after that 3




「最近、のやつどうしちゃったんだ?」
仲間内でそう言われているのには気が付いていたけど、構ってられなかった。
根底から覆された自分のドライビングを立て直すのは容易でない。
走れば走るほど訳が分からなくなって来る。
目の前に、あのアホみたいなドリフトの残像がチラチラして気が散る。

「まあ、あの走りを間近で見せつけられちゃなぁ」
「スランプにもなるよなぁ」

すごかったもんなぁって、ため息をつく菅井さんと和彦。
でも、二人はあの男の本当のすごさなんて知ってるはずがない。
……なんて、本人たちには言わないけど。
あんなコースの入り口でちょっと見ただけじゃ「分かる」訳がないんだ。
分かった気になるだけで。
私は黙ったまま、二人の隣りでゴクゴクと水を飲む。

「赤城の白い彗星」の噂は瞬く間に広がって、今じゃこの群馬エリアでは知らない人はいないんじゃないかって言うくらい。
地元でバトルを仕掛けてくる車を、ばったばったとなぎ倒し、最近ではサーキットにも繰り出してコースレコードの塗り替えに勤しんでるとか。
「峠の走り屋」なのに、サーキットでも速い。
今まで持っていた私たちの走り屋への見方が、完全に打ち砕かれた。

「俺たちも、バトルしてみてぇな」
「むりむり。このでさえ勝てないんだぜ」
「昇りなら多少いけるんじゃないか?」

うそうそ。「多少」もいけないって、実は分かってるくせに。
この地元なら少しはいい勝負になるかもしれないけど、それでも技術対技術の後半セクションに入ったら菅井さんでも確実に負ける。
――いや、別に、あの男の肩を持つ訳じゃなくて、冷静に判断した結果。
菅井さんだって速い。
私より先にカートをやってて、今はFJのレースにまで出てて。
でも峠じゃ絶対あの男には敵わないよ。
なーんて、言ったら怒るだろうなぁ。

「私、もうちょっと走って来る」
「まだ走んのかよ、。なあ、お前、たまにはサーキット行ってみたら?」
「え?」

怪訝な顔をする私の前で、和彦が煙草に火を付ける。
そして一口気持ちよさそうに吸い込んで煙を吐き出した後、「気分転換にさ」と続けた。

「最近、お前煮詰まってんじゃん。たまにはサーキットでも行って自分の技術を冷静に見つめるって言うのも、いいんじゃねえの?」
「そうだな、たまにはステージ変えてみるってのも大事だよ」

毛嫌いしてないでさ、とからかうように笑う菅井さん。
「別に毛嫌いなんかしてませんよ……」と、もごもご返したけど、実際についこの前までは毛嫌いしてた。
何せ今まで嫌って言うほど通った場所だから。
でも、今は何故かそれほど嫌いじゃない。
そんなこと言っていられないと言うか、何と言うか。
なりふり構っていられないって言うか。
確かにサーキットとか行ってみるのもいいかもしれないなって、自分でもぼんやり考えていたくらいで。

「今度の日曜の朝、中上級者向けの走行会があるんだよ。上のクラスはガチだから、もういっこの方でのんびり走ってみろよ」
「のんびりて……」
「俺の知り合いって言えば、金は半額になるはずだから」

二人は用があって行けないらしく、ちょっと心細かったけど、集中して走るにはいいのかもしれない。



そんなに緊張してたつもりはないんだけど、走行会当日にすごく早起きしてしまった私は、家族が起きる前に家を出た。
まだ薄暗い空の下、サーキットは開門していたけどまだそんなに台数は来ていない。
まだ空いていた屋根付きのピットガレージに車を入れる。
荷物を下ろして、ライトにテーピングして。黙々と準備していると、ゲートの方からどこかで聞いたようなエンジン音。
一瞬眉を顰めてしまったけど、慌てて首を横に振る。
そんな偶然ある訳がない。
最近ずっとあの車のこと考えてるから、幻聴が聞こえるんだ。
――ほら、幻覚まで見えちゃってる。

ブボーッて欲求不満ぽい音を立てて現れた白いFC。
世の中には白のFCなんて腐るほど走ってるし、と心の中で呟きつつ、手を止めて起き上がりその近付いてくる運転席をじっと見る。
やっぱりそこに収まっているのがあのムカつく男だと判明するのと、その男と目が合うのと、ほぼ同時。
私は反射的に「げっ」と声を漏らし、慌ててしゃがみ込んだ。
だんだんと近付いてくるその車。
通り過ぎろ!と念じていたのに、あろうことか私の車を止めているピットガレージの前でエンジンを一吹かしして停車してしまった。

「おはよう。こんな所で会うとは思わなかったな」
「……まったくですね」
「悪いが、ピットに荷物を少し置かせて貰えないか?シートだけでも助かるんだが」
「べつに、構いませんけど」

