caress 6




「お前、アニキの車に乗ってけよ。」
「え・・・えっ!?」

緊張しながらも何とか食事を終えると、当然のように「峠」へ移動することになった。
ちゃんは時間は大丈夫?」と聞いてくれる史浩くんに、「大丈夫だよな!」と私の方を見て笑顔で言う啓介くん。
私は苦笑いしながらも、特に早く帰る理由がなかったのと、ちょっとだけ、興味が湧いてきたのとで、「うん」と頷いてしまった。
でも、涼介くんの車に乗るなんて―――

「まあ啓介の車よりも安全かもしれないなぁ。」
「・・・って、どういう意味だよ、史浩?」
「確かに、俺は壁にぶつけたりはしないと思うから安心していいぜ。」
「・・・涼介・・・。」

そんな会話に笑っているうちに、私は本当に涼介くんの車に乗せてもらうことになってしまった。

「そんな緊張するなよ。」

運転席に乗り込み、キーをまわしながら涼介くんが笑う。
何となく、さっきの啓介くんの車とは違うエンジン音。
でもシートに座るのに苦労するのは同じくらい。

リトラクタブルのライトが開き、涼介くんの車が一番先に出発する。
ゴツゴツと段差を乗り越えると、シートにすごく衝撃が伝わってくる。
広い通りに出て加速すると、背中が少しだけシートに押し付けられる。
それでもまだ、自分が涼介くんの車に乗ってるなんて信じられない。
膝に置いた手が、ひんやりする。

「俺の運転、怖い?」

ついつい無言になってしまった私に、涼介くんがからかうように言う。
「えっ、そうじゃなくてっ!」と握り締めた掌は、やっぱりまだどこか自分のものじゃないように感覚がない。

「信じられないって言うか・・・だって、ほら、昔は本当にただ同じ高校に通っているってだけで話したこともなかったし。今の状況が不思議だなと思って。」
「ああ・・・そうだよな。」

交差点を曲がると視界が開けて、涼介くんは車を加速させる。
アクセル踏んでシフトアップして―――って言う一連の動作が流れるようで、マニュアル車でもこんな風に運転することが出来るんだ、なんて感動してしまう。
走り屋なんて彼のイメージじゃない、なんて思ったけれど、でも、こう言う運転が出来る彼は、確かに「らしい」気がする。

大きな鳥居をくぐって暫く行くと、いつの間にか曲がりくねった坂道に入っていた。
涼介くんはさっきまでと変わらず淡々と運転する。
ブレーキを踏んだり、曲がったりするときに足を踏ん張る量が増えた気がするし、スピードだって、私が自分で運転するときなんかと比べ物にならないくらい出ているはずなんだけど、何故か「怖い」という感覚はなかった。
そんな自分が、不思議だ。
チラリ、と隣りの涼介くんを見る。
その表情は、さっきお店で隣りに座っていたときのものと何一つ変わらなくて、私は思わずふふと、笑ってしまった。

「どうした?」
「ううん・・・私、もっと怖いと思ってたから。」
「怖くない?」
「大丈夫。でも本気で走るともっと怖いのかな?」
「さあ、どうかな。啓介が横に乗ったときは一緒に心中するのかと思ったらしいぜ。」
「心中?・・・あの啓介くんがそんな風に思っちゃうの?」
「そうらしいな。」

ドアに膝を押し当てて、ドアの取っ手を掴んで体を強張らせながらも笑いが漏れてしまうって、そんな自分自身が可笑しい。
何だか、こんな状況に置かれて普通でいられる自分が信じられなかった。
もしかしたら、頭や心が、まだ今の状況について来ていないのかもしれない。
家に着く頃になってようやくガチガチに緊張してきたりして?

小さな建物の立つ、ちょっと広めの駐車場に入っていくと、既に何台か車が止まっていた。
そしてその車の前に、何人もの人が立っている。
こんな夜、こんな所に人が集まってるものなんだ。
私はシートベルトを外しながら、スクリーンか何かを見ているような気分で、フロントガラスの向こうの光景を眺めた。

「よお、腰抜けてない?」

車から降りると、すぐ後ろに止まった黄色い車から啓介くんが出てきて、意地悪く笑って聞いてくる。
車内で涼介くんから聞いた話を思い出し、私は大げさに余裕な顔つきをして見せた。

「平気だよ、誰かさんと違って。」
「あぁ?」
は誰かさんよりも度胸があるみたいだな。」

私の横でニヤリと笑って言う涼介くんの台詞に、啓介くんは大体の状況を察したらしく、瞬く間に不機嫌そうな顔へと変わって行った。
でもそのことには触れたくないらしく、ジロリと私達を睨みながら全く関係ない指摘をして来た。

