after that 4




気が向いたら赤城に来いと言う話。
忘れた訳じゃないけど、と言うよりも寧ろずっと忘れられなかったけど、赤城には行かないでS峠でずっと走り込んでいた。
自分のホームコースを満足に走れないようじゃ、他の峠行っても速く走れる訳ない。
ましてや、あの男のいる峠なんて!
とにかくビックリするくらい速くなってあのFCのお尻をつつくくらいになってから行く!

日が経てば経つほど、あの男が伝説化して行っちゃって焦るけど。
でもここは焦れたら負けだ。
コツコツ練習して、蝶が羽ばたくみたいに花開く!
そんなことを夢見ながら地道に走り込み。
チームの仲間の走りだけじゃなくて、他の走り屋の車も追いかけて研究してみたり。
色々ドラテクの本読んだり、DVD見たりもした。
そんなもの、カート時代に腐るほど勉強したから〜なんて、逃げたりしないで。
どうだろう。少しは上手くなってるのかな。
まだ、ビックリするような手応えを感じることは出来なくて、赤城に行くことは躊躇したまま。

が相手してくんなくて、つまんねーなー」

最近は峠に現れると必ず一回はそう言わないと気が済まないらしい。
菅井さんが自分の車のボンネットに「あーあ」って言いながら寝そべる。

「相手してなくないじゃないですか。この前だって一緒に走ったじゃない」
「えー?あれはただお前が俺の後ろをずーーーっと走ってただけじゃねぇか。仕掛けてくる訳でもなく、ストーカーみたいに」
「変な例えはやめて下さい」
「俺の走りなんて、今までだって散々見てんだから、別にいいじゃん」

確かにもう何十回も、下手すれば何百回も見てる。
だから――やっぱりマンネリなのかな。
下りでもついて行くのは結構きついけど、ビリビリ痺れるような感覚はないもんな。
あの白い車の時みたいに。

どんどん記憶が廃れていって、逆に美化されて行っちゃってるのかもしれない。
そんな風に思わなくもないけど、すぐに、そんなはずないって思い直す。
無意識に、ため息。

「――お前、赤城行って来たら?」
「えっ!?」
「何、顔赤くしてんだよ?まあ、いいけど。お前、赤城行きたいんだろ?行ってくりゃいいじゃん」
「そう簡単に言うけど……」
「今のお前なら楽勝だって。あんなS−14」
「……は?」
「この前は油断してたかもしんねぇけどさ。今のお前なら全然余裕だろ?相手の地元でもさ」
「はぁ」

どうやら、菅井さんは何か勘違いをしているらしい。
一瞬動揺して損した。
い、いや、動揺なんて、してないけど。

「お前も根に持つよな〜」
「いや、そう言う訳じゃ……」

否定しようと思ったけど、確かに別の物を根に持ってるからハッキリ言い切れなかった。

「菅井さんから見ても、少しは速くなってると思います?」
「ああ、全然速くなってるよ。昔はコーナーとは言えないような、うねった場所とか、だらっと走ることがあったけどさ、最近はそう言うのもなくなって来たし」
「だ、だらっと?」
「そうだよ、気が付いてなかった?ラインとか適当でさ」
「そそそそうでした?そ、そう言うことはもうちょっと早めにアドバイスしてくれても良くないですか?」
「ああ、悪い、悪い。それでもお前、速かったしさ。ま、そんな熱くなんなって」
「……はぁ」

ぽんぽんと肩を叩かれる。
それが妙にじんわり痛くて――寂しく感じた。
アドバイスしてくれなかったことがって言うより――何て言うか――何だろう?
私、熱くなってるかな?なってるよね?
走るたびに目の前をチラつくあの丸いテールランプ。
いつもはあんなにむかむかするのに、何故だか今は妙に懐かしく感じて、涙が出そうだ。






「やっぱり、下に止まっていたのはお前の車か」

ファミレスの四人席を一人で陣取って、パスタをくるくるとフォークに巻き付けていた私の頭上から降ってきた声。
誰かチームの連中かなぁとフォークを口に突っ込みながら顔を上げると、そこに立っていたのは、あの白い彗星様だった。
パスタが危うく変な所に入りかけて、ゴフッと咽せる。
おいおい大丈夫かよ、と背中をさすって来たその男は、クスクスと楽しげに笑っていた。

