息 6




さすがに、そこまで頭が回らなかった。
金曜日。
最後の時間が急に休講になった。

その講義はウザいと思いながらも、出席重視の必須科目だったから休むことも出来なかった。
だから、この曜日のこの時間にフラフラとキャンパス内を歩くのは初めてだ。
俺は突然の休講が嬉しくて、何も考えてなかった。

彼女がいつもあの時間、すでにあの店にいるってことは、それより前に大学を出ているはずだったんだ。

麻雀するにもゲーセン行くにも、バイト代が入るのは来週で金欠。
仕方なくまっすぐ帰ることにして駐車場へ向かう。
途中煙草を吸おうとポケットに手を突っ込んだら、箱には数本しか入ってなかった。

「―――ちぇ。」

いくら金がなくても煙草を切らすことだけは出来ない。
俺は煙草を買いに、学食の方へと引き返した。

自販機の前に立って、いつも買う煙草のボタンを押す。
いつものように近道しようと、売店の真ん中を通り抜けようと思ったとき。
そいつが、いた。
文具売り場の前に。

やばい、と引き返そうと思ったけど、そいつが顔を上げて俺を見つけるほうが早かった。

「あれ?・・・中村、さん?」

少し自信なさげに首をかしげて声をかけてくる。
俺は内心舌打ちしながらも、よお、とそいつに近づいて行った。
そいつは屈託もなく笑いかけてくる。
前は自分に気付かない彼女に苛立ったくせに勝手なもんで、そんな笑顔がやけに苦痛だった。

「同じ大学だったんですね。」
「ああ・・・そうみたいだな。俺は経営コースだけど。」
「そうなんですか。私は英語コースなんです。」

あのクラスのやつが言うことは本当だったらしい。
ふうん、と適当に返事をし、さっさと退散しようと思ったんだけど、そいつはまだ話しかけてくる。
俺も、用事があるからとか何とか言えばいいのに、何でだか、足が動かずにいた。

「中村さんは、もう授業終わったんですか?」
「・・・ケンタでいいけど。あんたは、これからあの店に行くのか・・・?」
「はい。」
「・・・ふぅん。」

こっちの気も知らず、照れたように頬を赤くする様子が、むちゃくちゃ、ムカつく。
だけど、結局俺はそこから動けず、しまいには、ずいぶんとお人よしなことを口走っていた。

「送ってやろうか。」
「え?」
「なに、車で通ってんの?」
「いえ、バスですけど・・・。」
「じゃあ送ってやるよ。」

そいつは、警戒してるって言うよりは、ただ申し訳なさそうな顔をして、ちょっと躊躇っていたけれど、

「じゃあ・・・お願いします。」

そう言ってペコリと頭を下げた。
別に俺だって、下心があったわけじゃない。
もう諦めてる―――たぶん。
でも、だからって純粋にもっと話がしたかったとか言うわけでもなくて、一緒にいたかったと言うわけでもなくて。
よく分からないけど、でも、この行動は普段の俺らしい感じがして、少しだけ、自分にほっとした。
きっと、俺は、他の女だったとしても、同じことをしている。

大学から店までなんて、ほんの数分。
本当は無駄に上げたテンションで、どうでもいい話なんかしたくもなかったけど、その僅かな時間でも沈黙に耐えられそうになくて
この辺車ないと不便だろうとか、英語コースの講義ってどうなのとか、色々と話しかけた。
そのときの彼女の返答なんて、ロクに頭に入って気やしなかったけど。

「あの。」

あと何個目かの信号で到着するってときに、彼女が口を開いた。
俺は何とか引き上げたテンションのまま口の端に笑いを残したまま、「なに?」なんて、聞く。

「ちょっと前まで、中村さ・・・ケンタさん、よくお店の前通ってましたよね?」
「―――え?」
「このオレンジの車、いつもあのお店にいるときに見かけた気がしたから・・・。」

何かが、体の真ん中を、貫いた気がした。
―――見てた、のかよ?

「いつも信号で止まってて、明るい色の車で、ちょっとだけ、見るの楽しみだったんです。」

やっぱり、いつものように、その信号は赤で。

「だから最近見なくなって寂しかったんですけど・・・。」
「・・・せぇな。」
「え?」

せっかく、いつもの俺らしく、振舞おうと思ってたのに。
ただ、「史浩さんの彼女」を乗せてるだけだって、思おうとしたのに。

「好き勝手なこと言ってんじゃねぇよ!」
「え・・・?ケンタさん・・・?」

訳分かんないって顔してる。
当たり前だ。
俺も、訳分かんねぇよ。
でも、もう駄目だ。

呼吸が出来ない。