zettel 4




放課後、久し振りに友達の皆とケーキを食べに行き、帰りに駅へ皆で向かう途中、通りかかった本屋の前で「あっ」とが立ち止まった。

「どうしたの、
「私、ちょっと新しい文庫本見て行こうかな」
「またー?ホントに、って活字中毒だよね」
「よかったら皆も――」

はいつものごとく皆を誘ったが、いつものごとくあっさりと断られた。
仕方なく彼女は一人皆と別れ、店の中へと入って行く。
商店街の中の小さな書店は、夕方と言うこともあって仕事帰りの社会人が多い。
人にぶつからないようにと慎重に奥へと進んで行ったは、新刊のコーナーまで辿り着くと、めぼしいものはないかと探し始めた。

そして、あまりないなぁと諦めかけて来た時、入口からこちらに向かって来る人影。
その立海の制服に目を止め、がじっと目を凝らすと、それは柳だった。
は無意識に鞄の取っ手を掴む手に力が入る。
彼女の存在に気づいた柳の表情が、微かに緩んだ。

「こんな遅くに寄り道か」
「う、うん……さっきまで皆とお茶してて」

そんなに遅い時間かなぁと、腕時計に視線を落とす
柳は何も言わずに笑ってその彼女の頭の上にぽんと手を乗せた。
ちょっと驚いては顔を上げたが、彼の方は何事もなかったかのように、すっと手を下におろして新刊へと視線を移す。
そんな彼に、も慌てて同じようにそれらの本へと目を向けた。

「――柳くんも、文庫本を?」
「ああ。前もってチェックしておいたから、それを買いにな」

そう言いながら、積まれていた本から何冊かをひょいひょいと手に取る。
エッセイにミステリ、恋愛小説と、ジャンルはバラバラだ。

「柳くんでも恋愛ものなんて読むんだね」
「意外か?」
「う、うん……あんまり好きじゃないのかと思った」

が正直に感想を述べれば、柳は少し苦笑し、その本をぱらぱらと捲る。
それは今度映画化が決まったと帯の付いている、ベタな恋愛小説だった。
やはりそれを読んでいる彼はイメージしづらい。

「まあ――この類で印象に残っている本は、最近はあまりないが、読むのは別に嫌いじゃない」

なるべくジャンルに偏りなく本を選ぶようにしているのだと話す柳は、更に何冊かを手に取った。
図書室でもよく本を借りているし、この1回に購入する文庫本の数――。
一体彼は1ヶ月に何冊位の本を読むのだろうか?
は感心するのを通り越し、思わず呆れてしまいそうだ。

は今日は何も買わないのか?」
「うん……何か、欲しいって思う本が見つからなかったから」
「そうか。ならこの中で何か面白いものがあったら貸してやろう」
「あ、うん、ありがとう。……その1番上に乗ってる『戦後の政治学』以外でお願い」
「好き嫌いはいけないな」
「そんな本を好きな高校生の方がおかしいと思うよ」
「随分とはっきり言う性格なんだな」

頬を引き攣らせながらが言えば、クスリと少し意地悪そうに笑う柳。
そして口籠った彼女をそのままに「買って来るから待っていろ」とレジの方へとすたすたと行ってしまった。
言われるまま大人しく待っていると、ほどなく戻って来た柳が、「家まで送ろう」と彼女を外へと促した。

「だ、大丈夫だよ!まだそんなに遅くない――」
「こんな暗い中を一人で帰すわけにはいかないだろう」

そう言って柳が空を見上げれば、確かに、すっかり陽も落ち切って星さえも見え始めている。
店に入る前は、まだもう少し明るかったのに。
はその真っ暗な空を見上げながらも、「大丈夫だって!」と首を横に振る。
しかし彼の方はの言葉を完全無視し「家はどこだ?」と聞いて来る。

