after that 2




大学の講義も午前中だけで、バイトも早めに上がれる予定だった、その週末。
待ち合わせに間に合うようにと家を出ようと思ったら、玄関で父親に引き留められた。

「ちょっと会社まで送ってってくれ」
「ええっ!?今から?」

何でも突然職場から呼び出しが掛かったらしい。
父親の車はつい昨日車検に出したばっかりで、週末は使う予定もないから代車はいりませんとか言っちゃったとか。
だから言わんこっちゃない。

「急いで来てくれって言われちゃったんだよ」
「代車借りとけばよかったのに。タクシー呼べば?」
「タクシーよりお前のロードスターの方が速いだろ。何だよ、デートなのか?その割には色気のない格好だな」

デートって言うのは、もっとこう、清楚な格好でだな――と暴走し始めた父親の言葉を「わかった!わかったよ!」と遮る。
ほんと、この人って何なんだろう。
娘のことを男だらけのモータースポーツの世界に放り出しておきながら、「女の子」ってものに妙な幻想を抱いているんだから困る。
おかげで普段の生活では男みたいな格好すると、すっごく悲しげな顔をするのだ。
勝手なんだから。

「……もう。車のキー取ってくるから先にガレージ行ってて」
「悪いな」

の車に乗るのは久しぶりだなぁって、鼻息交じりに靴を履く父親。
……本当に会社呼び出されたんでしょうね。
とりあえずガソリン満タンの約束を取り付け、自分の部屋に戻る。
そうだ、ちょっと遅れるって菅井さんに言っとかなくっちゃ。
車のキーを取り、階段を降りながら菅井さんの携帯に連絡。
そうしたら、あっさりと突き放された。

「それなら、お前自分の車で真っ直ぐ赤城向かえよ」
「えーっ!?」
「だって、親父さん送って戻って来て、また駅向かってって、面倒くせぇじゃん。俺ら、もう待ち合わせ場所にいるし。先行ってっからさ」
「は、はくじょーものー!」
「向こう着いたら連絡しろよ。あ、面倒になってドタキャンとかしたら、どうなるか分かってんだろうな。じゃあな!」

ブツッと余韻も何も無く切れる携帯。
さり気なく脅しかけられたような気がするけど。気のせいかな。

「……」

もう一度電話してみたけど、出やしない。
玄関を出ると、私の車のドアミラーをキュッキュと拭いてる父親の後ろ姿。
ガソリン満タンだけじゃ足りないよ、もー!
父親の背中をど突きたい衝動を抑えつつ、私はガレージへと走った。




結局、エンジンオイルも2本付けることを条件に、超特急で父親を会社まで送った私は、気が進まないながらもそのまま赤城に向かった。
変な脅しは抜きにしても、やっぱりドタキャンしたとか言われるのは悔しいし。
それに、あの菅井さんって温厚そうな外見の割に、案外喧嘩っ早いから油断は禁物だ。
さすがに女の子相手に手は上げないと思うけど、私のことを女の子だと認識しているかも怪しいからな。

赤城の大鳥居を越え、峠道に差し掛かる。
それっぽいエンジン音がちらほらと。
やっぱり混んでるのかなぁ、あの二人どの辺にいるんだろ。
所々に立っている人影を確認しながら昇って行くけど、暗がりで全然分からない。

仕方ない、とりあえず上まで行ってから携帯に連絡してみよう。
そう思ってアクセルをグンと踏み込んだ時、後ろからもの凄い勢いで車のヘッドライトが近付いてきた。
うわ、まずい!
道を譲ろうと思ったんだけど、そこは道幅もそんな広くなく、コーナー目前の間の悪い位置。
確かここを抜けると少しは広いはずだから、そこまではこのまま行ってしまおうと、コーナーへ突っ込んだ。
本気とか全開とかではないけど、それなりに頑張って、突っ込んだ。つもり。
けど、ブレーキングの途中で隣りに気配を感じて。
ふいと横を向いたらさっき後ろにあったはずのヘッドライトが、むっちゃ真横。

「わーっ!」

ちょっと!真横ってナニ!
いきなり外側から来て、その道幅でドリフトって何なのよ!!

口をあんぐり開き切る間もなく、真横にあったヘッドライトがテールランプに代わり、それも気が付けば自分の目の前に。
気持ちよさげなロータリーサウンドを響かせながら、丸いテールランプが次のコーナーに消えて行く。
……ん?ロータリーサウンド?
今の、FC?白かった?

