息 10




言い訳をするわけじゃないけど、そのとき、下心は皆無だった。

でも別に、夜景の綺麗な所に連れてって、純粋に彼女を喜ばせたいと思ったわけでもない。
第一、こんな状況で連れてったとして、彼女が喜ぶとも思えなかった。
後から考えれば、たぶん、あのまま帰ってしまうのが、単に嫌だったんだろう。
何で嫌かって聞かれても一言では説明出来ないけど、あのまま笑って別れても、何も、自分の中で終わらない気がしたんだと思う。

いくら史浩さんの知り合いだって本人から紹介されたにしても、やっぱりそれなりに警戒してたみたいだった。
それはそうだ。
半ば強引に車に乗せられて、こんな夜に男に連れ回されてるんだから。
彼女はただじっと黙って前を見つめて、助手席に座ってる。
俺も、もう、何だか言い訳するのも面倒で、いや、言い訳も出来なくて、黙ってステアを握ってた。

赤城の近く。
そこは、女を喜ばせるための場所って言うよりは、自分がたまに気分転換に使ったりする場所だった。
だから、本当は女なんか、連れてきたことがないし、誰かに教えたこともない。
途中、暗い山道を通ったから、彼女は時折俺を見たけど、気付かない振りをした。

鬱蒼とした木々に囲まれた細い道を抜けて、視界が開ける。

「―――わぁ・・・。」

思わず声を漏らした彼女に内心ほっとしながら、俺は車を脇に寄せて止まった。
俺が車を降りると、彼女もそれに続いてくる。

「結構、綺麗だろ。」
「うん・・・。」

錆びたガードレールから下を見下ろすと、町の明かりがチラチラと見える。
たったそれだけの光景で、前橋とかにある展望室に比べれば全然チャチだけど。
隣りに立ってじっと眺める彼女に、俺はちょっと意地悪く笑って見せた。

「ちょっと疑ってた?」
「ん?うーん・・・。」
「でもまだ安心するのは早いと思うけど。」
「え?」
「冗談だよ。」

つい、この前までは絶対こいつには言えなかったような冗談。
と言うか、たぶん、この前までの俺だったら、こいつをこんな所まで連れてこられなかったと思うけど。
精神的に、余裕がなくて。
俺はポケットから煙草を取り出した。

「何か飲み物でも買ってくればよかったな。」
「いいよ。もうコーヒーの飲みすぎでお腹ぱんぱん。」

煙草の煙を、思い切り吐き出す。
それから、結構な時間そこにいた。
指先が少し冷たくなるくらいの間。
そんなに何かを話すわけでもなくて、二人で遠くの光をぼーっと眺めながら。

「ありがとう―――連れてきてくれて。」

暫くして、冷えた指先に息をかけながら、彼女が言った。

「ここって、ケンタさんの大切な場所なんでしょう?」
「・・・そんなこと、ねぇよ。」
「そう?だって、何か、表情がちょっと違ったよ。」

彼女がちょっと笑う。
俺はそれにうまく返事することが出来なくて、煙草を銜えた。

「史浩さんには内緒な。」
「今日のこと?ここのこと?」
「両方。あんた嘘下手そうだもん。全部なかったことにしといた方がいいよ。」
「そう言って、ケンタさんが今夜とかポロっと言っちゃったりするんでしょう。」
「言わねぇよ。」

お互い笑いながら睨み合う。
町の明かりは変わらずにうっすらと輝いてて、どこか遠くでサイレンの音がしてる。

「―――じゃあ、指きりでもするか?」
「ゆびきり?」
「何だよ、もっと別のやつがいい?」

わざと意地悪い笑いを浮かべて、びっくりしてる彼女に考える隙を与えずにその手を掴んだ。
その細い手首に驚いたけど気にしないふりをして。

「うわ、冷てぇっ、あんたの手。」
「ケンタさんの指だって冷たいですっ。」

笑いながら、指を絡める。
サイレンの音が小さくなっていく。
代わりに、すぐ傍の木々が揺れて、葉の重なる音に取り囲まれる。

「言うなよ。」
「言いませんよ。」

風で、さらに葉の音が大きくなって、ザワザワと揺れる。
指先はだんだん温かくなっていって、でもそれとは逆にその感覚は薄れてく。
いつの間にか、その指に力が入ってて、彼女は不思議そうに俺を見上げてきた。
その目が、まっすぐで、綺麗で―――ムカついて。寂しい。

「ケンタさん?」

幸せになれよ、なんて、俺が言わなくたって、あんたは幸せになるんだろうな。
ずっと、そうやって綺麗なままでいられるんだろう。

「―――さんきゅ。」
「え?」

月明かりに照らされた、相変わらず不思議そうな顔。
少し温かい指。

あんたのことは、結局何も知らない。
同じ大学に行ってることとか、人見知りするけど、慣れてくると結構ズケズケものを言うこととか、それくらいは知ってるけど。
でも、やっぱりあんたとこうやって話が出来て、その視線が一瞬でも俺に向けられて―――あんたに会うことができて、よかったと思う。

指を絡ませたまま、手を自分の方に引き寄せる。
一瞬の間に、俺はそいつの手に口付けた。

「―――っ?!」

そのまま呆然としたそいつは、俺が笑うと慌てて手を引っ込めた。

「わりぃ、ちょっとやってみたかっただけ。」
「ちょ、ちょっとって・・・。」
「指きりのオマケだよ。」

嘘。
ほんとは、違うけど。

「そろそろ帰るか。」

俺はさっさと車の方へ向かい、そいつを振り返って、笑った。