「相変わらず色気の『い』の字もないな」
「そんなもん、あるだけ鬱陶しいだけです」
「そう言う台詞は一度でも手に入れてから口にするもんだぜ?」

彗星様の後ろからやって来た男の人が「向こうに行ってるぜ」と奥の方へと進んで行く。
その後ろ姿がテーブルにつくのを見届けた後、私はまだそこに立っていた男に冷たい視線を送った。

「今日は彼女連れじゃないんですね」
「峠に女は連れて来ない主義なんだ」
「ふーん。サーキットには連れて来るのに」
「昼間のサーキットは、いくらでも一人でいられる場所はあるからな。夜の峠だとそう言う訳にも行かない。――まあ、あの時も例外と言えば、例外だ」
「へえ」

お優しいことでー。
つい数日前に「懐かしくなった」とか言ってた車の持ち主が現れたって言うのに、嬉しいどころかムカつくばかり。
でも、最初に憎たらしいことを言って来たのは、向こうの方だもんね!
私は気にせずにまたパスタをフォークに巻き付ける。
目の前のソファに身体を滑り込ませて来た時は一瞬ぎょっとしたけど、気にしないふりをしてモグモグ。

「こんな時間に女が一人寂しくファミレスで飯か?」
「あらー、一応女だって認識してるんですか」
「一応な。で、仲間に置いて行かれたのか?」
「ち、が、い、ま、す!走ってたら猛烈にお腹が空いて来たから、休憩がてら一人で来たんです!」

仲間を誘って来るとだらだら時間が過ぎちゃって面倒だし……って、この人絶対信じてない。
肩を揺らして声を出さずに笑ってる。

「だから、別に寂しくないんで」
「うん?」
「さっさとお友達の所に行っちゃっていいですよ?」

何のことだ?って首を傾げて、それから、ああ、って気が付いたように少し目を大きく開いた。

「お前が寂しいだろうからここに座ったと思ってるのか?悪いがそこまで気の回る男じゃなくてね」
「……そうでしょうとも」
「S峠に行こうと思ったんだが、今日は菅井は来ているのか聞こうと思っただけだ」
「……それはそれは」

パスタを食べ終えた私は、一気にコップの水を飲み干す。
目の前の人は特に苛々する様子もなく、そんな私をじっと観察していた。
珍獣か。

「菅井さんに何か用事でも?」
「あいつのチームがS峠最速なんだろ」
「バトルでも申し込む気ですか?」
「いや、そこまでは考えていない。向こうから申し込まれたら話は別だが。タイムトライアルをさせて貰おうと思ってね、一応挨拶ぐらいはしておこうかと思っただけだ」
「ふーん」

バトルをするだけ時間の無駄とでも思ってるのかもしれない。
私のことなんか眼中にないみたいだし。
そりゃそうだろうけど。
……卑屈な気分でコップを手に取ったけど、そこにはもうお情け程度の氷しか残っていない。

「何だ、貰ってやろうか?」
「だ、大丈夫です!」

店員さんを呼びかけた男を慌てて制止。
そして「この週末は来ませんよ」とだけ素っ気なく返した。

「そうなのか」
「関西の方でレースがあるんです、来週。で、その調整で忙しくて顔出せないって言ってました」

思案顔で顎に手をやる。
ちょっと眉根を寄せて窓の方に視線を向ける様子に、危うくぼーっと見とれそうになって、慌てて目を逸らした。
そして結局私は空のコップを弄ぶ。

「別に、S峠って基本的に妙な連中はいないし。菅井さんがいなくっても、私が他のチームの人たちにも伝えときます」
「お前が?」
「まあ、私って言うか、和彦がいれば大丈夫ですよ。明日?それとも来週末?」
「和彦――ああ、あのもう一人の男か」

記憶を手繰り寄せているのか一瞬目を細めて、テーブルに指をトン、と置く。
コップを弄ぶのにも飽きたから、その細くて長い指をじっと見た。
目の前の人は別にそんなこと気にしない風だったし。