「アニキ、下の名前で呼んでねえし!」
「そうだったか?」

涼介くんは空とぼけ、「よし、じゃあ早速始めるか。」と史浩くんの方へ行ってしまった。
後ろにいた史浩くんの手には、ファイルとノートパソコン。
気が付くと少し離れた所に立っていた男の人達が、いつの間にかすぐ傍で組立式の椅子と机を組み立てていた。
私は一体何が始まるんだろう?と様子を見守る。

「メンバーの何人かがセッティング変えたからさ、タイム計測すんの。」
「メンバー?」
「アニキの作ったチームのメンバーだよ。」
「え・・・涼介くんがチームを作ったの?」
「アニキがチームのリーダー以外考えられるかぁ?」
「う・・・ん、確かに。誰かの下にいるなんて想像つかないけど。」
「だろー?」
「啓介!お前も手伝え!」

私達の会話が聞こえたかのようにタイミングよく、涼介くんの声が辺りに響く。
「やっぱ怖ぇだろ。」なんて言って肩を竦めながら、啓介くんはお兄さんの方へと駆けて行った。
涼介くん、ちょっとさっきまでと雰囲気違うかな。
そんなことを考え遠くから眺めていたら、私の名前まで呼ばれてしまう。

「悪いけど手伝ってもらえないか。」

そう言ってさっき組み立てていた椅子を引き、私をそこに座るよう促す。
顔こそ優しげに見えるけど、どこか有無を言わせない雰囲気で、気が付いたらタイム計測のデータ入力を手伝っていた。
そしていつの間にか手元には宿題まで。
もちろん、何もせずにそこにポツンと一人置いておかれても、きっと困っただろうけれど。


「お疲れさん。」

一仕事終えて、ガードレールに寄りかかり放心状態だった私に、どこからか戻ってきた啓介くんが缶ジュースを渡してくれた。
そして私の隣りに腰掛ける。

「まさか峠に来てあんなことやらされるとは思わなかったろ。」
「う・・・うん。」
「俺もこう言う展開になるとは思わなかったよ。」

悪いな、と苦笑する啓介くんに、私は首を横に振った。

「ちょっとびっくりしたけど、でもこんなふうにデータ分析とかするんだなぁって、ちょっと勉強になったよ。」
「とか言ってると、またアニキに使われちまうぜ。」

ああ、そんな感じ。
私と啓介くんは顔を見合わせて笑った。
やっぱり涼介くんは人を使うのが上手いんだろうな。
よくよく考えてみればかなり強引なのに、何故か反発しようとは思わない。
それどころか、私なんか少しでも彼らの中に入れたような気がして、嬉しくなってしまうのだから。

「データ分析とか言っても、俺はつい何も考えずに走っちまうんだけどな。」
「ふうん。でも速い方だよね?」
「何で知ってんの?」
「さっき、他の人のデータもちょっと見たから。」
「抜かりねぇなあ。」

啓介くんが手に持っていた水を飲み干す。
私は何となくその様子を見届けた後、ガードレールから身を起こし、同じチームの人と話をしている涼介くんの方を見た。
最初、正直涼介くんとこう言う場所って結びつかなかったけど、こうやって生き生きしてる彼を見ると、車以上に彼に合うものなんてないんじゃないか、と思えてくる。

「アニキ、今日ご機嫌だよな。」
「え?」

私の視線の先に気付いたのか、啓介くんがそう言ってニヤリと笑った。
そして煙草に火をつける。
水の次は煙草。忙しい人だな、なんて思いながら彼の顔を見た。

「特に機嫌よさそうには見えないけど。」
「そうかぁ?もう、あからさまにウキウキしてんじゃん。」
「いつもはもっと、やる気なさそうってこと?」

そう言う彼ってあまり想像できないけど。
「そうじゃなくてさ。」と啓介くんは煙草を煙を吐き出しながら目を細めて涼介くんの方を見る。

「ちょっとした表情とか、声とか、行動とか。史浩をあそこまで茶化すのも珍しいぜ?」
「・・・ふぅん?」
「アニキって案外分かりやすかったんだなぁって思うよ。」
「・・・・・・?」

私はその台詞の意味がよく分からなくて首を傾げる。
すると、自分のことを話題にされていると気付いたかのように、また涼介くんの声が飛んできた。

「啓介!そんな所で油売ってていいのか。」
「うわ、怖ぇ。男の嫉妬は醜いな!」

啓介くんが立ち上がってお尻をパンパンと叩き、煙草をもみ消す。
私は僅かに残っていたジュースを飲み干した。

「―――ねえ、啓介くん。」
「ん?」
「この前言っていた『心残り』って何?」

何で、今、こんなことを聞きたくなったんだろう。
ただ、なんて言うか、自然と口から出てきてしまった。
啓介くんの方も、唐突なその質問に訝しがる様子もなく、意味深に笑う。

「もう分かってんじゃねぇの?」
「・・・分かんないよ。」
「分かんねぇのは、もっと別のことだろ。」

ますます分からなくなって私は首を曖昧に横に振る。
でも啓介くんはもう何も答えてくれず、車へと戻って行ってしまった。