「すごく遠いよ!」
「とは言っても、2時間も3時間もかかる訳ではないだろう。ほら、行くぞ」

駅へと歩き出す柳。
は最後の抵抗とばかりに、ほんの少しの間その場にじっと立っていたが、振り返って小さく手招きして来る彼に観念して、のろのろと歩き出した。

「……大丈夫、なのに」
は見かけによらず頑固だな」

一体どっちが。
思わずツッコミそうになったけれど、寸でのところでとどまった。




駅に着くと、たちの乗る電車はたった今行ったところだったので、二人はホーム中央のベンチに腰掛けた。
登下校の時間帯は立海の学生でごった返すが、今はぱらぱらと見かける程度。
電車も行ったばかりなので、ホーム全体がガランとしている。
時折、近くの踏切を横切るトラックの音が聞こえて来るだけで静かなものだ。
少し離れている海の波の音も聞こえて来るのではないかと思うほどに。

弱い風が二人の前を通り過ぎ、柳のいつもの香りがのもとへ。
いつもは、つい、息を止めてしまうそれを、目を閉じて、すうと吸い込んだ。

「――あ、そうか」
「……どうした」

突然の沈黙を破る声に、柳は首を傾げて彼女の方を見る。
ふふ、と嬉しそうに笑う

「この匂い、何か懐かしいなって思ったら、おばあちゃんちの匂いに似てるんだ」
「匂い?」
「うん……柳くんからする、お香みたいな匂い。うちのおばあちゃん、よく着物にお香を焚きしめてて。その匂いと同じ気がする」
「――そうか」
「うん。あ、でも、ちょっと違うのかな。でも似てるよ」
「なら、調合の割合などが似ているのかもしれないな」

そう言って、柳は制服のポケットから、小さな巾着のような物を取り出した。
祖母や母親が時折、帯に付けているのを見たことがある。
匂い袋だ。

「昔、祖母が俺のためにと香りを調合してくれたことがある。それが気に入って、自分でも作るようになった」
「じゃあ、柳くんオリジナルの匂いなんだ」
「そんな大層なものでもないが――まあ、そうだな」

感心する彼女の前に、柳はその匂い袋を差し出した。
「お前にやろう」と言って。
広げた彼女の手の平に、それをポトリと落とす。

「……いいの?」

おずおずと恐縮したように「ありがとう」という彼女に頷きながら、柳はふと笑いを漏らした。

「しかし、は外国語があれだけ得意だから、おばあさんも洋風なのかと思ったが」

冗談めかして、そんな台詞。

「あはは!うちのおばあちゃんちは純日本家屋だよ。洋服を着てるところって見たことない。着物の方が落ち着くんだって」

あ、その前に、私、別に外国語得意じゃないよ!
そう慌てて訂正する彼女。
パタパタと手を動かしながら必死になる彼女に、柳は笑みを深くする。

「柳くんも、着物とか似合いそうだよね。もしかして洋服より落ち着く?」
「いや、俺はそこまでではないが――確かに着物は嫌いじゃない。お前はどうなんだ?」
「うん……私も好きだよ。毎日はちょっと無理だけど」
も似合うだろうな」

そう言って柳は表情を和らげる。
自分は、どうもこの顔をまともに見ることが出来ないらしい。
は俯き、ちょうど入って来た電車に、ほっと息をついた。




「ここで大丈夫。すぐそこのマンションだから」

駅まででいいと言ったが、それでは意味がないと、柳は彼女の家のすぐ傍まで送って来た。
幸い、柳の家はここからそれほど遠くないらしい。

「あの――送ってくれてありがとう。……ごめんなさい」
「別に謝ることはない。――が、これからは暗くなる前に帰った方がいい」
「うん……」

何だか、父親とか兄弟みたいだ。
しゅんと俯く彼女の頭を、ぽんと軽く撫でる柳。

「――ああ、もし遅くなったらまた送ってやろう」
「え?あ……」

顔を上げれば、すでに彼女に背中を向けて元来た道を戻って行く彼の後ろ姿。
彼に何かを言うタイミングを逃して――言うべき言葉も見つからなかったが――はポケットに入れていた匂い袋を、制服の上からぎゅっと握った。