他に行けって言いたいのを堪えて、私は笑顔を引き攣らせる。
もう既にピットガレージはどこもいっぱい。
走行台数に対して屋根付きのピットの数は限られてるから仕方ない。ここは譲り合いだ。
でも別に、私のとこじゃなくったっていいじゃない。
あれだけ失礼なことを言って来たくせに、よくもそんなフレンドリーな笑みを作れるもんである。
私は敢えてその人を気に掛けないようにして、タイヤの整備に戻る。
けど、そのFCの助手席から降りて来た人物に再び動きが止まってしまった。

「うわっ!女連れ!」

反射的に出てしまった言葉。
慌てて口に押し込め、何事もなかったかのようにトルクレンチを手に取る。

「何か言ったか?」
「いーえー、別に?」

ツールボックスをピットに運ぶ途中、わざとらしくそんな風に聞いてくる男。
私は振り返らずに、わざと踊るような高い声で返事した。
「そうか?なら、いいが」なんて、しれーっと通り過ぎる男に舌を出しつつ、チラリとFCの方を見た。
動きにくそうな靴。
動きにくそうな服。
動きにくそうな長い髪。
……綺麗な人。
サーキットのコースの方を見て、気持ちよさそうに目を細めるその顔は、同性の私も見とれるくらいの美しさ。
周りにいる男たちも、チラチラとその人を意識している。

……何よ、私がスカート履いてたら、あーだこーだ言って来たくせに。
サーキットに彼女なんて連れて来ないでよね!
思わずトルクレンチを回す手に力が入ってしまう。

「おい、あんまり乱暴に力任せにするなよ、ナットがなめちまっても知らないぜ?」
「ご忠告どうもっ。大丈夫ですから放っといて」
「可愛くないな」

可愛くなくてケッコーです!
どうせ、私はその女の人みたいな美人でもないですし!
プリプリしながら、反対側のタイヤの方へ回る。
……って、何でこんなにプリプリしてるんだろ。
いや、って言うかね。こういうタイム出しの硬派な走行会で女連れって言うのが、舐めてる感じで許せないのよっ。
サーキット毛嫌いしてた自分が何を言うかって感じだけど、敢えてそこは無視して心の中で叫ぶ。

一通り準備を終えた私がジュースを飲んでいる横で、その男はナビシートに加えてリアのシートも全部外してピットに運び込んだ。
この気合いの入れようは、この人は「ガチのクラス」の方なんだろうな。
ふん。ポルシェとかに追い回されればいいんだ。
プイッとそっぽを向きかけた時、その男が「おい」と声を掛けてきた。

「おい、お前……えーと、S峠の黒いだ――」
「ぎゃーっ!!」

私はジュースを放り投げて、そいつの所へ駆け寄った。
必死の形相の私にポカンと間抜けな顔をする男。
しゃがみ込んでいるその頭をグーで殴りたい衝動をぐっと抑える。

「ちょっと!その呼び方やめて!」
「仕方ないだろう、お前の名前を知らない」
です!!」
「ああ、なら、。悪いがツールボックスに入っているエアゲージを持って来て貰えないか」
「何で私がっ」
「もう準備が終わって暇なんだろ?」

自分の彼女使いなさいよ!
そう言い返したかったけど、何だか僻んでるみたいに聞こえそうで、我慢した。
だからって素直にエアゲージを取って来る義理なんてないんだけど。
でも何故かむかむかしながらも言うことを聞いてしまう。

「……後でジュース奢って下さいよ」

にゅっとエアゲージ突き出しながらそう言ったら「何だ、そんなものでいいのか」と軽く笑われた。
いちいち鼻につく男だわよっ。
傍に立っていた美人さんが「ごめんね、私が手伝えればいいんだけど」って言うと「香織さんはいいんだよ」なんて言って爽やかに笑う。
とんだ笑顔のバラエティだこと。

「ここは暑いだろう。あの建物の二階はエアコンが効いていて涼しいから、先に行ってて。準備が終わったら俺も行くから」
「ここにいても気を散らせるだけだもんね。分かった。向こうに行ってるわね」

ふわり、と柔らかい笑みが私にも向けられる。
「ごめんなさいね、涼介をよろしく」って言われたら、思わず「任せてください」って言ってしまいそう。
慌てて、「よろしくされたくありません」と言い返したけど。
でもたぶん既に歩き出してたあの人には聞こえてなかったんだろう。
隣りにしゃがみ込んでた人には聞こえてたみたいだけど。