「いや、まさかねー」

あははーって一人車の中で渇いた笑い。
けど、頂上の駐車場に着いて、菅井さんの車より先にそれを見つけて、ぎゃっ!って思わず叫んでしまった。
ライトが点いたまま、エンジンもかかったままそこにいる白のFC。
さっきの、絶対こいつだわ。
あんな下品な追い抜きしておきながら、上品そうに取り澄ました顔がむかつく!

車を降りて、思い切りそのFCを睨む。
そしてふいと視線を上に向けると、そのFCの脇に立っていた男の人が、じっとこっちを見ていた。
やばっ、睨んでたの気が付かれたかな。
慌てて視線を逸らし、菅井さんたちを探すべく駐車場内を見渡す。
見つからなかったら速攻携帯に電話しようとポケットをごそごそ漁りながら。
こんな所にいる訳ないよね、きっと通り過ぎちゃったよね、といないことを期待しながら。

でも、その期待はあっさりと裏切られた。
裏切られたどころか――菅井さんの車が、FCの奥にある。
この際ドタキャンしたと思われてもいいから……帰ろうかな。
そんな弱気な考えが頭をよぎる。

いや。いやいや、別に私悪いことしてない。
寧ろ、あのFCの方が下品な感じだし!
必死に自分を言い聞かせ、拳をぐっと握る。
そして意を決して深呼吸し、菅井さんの車の方へ近付いていった。
思いっきりFCを避けて大回りに。
あからさまに避けて。

――どう見ても避けてるって分かるだろうに、何故だろう、その人は真っ直ぐ私の方に向かって歩いて来た。
ちょっと、空気読みなさいよ。何の用よ?と警戒心バリバリのまま、無言で睨みながら、じりじりと横歩き。

「さっきは、すまなかったな」

睨んだままの私に動じることなく、その人は口元を緩ませてそう言って来た。
あら、何だ、一応すまないって言う自覚はあるんだ。
こちらこそ、と言おう思って肩の力を抜きかけた瞬間、頭上から降ってきた言葉。

「あまりに遅くて、ケツに突っ込みそうになったから、やむを得なかったんだ」
「はいぃ?」

反射的に変な声が出てしまって、慌てて咳払い。
え?今、何か、爽やかな笑顔で、さらっとムカつくこと言いませんでした?
気のせいかしら?
私は内心汗をかきながら、同じように笑顔を返してみる。

「あの、今、何て?」
「ここは初めて?」
「え?」

それはつまり、超ド初心者で遅すぎるんだよと、言いたいのかしら、この人は。
笑顔が引き攣りかける。

「気をつけた方がいいぜ」
「は……は、は、ご忠告どうも」

分かればいいとばかりに、目を細めて笑う男。
車も車なら、ドライバーもドライバーだ!上品そうな顔してー!!
私はどうしても何か言い返したくなって、無理矢理笑顔を張り付かせながら、口を開いた。

「でも、ベテランな方なら、もうちょっと先までやり過ごしても良かったんじゃないかしらー?」
「ああ、俺もそのつもりだったんだが、ブレーキングがあまりにもヘボ……失礼、早すぎて追突するかと思ってね、仕方なかったんだ、許して欲しい」

ぜ、ぜんっぜん、許して欲しいなんて思ってないでしょ!!!
て言うか、寧ろ私の方が謝れとか思ってるでしょ!!
今、この人、私のブレーキングがヘボいって言ったわよ、ちょっと!
むかつく、ムカつく、ムカツクー!!
私は笑顔を完全に取っ払い、そいつを思いっきり睨み付けた。

「あのねぇ!こっちは非力なNAのロードスターなんだから、昇りは多少スピードダウンしてもしょうがないでしょっ」
「ふぅん?」

腕を組みながら、口元の笑みを消すどころか、更に笑みを深くする男。
昇りのせいだと本気で思ってるのかよ、って心の声が聞こえてくる。
こ、こんな屈辱、カート始めた頃以来だ!
怒りで肩が震えそう。
でも、ここでこれ以上ぎゃんぎゃん騒いでも、ただの煩い下手くそな女にしかならない。
走りで思い知らせるしかない。
そう必死で自分に言い聞かせている私に向かって、更にその男は追い打ちを掛けてきた。

