caress 5




高橋くんは、席に案内しようと出てきたウェイトレスを手で制する。
この期に及んでも、私は自分の予想が外れることを期待していた。

でも、高橋くんがずんずん向かう先のテーブルに、どこか見たことのある姿。
高校卒業以来彼を見たことなんてなかったけれど、見間違えるはずもなかった。
そんなに間違えるほど彼に似た人が世の中に何人もいるわけがない。
私の足の進みはだんだん鈍くなるけれど、そんなことはお構いなしに先へ行ってしまう高橋くん。
慌ててその服の裾を掴む。

「ちょっと待って高橋くんっ、やっぱり他の所にしようよ・・・」
「なに?ファミレス嫌い?」

そんな、絶対違うって分かっているだろう質問を投げてくる。

「そうじゃなくて・・・。」
「じゃあ、アニキが嫌い?」

また、そんなわけないって言う問い。
私は「違うよ!」と、さらに服の裾をぐいと引っ張った。
そんな私の当たり前の否定の返事に、一瞬ほっとした顔を見せたように思えたのは―――気のせい?

「そっか、よかった。」

―――気のせいか。
高橋くんはそう言うや否や服を掴んだままの私をずるずる引きずりながら、さっきまでよりもさらに速いスピードで、窓際のその席へと向かっていった。

「あれ、史浩も来てたのか。」
「車、下にあっただろ。」
「そうだっけ?」

高橋くん―――お兄さんの方、の向かいに座っていた「史浩」と呼ばれた男の人。
彼も確か、高校が一緒だったはずだ。
顔を上げてこっちを見た彼と目が合い、私は小さく頭を下げた。
彼の方も挨拶しながら、記憶を手繰っている様子。

?」

でも、先に私の名前を口にしたのは、お兄さんの方だった。
こんな間近で彼の声を聞くなんて経験は今までになくて、思わずビクリとしてしまったけれど、私は慌てて「こんばんは・・・」とまた頭を下げた。
どうやら私がここに来ると言うことを知らなかったらしい高橋くんは、一瞬目を大きく開いて、その後、一体どう言うことだ、と言った感じで弟の高橋くんの方をジロリと見上げる。

「さっすが、アニキ。すぐ名前出てくるね。」
「茶化すな。何でお前とが一緒にいるんだ?」
「大学が一緒なんだよ。」
「―――そんな話は聞いてない。」
「そうだっけ?でも大学で会ったって言うのもついこの間だぜ。」

眉間に皺を寄せる高橋くん―――お兄さんの方―――に向かって、とぼけた顔をして肩を竦める。
そして自分はさっさと史浩さんの隣りに座ってしまい、私に「お前も座れよ」と前の席を顎で促した。

座るって―――高橋くんの隣りに?
一瞬戸惑ったけど、でもだからと言って、彼の前に座ったりしたらきっとまともに顔なんて上げられない。
私は隣りの高橋くんの方をなるべく見ずに腰を下ろした。

「腹減ったー。アニキたちはもう食ったの?」

ウェイトレスが持ってきてくれたメニューを受け取って、パラパラと捲る。
こ、こんな場所でご飯なんて食べられるんだろうか?
メニューの写真を見ただけで、お腹がいっぱいになってくる。

一体、何でこんなことになっちゃったんだろう?
もちろん、高校時代彼の名前はよく耳にしていたし、その姿だって目にしたことはある―――遠くから。
クラスや委員会も全然一緒になることはなかったし、そうじゃなくても、何となく遠い存在だったし。
彼の周りにいる人達でさえも、ちょっと他とは違うように感じてしまうくらいだった。
それなのに、何で私はその彼の隣りでハンバーグの写真なんて見ているんだろう。

「今日はガッツリ食いてぇな。」

リラックスしきってる高橋くんが憎らしい。
コーヒーだけ注文しようとした私に、「飯まだだって言ってたじゃん!」と言って、自分と同じデミタマハンバーグステーキ洋食セットを注文してしまった。
私は抗議する気力もなく、がっくりと肩を落とす。

・・・そっか、あの二組の。」
「え・・・う、うん。」

史浩さんがニコニコと笑ってコーヒーを飲みながら言った。
よくそんなこと憶えているもんだな、と感心する。
別に私は目立つことは何もしていない、地味な存在だったと思うんだけど。
そんな私の疑問は、次の彼の台詞で大体解消された。

「結構長い間、三組の坂井と付き合ってただろ。あいつからよく惚気話聞かされたんだよ。」
「え・・・」

確かに、私は1年の最後くらいから卒業近くまでその人と付き合っていた。
1年の最後って言っていいのかは分からない。
その頃に付き合ってくれって言われて、「でもよく知らないから」と断ろうとしたら、じゃあ友達から始めようって言われて、一緒に遊びに行ったりして―――そのまま何となく続いてしまった。
でもまさか、そんなつながりでこの人達に自分の名前が知られているとは思いもしなかった。
友達だったんだろうか?
そう言う話は彼から全然聞いていなかったけれど。

そんなことを考えていたら、弟の高橋くんの大きい咳払い。
それに慌てたように史浩さんは「あ、いや・・・」と気まずそうな笑みを浮かべた。
そっか、別れたことも知ってるのか。
私は運ばれてきたカップスープに口を付ける。
でも、何だか味はよく分からない。

