瞬きをする間に 3




全国大会が終わって数日。
それ程テニスにのめり込んでいたつもりはない忍足だったが、やはり中学生活の大半を占めていたものが終わってしまえば、どうしても喪失感は拭えない。
そして二学期が始まって学校へ行っても――もう彼女の姿を見ることはない。
他の連中ほど彼女に対して何か特別な感情を抱いていたつもりはないのだが、学園内のどこへ行っても、もう彼女を見つけることは出来ないのだと思うと、言いようのない焦燥感が募る。それを紛らわそうと、携帯のメモリに入っていた女を適当に選び、会う約束を取り付けた。けれど直前になってどうにも虚しくなり、急用が出来たと言ってドタキャンしてしまった。

「――あかんわ」
携帯をベッドの上に放り投げ、調子の出ない自分にため息をつく忍足。天井を見上げ、ふと横を向くと机の上に積んであった宿題のノートが目に入る。もちろん、既に全部片付けてある。甘やかしてはいけないと昨晩の電話で冷たくあしらったが、調子を取り戻すには、あの賑やかな親友に会うのが一番有効な手段かもしれない。
「まあ、今回限りや」
用事が済んだらすぐに来いと教えられた図書館の名前を思い出す。やれやれとため息をつき、ついさっき放り投げた携帯をポケットに突っ込んだ。

しかし、向かう前に前もって連絡をしておかなかったのは失敗だったらしい。その図書館へ行ってみたが、それらしき人物が全く見当たらない。まさか一、二時間であの二人の宿題が片付くとは思えないし、気が変わって遊びに行ってしまった――なんてことは、あの滝が付いていればあり得ないだろう。場所を変えたのだろうか?今日は朝から何もかも上手く回っていないような気がして、忍足は苛立ちに眉を顰める。このままその辺をぶらぶらするだけで帰ってしまおうかとも思ったが、思い直して携帯を取り出した。
「おーっ、侑士!すっげぇいいタイミング!」
繋がった途端、どこかはしゃいだような向日の声。とても宿題をやっている声には聞こえなかったけれど、その明るい声を聞いて少しだけ忍足自身もいつもの調子を取り戻せた気がした。
「自分、今どこにおんねん?せっかく手伝ったろ思て図書館来たのに、誰もおらんやんか」
「えっ!侑士、今図書館にいんのか!?」
「……用が早よ済んだからな」
「マジで!?いや実はさ、これから皆で群馬に行くことになったんだよ。侑士も行かねえ?」
「……群馬?」
何故一日図書館に籠るはずだった向日たちが北関東に行くことになったのか、全く見当のつかない忍足は訝しげな声。
「そう。の兄ちゃんに会いに」
続く向日の台詞にさらに訳が分からなくなる忍足。何故アメリカへ行ってしまった彼女の兄に会いに、向日たちが行くのだ?
「岳人、ちゃんと順を追って説明せぇや」
「いや、だからさ……俺が言っていいのか?えーっと、の生き別れの兄ちゃんが群馬に住んでんだって。え?生き別れじゃない?いちいち細かいこと言うなよ」
電話の向こうで、向日が誰かと話している。滝か、芥川か、それとも――。忍足は一瞬、自分の体が震えるのを感じた。
「……ちょい待ち。まさか、そこにがおるんか?」
冷静さを装って聞けば、あっけらかんとした声でアッサリと肯定する向日。
「いるぜ。今替わるよ」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ、そんないきなり……」
無理やり携帯を渡されたらしい彼女の声が耳に飛び込んでくる。暫くは――いや、もしかしたらもう永遠に聞くことは出来ないかもしれないとさえ思っていた彼女の声が。忍足は思わず目を閉じた。
「え、えーと……忍足くん?久しぶり」
全然久しぶりではないだろう、つい一週間程前に彼女の送別会をしたばかりなのだから。けれど、確かに忍足もすごく久しぶりに彼女の声を聞いた気がして、その台詞を笑うのを忘れてしまった。
「さっき偶然向日くんたちに会ってね。あ、今は宍戸くんと鳳くんも一緒なんだけど」
「……どないなっとんねん」
さすがに今度は呆れ声。それを聞いても「そうだよね」とちょっと苦々しい感じの声。
「実はさ、群馬の方に私のお兄さんがいるらしいんだ。この前お母さんに聞いた話なんだけど。それで、日本を発つ前に会いに行ってみようかどうしようかって悩んでたところに、皆に会って――一緒に行ってくれるってことになったんだ」
「そんなん、岳人たちがついてっていいんか?」
「うん。ちょっと心細かったし」
「自分がそんなしおらしい台詞吐くなんて気色悪いな」
「……相変わらず言いたい放題だね」
顔は見えなくてもその口が尖っているのは容易に窺える。思わず口元を緩める忍足。

跡部には一年の頃から言いたい放題で、二年の生徒会役員選挙では、最初は「無理!」と言い張っていたのに、実際に出てみたらその堂々とした態度は他の候補を圧倒していて。いつも跡部のことを「横暴だ!」と嘆いていたけれど、本当は彼が無理し過ぎていないかといつも密かに気にかけていたのを知っている。
「いい加減マネージャーでも入れなさいよ!」
といつも言っては跡部に
「そんなものは無駄なだけだ」
と一刀両断されていたが、いつも部員が支障なく部活に専念できるようにと、頼まれた以上の仕事をやっていたのは忍足だけじゃなく皆知っていることだ。テニスのルールブックやテーピングの本を鞄に忍ばせているのを見つけて、
「絶対跡部には言っちゃダメだよ!調子に乗るから!」
と口止めされたのも懐かしい思い出だ。
さっさとくっ付いてしまえばいいのにと何度も思ったが、結局最後まで二人は付き合うことがなかった。そんな形に固執する必要はなかったということなのか。どちらにしろ、そのせいで僅かな可能性に縋る男子が後を絶たなかった訳だが。自分はそうなるまいと、忍足は跡部の味方のような顔をして彼女とは多少距離を取っていたつもりだが、果たしてそんな彼らと本当に違ったのかどうか。

「侑士も行くだろ?」
忍足が思い出に浸っている間に携帯を返して貰ったらしい向日の声。一緒に行くことを疑わないようなその口調に少しだけ納得のいかないものを感じるが、実際、断るつもりはないのだから仕方がない。苦笑を浮かべつつ、チラリと腕時計に視線を落とした。
「――今、どこにおるん?」