「そう言う格好は、あまり走りに向かないぜ。ま、事故らない自信があるのは結構だが」

それは、私のスカートの短さについて言ってるんだと分かった。
知ってます!!
知ってますよ、そんなこと、あんたに言われなくたって!
今日はギャラリーに来たんだし、もともと自分じゃ運転しない予定だったんだからっ。
しかもそのギャラリーの目的がこの目の前の男だなんて、悔しすぎる。
……いやいやいや、人違いかもしれないよ。
この人はただの下品なドリフト小僧で、白い彗星って言うのは別にいるかもしれない。
あの、速攻視界から消えたテールランプを思い出さないようにしながら、心の中でそう呟く。

「あの、ちょっと、念のため聞いていいでしょうか」
「何だ?」
「まさかと思うけど、あなたが『白い彗星』って人じゃないですよね」

何だそれは、とばかりに眉を顰める目の前の男。
あーよかった、別人か。
ちょっと救われた気分になった私に向かって、その人は腕を組んだまま続けた。

「俺の名前は高橋だ。高橋涼介」
「げーっ」

最悪だ。
頭を抱えかけた時、背後から「ー!」と名前を呼ぶ声。
その二人は車の方じゃなくて、道路の方から現れた。
そっか、冷静に考えればそうだ、車置いてコースの方にギャラリーしに行ってるよね。
最初からそっちに向かってれば、この男にこんなムカつくこと言われることなかったのに。
自分の判断を悔やみながら、菅井さんと和彦の方へ走って行く。とにかくこの場から去りたい。
そう思ったのに、その男が菅井さんを見た後、自分の背後にあった菅井さんの車にチラッと視線を向けて「S峠の菅井?」と言う声に、つい足を止めてしまった。

「何だよ、俺のこと知ってんの?あんたが?」

予想外のことに菅井さんも驚いて足を止める。
「S峠にある、カート上がりばかり集まったチームと言うのは、この辺でも結構有名だからな」と私に対する時とは明らかに違う笑み。
そしてその後、ふと何かに気付いたように私のロードスターに視線を向けた。

「そうか……じゃあ、お前は、S峠の黒い弾が――」
「わーっ!!」

菅井さんたちの方に向かいかけた足を慌ててその男の方に戻し、そいつの口を押さえようとする。
ひょいとかわされたけど、何とか最後まで言われるのは阻止出来た。
危ない……。
そのあだ名、死ぬほど恥ずかしいから地元では完全に禁句なのにっ。

「ふぅん、弾丸、ね」
「ぎゃーっっ」

禁句なのにっ!
しかもまた「こんな遅い弾丸があるかよ」って心の声が聞こえちゃってる!

「言い得て妙だな」
「え?」
「どこに飛んでいくか分からな……いや、失礼」
「ほんっと、失礼なんですけど!」

何なんだ、この人。
私が何したって言うのよ?
いや、遅いって言うのか。
じゃあ、自分はどんだけ速いって言うのよ?

「すっごく不愉快!和彦!あっち行こっ」
「え?あ、ああ」

くく、って喉を鳴らして笑うその男の横顔が視界の端に映ったけど、完全無視で和彦の腕を引っ張る。
「何だ、何だ、荒れてるなぁ」なんて暢気な声を出しながら菅井さんも後からついて来た。
そりゃ、荒れもしますって。

「何なの、あの人。すっごく感じ悪いんだけど!」
「そうかぁ?」
「ああ言うのに限って、走りはたいしたことなかったりするんだよね!」

ぷりぷりと口を尖らせて言った私の台詞に、二人は顔を見合わせる。
そして、ちょっとの間の後、えらく真面目そうな顔をして二人で首を横に振った。

「いや、ありゃ、本物だよ」
「ええっ?」
「ちょっと次元違うぜ、あいつ」

今まで峠で一度もそんな台詞を吐いたことなかったのに。
二人は冗談を言う風でもなく、数日前とは打って変わって真剣な顔。

「あれだけピーキーな車を、よくコントロールしてるよな」
「そうそう。ただ速いだけじゃない。あいつ、かなり上手い」
「ええっ、二人ともどうしちゃったのー?」
「いや、マジで。お前も見といた方がいいぜ」