「じゃあ、頼めるか?出来れば早い方がいい。今日でもいいくらいなんだが」
「いいよ、分かった。じゃあ、さっきの人とゆっくりお茶してから来てよ。その間に話つけとくから」
「頼もしいな」

ほんの少し、相変わらずのからかい口調だったけど、でもその割にはいつもほど不快な感じじゃなくて。
私は肩だけ竦めて見せた。





赤城の白い彗星がやって来る、と言って回る手間もなく、和彦たちの所に戻って一言伝えただけで、あっという間に広まった。
タイムトライアルする間だけでもコースを空けてあげたいんだけどって言ったら、峠からスキール音とエンジン音が消え去った。
皆、気が早い!
それだけ期待が大きいって言う証拠なんだろうけど。
あの高橋涼介がここを本気で走ったら、どれくらいのタイムが出てしまうのか。
知りたいような、知りたくないような。
きっと、いや確実に、地元の皆はプライド傷つけられるだろうから。

「前にあんなメタクソ言われたのに、コース空けてやれなんて、随分優しいじゃん」
「そんなんじゃないけど。こんなところで意地悪してもしょうがないじゃん。それに私が言わなくっても、皆自然にコース空けてたよ」

和彦が煙草を咥えながらからかうように言う。
何だかんだ言ってこの峠に集まるのは純粋に車とか峠が好きな人たちばかりだから、こういうイベントは邪魔しようって言う発想がないみたいだ。
まあ、そんなメジャーな峠でもないし、あんまり人も多くないから統制取りやすいんだろうなぁとも思う。
その点赤城とかは色んな人が来て大変そうだ。
と、あの男を感心しかけて、赤城での嫌な記憶が蘇ってしまった。
なに怖い顔してんだよ、って肩をすぼめる和彦の携帯がピリリって鳴る。
それは白のFCが昇って来るって言う、下からの連絡だった。

「いよいよお出ましか」
「……ねえ、和彦。お願いがあるんだけど」
「何だよ」
「私、あの男とバトルしたいんだけど」
「はぁ!?」

ぽろっと地面に落ちる煙草。
勿体ねぇ!って慌てても後の祭り。
そんなに驚くことないじゃんって口を尖らせたけど、まあ、勝てるはずもないバトルを仕掛けるなんて和彦たちからは信じられないよね。

「勝算はあるのかよ?」

あるはずもないのにそう聞いてくる。
私は素直に首を横に振った。

「やめとけって。この前のS−14クラスなら負けないだろうけどさ、いくらあの高橋涼介相手だって、ここで無駄な黒星付ける必要ねーじゃん」
「……そう言うことじゃないんだよ」
「お前さ、この前のは確かにバトルじゃないってのは仲間の中じゃ分かってるけど、一応一敗ってことになっちまってるんだぜ?『下り最速』が地元で二連敗って、マジでやばいって」
「下り最速とか、そんなのどうでもいいよ。そんな称号みたいなのは和彦にあげる」
「おいおい……」

和彦が自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
言いたいことは何となく分かる。
仮にも地元で「最速」って言われてる車が他所者に何度も負けたりなんかしたら、この峠自体がなめられる。

「とにかく今夜はダメだ。菅井さんもいないのに、んな勝手なことしたらマジでシめられる」

そんなの、大丈夫だよって言い返そうと思ったけど、和彦は絶対許してくれない雰囲気で、私はとりあえず引き下がった。
とりあえず、だけど。
ロータリー音がすぐそこまで上がってくる。
最終コーナーからFCが現れた時、そこにいた皆の唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。

「――急に悪いな、リーダー不在の時に」
「別に、タイムトライアルくらい好きな時にやって貰って構わねーよ」
「二三本流した後、最後に下りでタイムを取らせて貰う。そんなに時間は取らせない」
「そんなモンでいいのか?」
「ああ。事前に下調べはしてあるから問題ない」