「啓介と同じ大学―――なんだ。」
「・・・うん、この春に編入したの。」

お兄さんの声が隣りから響いて、ますます味が分からなくなる。

「高橋くんは、群大に行ったんだっけ?」
「ああ、そう。」

彼が地元の大学に行くって言うのはちょっとしたニュースだった。
東京の医大でも十分合格圏内だったはずなのにって話を聞いて、私は、何かこちらでやりたいこととか、心残りとかあるんだろうか?なんて思ったのを憶えている。

「『高橋くん』って紛らわしいなぁ。俺のことも高橋くんって言ってんじゃん。下の名前で呼べよ。」

とっくにスープを飲み干してしまった高橋くん・・・啓介くんが「しょうがねぇだろ、二人とも高橋なんだから。」ともっともなことを言う。
反論は出来ないけど、でも急にそんなこと言われてもなかなかすんなりとは口から出てこない。
困った顔をしてたら、高橋くん・・・ええと、涼介くんの方が「自分だけ下の名前で呼びづらいなら、俺達も下の名前で呼ぼうか?」なんて、笑顔で微妙にピントのずれたことを言った。
―――わざと、ピントをずらしたのかもしれないけど。

「そうだよな!あ、そうだ。こいつ、アニキの乗ってる車がZかカローラとか言ったんだぜ。」
「え!そ、それはただ当てずっぽうに言っただけでしょ!」
「ふーん、いい線行ってるんじゃないか?」

と妙に感心したように言ったのは史浩くん。
「どこがだよ!?」とそんな彼に思い切り呆れた顔をしたのは啓介くん。
私は隣りの涼介くんの方を見ることは出来ず、俯いた顔がどんどん熱くなっていく。
すると、隣りから小さな笑い声。

「カローラは史浩が乗ってたよな、カローラレビン。」

あ、その車なら知ってる。
とは言っても、私の知ってるものと史浩くんが実際乗っていたのは違うかもしれないけれど。
そうなんだ、と顔を上げて史浩くんの方を見ると、すかさず私の隣りから突っ込み。

「早々につぶしてたけどな。」
「・・・それを言うなよ。」
「つ、つぶす?」
「そうそう、『安全なサーキットで練習だ!』とか言って速攻でコンクリートウォールに突き刺さったんだっけ?死ななくてよかったよなぁ。」
「余計なこと言うな、啓介!」

その慌てぶりからすると、冗談ではなさそう。
サーキット?
―――で、壁に突き刺さった?
おおよそその外見からは想像もつかないエピソードに、私は呆然とする。

「お前は車に乗ると人格変わってコーナーとか突っ込みすぎる傾向があるからな。」
「ええ?それって史浩の本能なんじゃねぇの?」
「・・・啓介、まだ若葉の取れていないお前にとやかく言われたくない。」
「でも俺壁に刺さったことねぇし。」
「壁に刺さるくらいの経験してないと話にならないってことだっ。」
「まあ、それも言いえて妙だな。」

啓介くんと史浩くんのやり取りをクスクスと笑いながら見ていた涼介くんが、今度は私の方を見て目を細めて笑う。

は、こう言う話には興味ない?」
「アニキ!さっき自分から下の名前で呼ぶって言ったじゃねぇか!」

すかさず入る弟の突っ込みはサラリと無視して笑みを浮かべたまま。
顔を覗き込もうとしてくる彼の目をまともに見ることが出来なくて、ついつい目を逸らしてしまう。

「全然興味ないってことはないんだけど・・・」
「だってこいつ、レンタカーの店でバイトしてんだぜ。」
「へえ、そうなんだ。」

これもまたすかさず入った啓介くんの補足に、私は苦笑い。

「でも、嫌いじゃないって言う程度で、そこでバイトすることになったのは本当にたまたまなの。バイト先にもやっぱり走り屋っぽい人はいるけど、あんまりよく話したことはなくて・・・。」

走り屋。
自分の口にした単語に、一瞬戸惑いを感じる。
そして私は今さらとも思えるような質問を口にした。

「あの・・・3人は、走り屋、なの?」
「うん、まあ、そうだな。」
「あんな車乗ってて全然走れませんとか言ったら、ちょっとカッコ悪いよな。」
「・・・まあ、俺はあんまり速くないけどな。」

皆一様に肯定の返事。
改めてそう認められると、私はまた呆然としてしまう。
啓介くんは、涼介くんが「いかにも」な車に乗っているって言ったけど、でも、走り屋のイメージと隣りに座っている涼介くんのイメージとは、ピッタリ一致しない。
それは、偏見かもしれないけれど。
そんな私の頭の中を見透かしたかのように、啓介くんが笑った。

「峠行けば『ああ、これがアニキか』って、よく分かるぜ。色々と。」
「車乗ると人格変わるって、俺より涼介の方が酷いと思うぞ。」
「俺は普段どおりだ。」
「普段どおり怖ぇってことだよな。」

三人は目の前で楽しそうに話していて、そのせいか私も最初の緊張がだんだんと解けてきた。
涼介くんに睨まれた啓介くんが素早く目を逸らす様子が可笑しくて、思わず笑ってしまう。

ああ、そっか。そうだよな。

この人達だって、全然普通の人間なんだよね。
そんな、当たり前のことを改めて思って―――思わず、安堵のため息が漏れた。

「お待たせしました。」

そのとき、ウェイトレスが両手にハンバーグを運んでくる。
普通の人―――って言っても、やっぱりこの人達の前でご飯を食べるのは、ちょっと、緊張するかもしれない。