「そう言わずに、よろしくされてくれ。今日は助っ人を連れて来られなかったから困ってるんだ」

とても困ってるようには見えない笑みを浮かべながら白々しくそんなことを言う。

「彼女を連れて来る代わりに置いてきたんですか、助っ人」
「逆だ。いつも一緒に来る奴の都合が悪いって言われたところに、一度来てみたいってあの人が言うんでね」
「ふーん」
「何だ、意味ありげな『ふーん』だな」
「別に。白い彗星さんも女の人には弱いんですね」
「妬いてるのか?」
「そんな訳ないでしょっ」
「はは、だよな」

身の程知らずにも、って、また心の声が聞こえちゃったわ。もしかして心が通じ合ってるのかしら。あははー。

「お前だって、男と一緒にいたじゃないか。今日は一人みたいだが」
「男と一緒に……って、菅井さんたちのこと言ってるんですか?あの人たちは走り仲間なんだから、そう言うのとは違います」
「そう言うのとは?」
「チャラチャラしてる訳じゃありません」
「俺もチャラチャラしてるつもりはないけどな。ま、大差ないことは確かだ」

大差なくない、って言い返そうと思ったけど、何だか不毛な言い合いになって来たから口を噤む。
そうして大人しくなった私にすかさず「ゼッケン貼るのを手伝ってくれ」なんて言う男。
わざと曲げて貼ろうとしたら「ジュースいらないのか?」って怖い笑顔を向けられた。
ホントに、笑顔のバラエティに富んでてすばらしいこと。





「――ほら」
「え、わっ」

ドライバーズミーティングを終えてエンジン周りの最終点検をしていると、顔の横に、ぬっとジュースが現れた。
私が好きなフルーツジュース。

「あれ。私の好きなジュースよく分かりましたね」
「ああ、一番甘ったるっこそうなヤツを選んでおいた」
「……」

感動なんてほんの一瞬。
一応お礼を言って受け取っておく。

「どうせなら、走り終わった時に欲しかったなー」
「走り終わった時にも奢ってやるよ」
「えっ?」
「その代わり、途中のエアチェックを頼む。3LAPくらいでそこに車をつけるから」
「……はいはい」

頼むぜ、とポンと肩を叩き、その人はすたすたと自分の車の方へと戻って行った。
少し離れた所で見ていた「香織さん」って言う女の人に、一瞬手を上げた後。
シャツのボタンを閉じ、白いヘルメットを被る。
完全に私のことは作業員扱いだよね。
まあ、いいですよ。いい仕事してやりますよ。エア抜くだけだけどね!

コースインを促す音が鳴る。
いかついスカイラインやポルシェに交じって、白のFCもゆっくりとコースに入って行くのが見えた。
グリップを確かめる為に左右に振られる車体。
後ろのドンガラなスカイラインに煽られちゃえばいいんだ。
口ではそう言ってみるけど、絶対そんなことありえないんだろうなぁって、頭の何処かでは思ってたりして。

最終コーナーに差し掛かって、エンジンの音がちょっと変わる。
短期決戦の他の車をやり過ごし、白のFCは徐々にペースアップ。
レーシングコース、とは言えないようなこんなサーキットでも、車の性能の差って言うのはどうしても如実に表れてしまう。
そのクラスでは決してFC−3Sって言うのは速い方には入っていない。
それにもかかわらず、その高橋涼介が乗る車は、明らかに速かった。
いや、直線とか馬鹿みたいに速い車は他に何台もいたし、アホみたいなコーナリングする車もあったし。
でも、そう言う他の、無理矢理曲げてる感じの車に対して、FCはすごく洗練されている走りに見えた。
何て言うんだろう、つなぎ、が上手いのかな。
この前の赤城でも何となくそう言うのを感じていたけど、昼間のサーキットだとそれがよく分かる。
何が速いの?ストレート?低速コーナー?高速コーナー?って聞かれたら、「ぜんぶ」って答えるしかない。
追い越しもスマートだ。
……ちょっと、私のあの時は何だったのよ。
なんて、見とれてる場合じゃない。
ピットロードに入って来るFCを見て、私は慌ててピット前に立った。

「悪いな」

運転席側の窓を開けてそう言う男の様子は、走り始める前と大して変わらない。
最初は憎まれ口の一つでも叩くつもりだったけど、そんなことすっかり忘れて、私は小さく頷くと指定された空気圧に合わせてエアを抜いた。

「オッケーだよ」
「ああ、サンキュ」
「行ってらっしゃい」

私がそう言うと、僅かに目を見開いて、それからくくと喉を鳴らして笑った。
――はっ!私ってば、何しおらしく行ってらっしゃいなんて言ってるのよ!

「コーナー遅くて突っ込まれないようにね!」
じゃないんだから、大丈夫だ」

まだ可笑しそうに笑って、窓を閉める高橋涼介。
むかーっ。やっぱりエアもっと抜いてやればよかった!