そう言ってさっき降りたばかりの車に再び戻っていく高橋涼介。
近くに立っていた同じチームの男が「カッコいいっすねぇ」なんてしみじみと言っている。

「ま、あんなこと言っておいて遅かったら笑えるよなぁ」
「それはねーだろ」

あっという間にコーナーへと消えて行くFCのテールランプを眺めながら、その男たちは微妙な笑い声を上げた。
そんなこと万が一にもありえないだろって言う諦めと、そうあってくれればいいのにって言う願望。
途中のポイントに立つ仲間から、通過のタイムの連絡が何度か入る。
「流す」だけなのに、自分たちのタイムをあっさりと抜き去って、冷や汗でもかいているんだろうか。
さっきまでワイワイと煩かった連中が黙り込んでしまった。

下り切ったFCが戻って来るらしいと連絡が和彦に入るのを聞いて、私はチラッと自分の車に視線を向ける。
その動きに気が付いた和彦が、携帯を耳に当てたまま牽制するようにこちらを睨んで来た。
別に、バトルじゃないよ。
流してるところに混走するだけ。
私は両手を上げて、道路を挟んで向かいにいる和彦に、その気はないことを示す。
内心、「その気」ばりばりだけど。

最終コーナーから現れるFCのヘッドライト。
私はじりじりと自分の車に近付いて行く。
そんな私の動きに気付いた、隣りに立つ男たちは「あれ?」って顔をしてるけど、引き留める気配はない。
だんだん近付いてくるFCと、仲間と言葉を交わしている和彦と、交互に見ながら、そろり、そろり。
FCが、スピンターンをするために僅かに加速する。
和彦が、私とロードスターとの距離が縮まっていることに気が付いて舌打ちする。

だから、これはバトルじゃないから!

和彦がこっちに走って来て。
腕を掴まれる直前に何とか逃げ切ってロードスターに飛び乗った。

!てめー!」

前に立ち塞がる和彦を辛うじて避け、私はアクセルを思い切り踏み込む。
あの男も私の意図に気付いたんだろうか、FCの中で小さく笑ってたような気がした。
FCがサイドを引いてスピンターン。
そのタイミングで私はその車の後ろについた。
時間がないから四点式のシートベルトじゃなくて、ひとまず三点式の方を締める。
そんなこと、遅いことの言い訳にはしないから、思い切り走ってくれて構わないよ!
じっとりと汗の滲む手の平を、カーゴパンツにこすりつけて。
FCの加速に合わせて、アクセルを底まで踏みつけた。

勝てる訳ないって思ったけど、同時に負けたくない、とも思った。
一つ目のコーナーを抜けて、二つ目のコーナーもパスして。
その気持ちはどんどん強くなって来て、ビリビリと頭の芯が痺れて来る。
私の目の前で砲口を上げるロータリーサウンド。
その音だけでも鳥肌が立ちそうになる。
唇が乾いて、私は一瞬だけぺろりと舐めた。

この前と同じように、すぐに差は開かない。
向こうは今も変わらずに「流して」走っているだけだろうから、それほどラインもシビアじゃなかった。
でも、後ろの私のことはちゃんと意識しているような気がした。
ヘアピンで、FCは入り口から流して行く。
私はブレーキを残して、出口に向かってだけ後輪を滑らせた。
いい感じに決まって、一段階前からアクセルを思い切り踏める。

「――余裕かましてると、後ろからぶち抜いちゃうんだからねー!」

腹ごしらえをして来たせいか調子がいい気がする。
ばくばくと言う心臓を落ち着けようと深呼吸して。
私は前を走る白い車に集中した。






「勝手なことしてんじゃねぇよ!」
「――いたっ」

下りきった所にある車止めで、再び上に戻って行くFCを見届けてボーッとしていたら、もの凄い勢いで和彦の車が下りてきて、すさまじいスキール音を立てて目の前に止まった。
やっぱり私なんかより全然速いじゃんなんて暢気なこと考えていたら、車から降りて来た和彦にげんこつで頭のてっぺんを殴られた。

「ったく、タイムが今までのベストを大幅に更新したから多少のメンツは保てたからいいものの……」
「あ、そうだったんだ」
「そうだったんだじゃねぇよ。菅井さんに何て報告したらいいんだよ」
「報告しなきゃいいじゃん」
「お前なぁ……」

