

「そろそろ戻ってあげた方がいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな」

食事を邪魔して悪かったな、とつゆほども思っていないような口調で言って、その男は立ち上がる。
そしてテーブルの奥から紙ナプキンを一枚取ったかと思ったら「口の端にソースがついてるぜ」って笑いながらそれをヒラリと目の前に置いた。
反射的に「わざとです!」と言ったら「それはすまなかったな」とわざとらしく申し訳なさそうな顔をする。

「本当に素直じゃないな」
「他の人の前ではちゃんと素直なので安心して下さい」
「あいつらの前では、ってことか?」

あいつらって言うのが菅井さんたちのことを指しているのは分かったから、「そうですよ!」って力一杯断言した。
本当はお世辞にも素直な態度を取っているとは言えない自覚はあったんだけど。
紙ナプキンで口元を拭って顔を上げる。
すると、その人は何も言わずに口の端を歪めていた。
一瞬怯みながらも、まだ何か?ってジトリと上目遣いで見上げたら、元通りの底意地の悪い綺麗な笑顔。

「これから赤城に来るのか?」
「そうです。リベンジに」
「どっちの?」
「あなたじゃない方」
「そうか」

この前は全然そんな気もなさそうだったのにと意外だったのか、ちょっと肩を竦める。

「今日来てるかな。ま、来てなくてもとりあえず何本か走って帰ろうと思ってたからいいんだけど」
「今いる奴に確認してやろうか?」
「え!いいですよ。そこまでして貰うほどじゃない」
「それこそ、そこまで時間掛けるほどの奴じゃないだろ」

うわ、辛辣。
この人って、誰に対してもこうなんだなぁ。
思わず目を大きく見開いてしまったら、なに?って感じに怪訝な顔。
それから、ふっと、ほんの僅かに闘争心を滲ませた目を細めて、笑う。

「まあ、軽くぶち抜いて来い」

そんな簡単に行く訳ないじゃない。
この前、人のことヘボいとかショボいって言っておいて、よく言うよ。
そう言い返そうと思ったけど、その顔があまりに綺麗で――
呆けてしまいそうになってしまった自分をごまかそうと、慌てて伝票を手に取って立ち上がる。

「そんなこと言って、後から来て下品な追い抜きとかしないで下さいよ?」
「それはお前次第だな」
「あーそーですか」

そこで見せた意地の悪そうな笑みに、私は逆にほっとして。
それを呆れたため息に変えて、そこを後にした。






は、めきめき速くなっていくよなぁ」

赤城に通うようになって数ヶ月。
いつの間にか暑さが和らいで、気が付いたら秋が来て、冬になって雪が積もって。
やっと走り屋シーズン再開!と浮き足だって赤城に行ったら、既に史浩さんの車が駐車場に止まっていた。
史浩さんは正直に言って全然速くないんだけど、でも運転はすごく丁寧で、上手い。
何度か助手席に乗ったことがあるけど、変速ショックが全然なくて、荷重移動もすごくなめらかなのだ。
物腰は柔らかくって、それなのに、殺気立った走り屋たちの間に「まあまあ」って言いながら平然と入って行けちゃうし。
そう言うところ、密かに尊敬している。
今まで周囲にはいなかったタイプ。
――って、あの男も今まで見たことのないタイプではあるんだけど。

「速くないですよ。この前の雪のシーズンも走れなかったし……」

口を尖らせてそう言ったら、それは仕方ないさ、と史浩さんは苦笑い。
確かに、自業自得って言われればそれまでなんだけど、冬の間中ずーっと走行禁止って酷すぎる。
お金ないからサーキットなんかそんなに通えないし。

あの男が彗星のごとく峠に現れて、ぶいぶい言わせている理由の一つが、雪道だった。
免許を取って、車を手に入れて、とにかく毎晩ガソリンがなくなるまで走っていたらしい。雪道を。
その時の平均タイムを本人はなかなか教えてくれなかったんだけど、何とか史浩さんに聞き出したら――ちょっと目眩がして。
それなら私もやってやろうじゃないの、と繰り出したら、あっさり一週間で事故り。
いやー危うく全損になるとこだったわーなんて笑ってあの男に話したら、雪が解けるまで峠を走るのを禁止された。
車が修理から戻って来て、仕方ないからS峠に……って思ったら、赤城に出入り禁止にするぞって先に釘を刺され……。

のことが心配なんだよ、あいつも」
「心配って!もーっ、私の父親じゃないんだから」
「懲りてないって分かったら、また怒られるぞ?」
「懲りてないって、その言い方ひどいっ、史浩さん。ちゃんと反省してますよ!」
「はは。どうかなぁ」

はははーって温和に笑いながら、なにげに酷いこと言うのだ、この人は。
これくらいだからあの男とずっと付き合っていられるんだろう。
噂をすれば――で、下から上がってくる車の音にあのロータリーが混じる。

「じゃ、私、走って来ます」
「もうじき涼介が上がってくるぞ?待たないのか?」
「だからこそですよ!また何かお小言とか言われるの嫌だし」
「また小言を言われるようなことをしたのか?」
「してませんけど!」

「また」って、失礼な。いっつも私が怒られてるみたいに。
反論しようと思ったけど――何故だか怒られてる場面ばかりが頭に浮かんで諦めた。
車に乗ってエンジンのセルを回す。
後輪をちょっとだけ空転させて走り出すと、すぐ近くですれ違うFC。
さらば!って手をピッと伸ばして額に付ける。
呆れたようなあの男の顔がフロントガラス越しに見える。
私はその時の気分のまま、アクセルを全開にした。