ここに来る前はあんなにふざけた感じだったのに、今じゃ、少し離れた場所にあるFCに熱い視線を向けちゃっている。
ちょっと、本当にどうしちゃったのよ?
そんなにインパクトあったんだろうか。
ガラリと全てが変わっちゃうくらいに?
あんなムカつくのに?
もやもやとした気分のまま、私もFCの方を見る。
あの男は近くにいた人と二言三言言葉を交わした後、それに乗り込んだ。
……見てやろうじゃないの。

「私、ちょっと行って来る!」
「えっ、おい、!行くってどこ行くんだよ?」
「見に行ってくるの!」

猛然と自分の車へとダッシュする私の背後から、二人の声が追いかけてくる。

「ばか、やめとけ!」
「お前にはついて行けねぇよ、一瞬で置いてかれるぜ?」

二人とも散々人のこと「下り最速」とか囃しておきながらそんなこと言うなんて。
そりゃあFCにずっとついて行けるとは思ってないけど、一瞬ってことはないでしょう?
下りなら、さっきみたいなことにはさせないんだから。
私に気付いたあの男が、車のドアを閉める瞬間に、こっちを見てふっと笑う。
まさかその遅さでついて来ようなんて、本気で思ってないよな?
再び心の声が聞こえた気がして、私は心の中で歯ぎしり。
今度は私の方が後ろからつついてやるんだから!

何も知らないって怖い。
後でそう思うんだけど、この時はもう腹が立って腹が立って、とにかく車に飛び乗った。
エンジンのセルを回す。
クラッチを切ったまま、アクセルペダルを二回、底まで踏みつける。
その人は私の準備が出来るまでわざと待ってるなって何となく気が付いたけど敢えて気付かないふりをして、ゆっくりコースに出たFCを急いで追いかけた。
本当ならコースを出てすぐの短い直線でもFCがアクセルべた踏みすれば確実に置いて行かれるはずなのに、大して差が開かない。
気が付かないふりなんて、もう出来る訳がない。あのFC、わざわざこっちが来るの待ってる。
ほんと、感じ悪いー!

「そこで手を抜いたこと、後悔させてやる!」

直後に後悔することになったのは、私の方だったんだけど。





――かっこ悪すぎる。

あっさりとスピンした私は、ステアリングに突っ伏したい気持ちを堪えて車を脇にどけた。
あの二人が言うように一瞬では離されなかった。
あいつが私のスピードに合わせてたから。
悔しいけど、そんな状況でも私の方はいっぱいいっぱい。
コースをよく知らないからとか、非力だからとか、そんなことは言い訳にならないことは2コーナー抜けるくらいで、嫌ってほど思い知らされた。
次元が違う。確かにその通りで。
前を走るFCは、あり得ない走りをした。
いや、理論上は可能な動きなはずなんだけど、実際のハコ車ではそこまでは無理だろーって思ってたものを、目の前で見せつけられた。

カートじゃないんだからさ。

私も、皆も、よく使ってた言葉。
それがただの甘えだったってことに今の今まで気付かなかった。
あの男が本気になった瞬間――って言っても完全に本気になっていたのかは怪しいけど――私はあっけなく引き離されて、強引に追いつこうと思って、突っ込みすぎて豪快にスピン。
別に、自分がそんなに速いとは思ってなかったけどさ。
……ううん。ううん、思ってたかも。
下り最速って言われて、そんなことないですっていつも否定してたけど、どこかで調子乗ってたかも。
全然、速くない。
て言うか、下手くそだ。

携帯が鳴る。
心配して掛けて来た和彦だった。
どこかでスピンでもしたんじゃないかって……よくお分かりで。

「ごめん、和彦。私もう帰る。完全に自信喪失」

心中お察ししますって感じなのか、和彦は「気を付けて帰れよ」と言ってあっさり通話を切ってくれた。
あーあ、来なきゃよかった。
……来なきゃよかった?
ううん、違う。たぶん、来てよかったんだろうけど。
あの男に感謝するとか、死んでも嫌だ。

あまり楽しいって思ったことはないけど、それでも10年走ってたって言うプライドは多少ある。
あんなの見せつけられて、大人しく引き下がる訳にはいかない。

「……今日は、たまたまだよ」

たまたまじゃないのは、分かりすぎるくらいに分かっていたけど、そう呟かなきゃやってられない。
私は再び走り出し、まっすぐS峠に向かった。