離れて行くFCのエンジン音を聞きながら、私は空を見上げた。
まあ、結論から言えば私は負けた。
外見上はちぎられなかったけど、それは、向こうが私のペースに合わせてたからで。
完敗だった。
あ、でも、これはバトルじゃないから!
……少なくとも相手はバトルしたつもりなんか、さらさらないだろうし。
どうせ「レクチャー」だとか言っちゃうんだろう。
ムカつくなぁ、って独りごちたけど、口で言うほどムカついてなくて、妙な爽快感まであった。
たぶん、この前とはちょっと違って、あの男の走りに「誠意」みたいなものを感じたから。
そんなの気のせいだろって誰かに言われたら反論する材料なんてないんだけど。こんな感覚的なもの。

「あいつ、スタートするってよ」

下りのスタート地点から連絡が入って、和彦はやれやれと煙草を一本取り出した。
コースレコード塗り替えられんのは確実じゃねぇかってぶつぶつ言いながら。
観念しなよ、って私が笑って言ったら、お前が言うなってまた頭をはたかれた。

「和彦ぉ」
「……何だよ?」
「私、速くなりたいなぁ」
「今さら何言ってんだよ?」
「しょうがないでしょ、今さら思っちゃったんだから」

また和彦の携帯に電話。第一セクションのタイム。
アホみたいなタイムで私たちは笑うしかない。

「どっちでだよ?あっちで?こっちで?」
「それこそ、今さらあっちに戻れないでしょ。戻る気もないけど」
「じゃあ――こっちでかよ」

あの男と一緒に来ていた男の人が、ストップウォッチを片手に不安そうな、真剣な顔をして、これからそこに現れるだろうFCの姿を待っている。
この前言ってた助っ人って、あの人のことなのかな。
あんな男と一緒に行動するって大変そう。
そんなことをぼんやり考えていると、和彦の煙草の煙がふわりと流れて来た。

「ハコ車のレーサーでもなるつもり?」
「そんな気はないよ。レースなんてお金掛かるし。そう言うんじゃなくて……純粋にもっと速くなりたいなぁって」
「ふーん、殊勝な心がけっつーか――でも、ここにいたら、もうお前限界だぜ?」
「え」
「分かってんだろ、自分でも。ここで俺らと一緒にいても限界だって、さ」

図星を指されて押し黙る。
そんな私たちの間に、第二セクションのタイム報告の電話。
もう何とでもなれ。
笑うのも疲れて、お互いチラリと見合うだけだった。

「俺らはさー、ここでは別にそんな本気にならなくてもいいんだよ。他のヤツに負けなきゃいいってだけでさ。カッコ悪くなきゃいいってだけ。お前が昔から言ってる『速さに対するストイックさ』なんて、ハナから持ち合わせてない訳」
「ちょっと、和彦……」
「こんな所でそんなモン安売りしてる場合じゃねーんだよな。俺たちのステージってここじゃないからさ」

ずっと一緒に走って来た仲間からの、衝撃の告白。
いや……うすうす感じてはいたんだけど。
さっきまでの爽快感は何処へやらで、ちょっと悲しくなりながら、私は何か言葉を探す。

「でも、さ。どんな所でも手を抜かないで走るってのも、大切なんじゃないの?」
「よく言うぜ、ずっと手ぇ抜き続けてきたヤツが」
「――えっ」

これは、さすがに本当に衝撃だった。
くく、って和彦は笑いながら煙草をもみ消す。

「お前、ずっとカートなんか親に無理矢理やらされてって顔して走ってたじゃねーか」
「それは……」
「結構センスあんのにさ、そんなんで頭打ちって勿体ねーなぁって思ってたんだけど」

こんなトコで目ぇ醒めるかねーって、ポケットに手を突っ込んで、地面に転がっていた石を軽く蹴る和彦。
私はヘタリとそこにしゃがみ込んだ。
手を抜いてたつもりはなかったけど……でも確かに逃げ道を作っていたような気はする。
速くなくても、いい理由。

「あっちに戻って来るならいつでも歓迎するよ。けど、こっちで本気でやりたいっていうなら――向こうに行った方がいいかもな」

そう言って和彦が指差した方向。
下りの最終コーナーから飛び出してきたそのFCは、何年かかっても破れないんじゃないかと言うようなコースレコードを叩き出して、鮮やかにゴールした。