after that 8




――天罰が、下ったんだなと思った。


それが直接自分自身にではなくて、彼女に行くという辺りが、神様もよくお分かりだ。
どうすれば、俺に一番堪えるのか。

「――勘弁してくれよ、アニキ」

FCのナビシートで、息を切らしながら前に突っ伏す弟の姿。
全開走行を終えた俺は、冷静にその横顔を眺めながら――あの夜のことを思い出していた。



天罰が下ったんだろうなと思った。
香織さんがいながら――あまりにも、楽しかったから。

カート上がりばかりが集まったチームがあると言うのは、少し前から聞いていたが、特別興味は無かった。
別にこの峠の走り屋の世界で、カートの経験値なんて言うものはさして役に立たない。
未経験者よりは少しだけ基本的な知識と技術がある。
その程度だと思っていたから。
事実、以前ふらりと訪れたS峠で見た、最速チームのリーダーという男の走りは大したことがなくてガッカリした。
その先を目指すことを諦めた走り――とでも言おうか。
まだその男は現役だと言っていたから、峠ではその程度なのかもしれない。

そこには下り最速と噂された女もいた。
これも、正直大したことなかった。
上手いことは上手いが、お世辞にも速いとは言えない。
けれど――楽しそうに走る姿が、妙に印象に残っていた。

赤城で初めてそれを見た時は、まさかあのS峠のロードスターだとは気付かなかった。
しかし目の前を走り去る姿は、どことなく印象的で、史浩との話もそこそこにFCに乗り込み、後を追った。
後ろから見ると、上手いな、と思った。
上手いな――と言うか、これからいくらでも上手くなりそうな、何となく期待させる走りだった。
コーナーでぶち抜いたのは、ちょっとした悪戯心だ。
普段そんなことはしないんだが、何故だかその後ろ姿を見ていたら、からかいたくなった。
きっとどんな手段であれ、自分自身のことをそいつに印象づけたかったんだろう。
そいつが自分にとってそうだったように。
後で、そう分析した。

遅れて駐車場に現れたそいつは、車以上にからかい甲斐がありそうなヤツで。
俺の車を親の敵のような目で睨み付けながら、あからさまに避けて通って行こうとする。
気が付いたら、足が動いていた。
心にもないことを言って、そいつが俺を睨んでくるのが、楽しくてしょうがなかった。
本当にお前が下手くそだったら、外から被せて行くわけないだろう。
しかも不安定なドリフトで。
少しでもお前が膨らんできたらもうアウトだ。
それくらい、気が付けよ。

下りで追いかけてくるそいつを、またからかって。
次の日も挑戦に来るかなと思ったら、現れなくて。
それなら次の日は来るだろうかと思ったら、やはり来なくて。
思った以上に落胆している自分に気が付いて、笑えた。

次に会えたのが、香織さんを連れて行ったサーキットだと言うのが皮肉だ。
香織さんに彼女を会わせたくない。
一瞬、そんな風にも思ったが、またそいつをからかえると言う誘惑に負けた。
「女連れ」であることに多少腹が立っていたようだが、妬いている様子はなかった。
寧ろ香織さんの方が、帰りに「少し妬けちゃった」と言ったくらいだった。

真面目なヤツで、一旦走り始めれば、俺のことにも、ましてや香織さんのことにも目もくれず。
俺が赤城でかまった後も、地元で黙々と練習していたことは、すぐに理解した。

「他の人の前ではちゃんと素直なので安心して下さい」
「あいつらの前では、ってことか?」
「そうですよ!」

ファミレスで会った時、俺は自分でしかけた罠にまんまとはまった。
予想通りの会話の流れ。
それを自ら作り出して己を抑制するつもりが――薄暗い何かに飲み込まれそうになった。
やばいな、と気付いていた。
気付いていたにもかかわらず、何も出来なかった。
いや、何もしたくなかった。
お前が赤城に通うようになって、どうしようもなく、楽しかったから。

ギャラリーに来ていた女たちに何を言われても、全然負けていなくて。
でも、そのせいで、少しは縮まったかと思った距離がまた開いて。
お前は史浩のことはすんなりと「史浩さん」って呼んだくせに、俺のことはフルネームか、酷いときは「あの男」とか「あの人」とか。
密かにムカついてたんだが、そんな距離があった分、たまに話が出来ると妙に気分が浮ついた。
中高生の恋愛でも、今はこんなんじゃないだろう。
自分で自分に呆れた。
――いや、これは「恋愛」じゃない。
慌てて自分の考えを訂正するところが滑稽だ。


そう、恋愛じゃない。
そんなもんじゃない。


香織さんは大人と子供がないまぜになったような、魅力的な人だった。
けど、あいつは、ただのガキだ。
俺の傍をちょろちょろ走り回りながら、決して掴まらない。

天罰が俺に直接下ったなら、喜んでこの命を差し出したのに。
香織さんを愛したままで。
この奥底にあった何かを閉じ込めたままで。

「――帰りましょう」

どこに?
どこに帰るって言うんだ、

何でお前がここに来るんだ。
どうして、お前が泣くんだ。
どうして――お前の体温を、俺に与えるんだ。

死にたくない。
お前と――生きたい。
俺の決心を忽ちのうちに覆させる。

同情するなら、それでもいい。
傷を舐め合おうって言うなら、それでも構わない。

「高橋――涼介って、えっちの時も性格悪いんですね」

それはお前のせいだ、
そんなはったりでもかましてないと、俺の理性が吹っ飛ぶ。
お前をめちゃくちゃにしたくなる。

最後まで、俺の下の名前だけを呼ばなかったお前。
それがお前の最後の抵抗だったのか。

「じゃあね、高橋涼介」
「ああ――じゃあな、

雪解けが訪れても、お前はたぶんもう赤城には来ない。
それはあの時に勘づいていたが、さすがに神奈川まで行ってしまったのは、ちょっと予想外だったか。
――いや、お前ならそれくらいやるか。


「啓介――お前もこっちに来い」


それなら、俺もお前から離れて、この理論を完成させる。
弟も道連れにして。