「少しはスランプ脱出できそうか?」

その人と入れ替わりに私の参加するクラスの走行が始まって、それから交互に二回。
途中の休憩ではジュースを奢って貰うどころか言葉を交わすことなく、やっと二本目のジュースが貰えたのは最後の走行を終えた後だった。
最後の枠を走らなかったFCは、リアシートもナビシートも元通りで、ピットの前に澄ました顔で止まってる。
まあ、まだ暑さの残るこの季節じゃ最初の一本しかタイム出し出来ないよね。
私は別にタイム出しに来た訳じゃないから、がっつり走ったけど。
無心になって何周もしたら、少しすっきりした。

「どうして知ってるの!?」
「いや、当てずっぽうで言ってみた」

だめだめ、ここでムカついちゃ。
この人はこう言う人なのよ。
だめだめだめ。

「と言うのは冗談だ。色々近所の峠の噂は入って来るもんでね」
「S峠のNAロードスターがスランプだ、って?」
「いや、赤城を走っている青のS−14が、S峠の下り最速を相手の地元でぶち抜いてやったとか、言い回ってたからな」
「S−14?ああ……そんなことあったかなぁ」

ここ最近悶々と走ってる時に、確かに煽られた記憶はある。
バトルする気分じゃなくて、どうでも良くって、ストレートで抜かされるに任せたんだけど。
ウィンカー出して完全に道を譲ってた訳じゃないから、ぶち抜いたって言えば、言えないこともないのかな。
まあ、どうでもいいけど。

「リベンジするつもりなら、そいつと連絡取ってやってもいいぜ?」

その気がないの分かってるだろうに、にやりと笑ってペットボトルをあおる。

「遠慮しておきマス。どうせ私はコーナリングがヘボいですし」
「何だ、まだ根に持ってるのか?しつこい女は嫌われるぜ?」

嫌われて結構です!
ギリギリと缶を握りしめて睨んだけれど、その人には全く効果ないようで相変わらず笑ってる。

「ほら、カノジョが退屈そうに待ってますよ!行ってあげたらどうですか?」
「ああ、そうだな」

……否定はしないんだ。
傍にあった屑かごにペットボトルを放り投げた男が何となく憎たらしくて、私はぐいぐいと背中を押して向こうへ追いやった。
あんたの車が出ないと私も帰れないんだからって言いながら。
もやもやとする気分をごまかしながら。

「また気が向いたら赤城に来いよ。今日の礼にレクチャーしてやらないこともないぜ」
「どうせ、また下品な追い抜きとかして来るんでしょ、遠慮しますー!」
「だからあれは不可抗力だって言ってるだろう?お前のコーナリングがしょぼ、いや、失礼」
「せっかくスランプから立ち直れそうだってのに、まだ言うか!」

手近にあった雑巾代わりのタオルを投げつけたけど、それはその男にぶつかる前に力なく地面へヒラヒラと。
はははって爽やかに笑って優雅に去って行く後ろ姿をど突きたいけど、我慢がまん。
美人な彼女さんと並ぶと、厭味なくらいサマになってて真ん中に割って入りたくなるけど、がまんがまん……。

FCのエンジンに火が入る。
くっそ、いい音。私、ロータリーエンジンの音好きなんだよな。
うっかり聞き惚れそうになったけど、開かれた窓から見えたその男の顔に何とか踏みとどまる。

「お前、速かったぜ。こう言う場所だとやっぱりお前の走りはハマるな」
「気休めはよして下さい」
「そう卑屈になるなよ、俺はお世辞は言わないぜ」

さっきの赤城の話。冗談抜きに待ってるぜ。
そう言ってFCは来る時と同じような物足りなげな音をさせて去って行った。
物足りないって言っても、あれだけのタイムを出したら車としては満足だろうな。
ライトチューンとは思えないコースレコード。
ううん、車としては、あれだけ綺麗に乗ってくれたらそれだけで満足なんじゃないかなぁ。
チャラチャラしてるとか言って、ちょっとだけ反省。
結局、本当にあの女の人は連れて来られただけで、走行会の間中全然構って貰ってなかった。
逆にその放置っぷりが、互いの信頼関係を表してるようで――少し妬けたけど。
い、いや、妬けたって、そう言う意味じゃないけどさ。

「帰ろ」

リザルトを握りしめて、助手席に放る。
和彦の言うように自分の走行を冷静に見つめ直すとか、そんな大層なことが出来た気はしないけど、でも確かに気分転換にはなった。
楽しかった。
その理由が殆どあのFCにあるなんて、あんまり認めたくないけど。
でもあの憎まれ口でプラマイゼロだよね!
そんなことを呟きながらも、アクセルを踏み込む時に口元が緩むのを抑えきれなかった。