赤城に通うようになって、そこそこの月日が経った。
雪の降ってた季節は単純に計算には入れられないだろうけど、S峠に通ってた日数と殆ど変わらないくらい。
でも、その割には高橋涼介とは喋ることはなかった。
こうやってすれ違って、そのまま家に帰っちゃうことも多い。
寧ろ、史浩さんと話すことの方が多かった。
涼介がこんな風に走るといいって言ってたぞ、とか、こんな練習するといいって話してたぞ、とか史浩さんが伝言してくれるから、あんまり本人と話す必要がないと言うか。
――ここにいると、逆にちょっと遠い存在に感じちゃうと言うか。
あんまり自分から気安く話しかけられる雰囲気じゃないんだ。
完全にカリスマ化しちゃって来てるから。

「ぎゃーっ!しまった!」

オーバーステアが出過ぎて、私は慌ててカウンタで調節する。
危ない……今のちょっと気が散って進入間違えた……。
ふう、と額の汗を拭い、反射的にバックミラーを見ると。
そこにはいつの間にか白のFCが。
げっ!また怒られる!

何でこう言う時に限って見られているんだろうか。
このままとぼけて家に帰っちゃおうかと思ったんだけど、後ろの車が嫌がらせのようにべったり貼り付いてくるので、観念して下の駐車場に停車した。

「お前は相変わらずむらっ気がすぐ運転に出るな」

ほら、早速お小言。
心の中で舌を出しながら、私はその男の方へと近寄って行く。

「久々の全開走行出来るコンディションで嬉しくなっちゃって」
「お前はもうちょっと冷静なコントロールが必要だ」

そう言って、助手席から取り出したファイルで私の頭をぽんと叩いた。
そしてそのまま高橋涼介がファイルから手を離そうとするので、私が慌ててそのファイルを掴む。
ぱらぱらとめくると、それは私向けの新練習メニューだった。

「それを三ヶ月やり込めよ」
「げ、三ヶ月!」
「仕方ないだろ、お前が冬を無駄にしたんだ」
「無駄にさせたのは誰かさんでしょ……」
「何か言ったか?」
「言ってませーん」

取り返そうとする男の手から逃れて、そのファイルを腕に抱える。
飽きっぽいお前の為にメニューを工夫してやったんだから感謝しろよ、なんて、素直に感謝しづらい台詞を吐く男。
わー、ありがとうございますーって棒読みでお礼を言ったら、頭を思い切りグシャグシャにされた。

「こういうメニューって、どうやって考えるの?」
「そうだな……猿でも分かるように、分かりやすい日本語を使うように心がけている」
「……それは、ボケですか。厭味ですか」
「ん?どの辺がだ?」

思いっきり綺麗な笑顔で見下ろしてくる。
この辺りは前っから変わらない。
くっそ、三ヶ月とは言わず一ヶ月でこなして、むちゃくちゃ速くなって、絶対そのFCを煽ってやる!
敵の作ったメニューで練習するって言うところが悔しいけど、そこは仕方がない。
一本でも多く走って帰ろうと、私はロードスター飛び乗った。
目の端に映った、女の人たちには気付かないふりをして。

週末になると、最近はよく女の人を多く見かける。
「白い彗星」の噂が広まるのと比例して、どんどん増える。
ヒールの高い靴やサンダルを履いて、露出の多い服を着て。
明らかに、運転席じゃなくて助手席に座るタイプの。
もっとも、あんな格好でここで車なんか運転してたら大変だ。
絶対あの男がブチブチ言うに決まってる。

この赤城に来るようになって暫くして、ああ言う女の人たちに一度声を掛けられたことがある。
あからさまに敵対心剥き出しで、ちょっとビックリしたのを覚えている。
今まで峠でそう言うことって経験なかったから。
菅井さんの彼女が、レースの時に私の前でやたらと菅井さんにべったべった張り付いてたのを見たことくらいはあったけど。
仲いいんだなーなんて暢気に見てたら、ばか、あれはお前に対する牽制だって和彦に呆れられた。

彼女たちの要求は、走り屋を気取って私たちの涼介さんにベタベタしないでって言う、単純なもので。
私は即答で断った。
別にべたべたするつもりはないけど、せっかく赤城に来て、何で一番速い人と話しちゃいけないんだ。
そう反論したら、あんたみたいなブスを相手にするわけないでしょって、とんちんかんな答えが返って来たんだっけ。
相手にするのもばかばかしくて、今もばかばかしいって思ってるんだけど。

「知ってる?涼介さんにはすごく美人な彼女がいるの」
「……はぁ」

その言葉自体には別に何も驚かなかったし、気にもならなかった。
だって、私は昔その彼女の「香織さん」って人を見ているんだから。
「群大の医学部なのよ?」ってまるで彼女たちが勝ち誇ったような台詞を投げつけられても、はあ、そうですかって思っただけだった。

「涼介さんも医学部なの、知ってる?高崎の大きな病院の御曹司なのよ?」
「ふーん」
「だから、あなたみたいな子が相手にされる訳ないんだからね」

だからどうしたって感じ。
全然堪えてない様子の私に、そこにいた女の人たちは随分苛々してるようだった。
逆に私の方が鼻で笑って、その時はその場を後にしたんだけど。
何でだろう。
その後に車を運転しながら、医学部だとか、病院だとか――あの「香織さん」って人の顔を思い出したら、ずっしりと来た。

表向きは、気にしないふり。
どうせ、あの女の人たちはこの峠じゃ何も出来ないのだから。
でも、どことなく、もやもやとしたままなのだ。