caress 8




この前啓介くんと待ち合わせたコンビニで涼介くんを待つ。
何だか贅沢だな―――なんて思いながら、ぼんやりとまた雑誌を眺めた。
この前黄色い車の止まった場所に、今度はあの白い車が止まるんだろう。

あの車が啓介くんのものと同じRX−7と言うのだということは、バイト先の男の子から聞いた。
彼は確か型式で答えていたけど。
同じ車なのに全然形が違うものなんだな。
バイトの子に、知り合いにそのRX−7に乗っている人がいて、という話をしたら「白のFCって言えば高橋涼介だよな!」と返って来て、ものすごくビックリした。
涼介くんは実はそう言う世界ではカリスマ的存在らしくて、この辺じゃ知らない奴はいないと、何故かその子の方が自慢げに話していた。
一体、涼介くんはこの2年ちょっとの間にどんなことをしてきたんだろう?
―――もちろん、私はバイトの子に「知り合い」がその「高橋涼介」だということは言わなかった。

「その知り合いもきっと高橋涼介に憧れて真似したんじゃねぇの?」

なんて言う彼に本当のことを言えなくて、申し訳ない気もしたけれど。



手にしていた雑誌をラックに戻しかけたとき、ガラスの向こうに白い涼介くんの車が入ってくるのが見えた。
この前見たときは、外見的には結構大人しめだな、なんて思ったけれど、やっぱり目立つかもしれない。
でも、そこから降りてくる人の方がその数倍も目立つ気もする。
私はお店を出て、涼介くんの方へと歩いていった。

「悪いな、急がせてしまって。」
「ううん平気。もうちょっと早く終わればよかったんだけど。」
「いや、十分だよ。」

データを受け取った彼の顔には、特に不機嫌な様子は見えなくて普通に笑っていた。
私もそれを見てほっとして笑顔になる。

「涼介くんも忙しいのに、こんな所にまで来てもらってごめんね。考えてみたらそんなにサイズ大きくないんだし、メールで送ればよかったね。」
「ああ―――はメールがよかった?」
「え?そんなことはないよ。私は直接でも全然構わないんだけど。」
「そう―――。」

ふぅと息を吐き出し、あまりに間近で笑うものだから、私はじっと見上げていることが出来ずに視線を落としてしまった。
CD−Rを持つ涼介くんの手。
指は細くて長い―――けど、やっぱり男の人の手で。
私は顔を見つめるのと同じくらい恥ずかしくなってきて、その手からも視線を逸らした。

はバイトだったんだろ、飯は?」
「まだだけど・・・?」
「じゃあ、どこかに食べに行こうか。」

車に乗って、と促す涼介くん。
私は勢いで慌てて助手席に乗り込んでしまったけど、後になってふと気になっておずおずと聞いてみた。

「でも涼介くんはもう食べちゃったんじゃない?」
「いや、ちょうどまだだったんだ。」
「こんな時間なのに?」
「たまに食べるのを忘れるんだよ。」
「はあ・・・。」

ご飯を食べ忘れるなんて、自分にとっては信じられないことだけど、でも涼介くんは集中力とかすごそうだし、気が付くと何も食べないで何時間も経ってたとかありそうだ。
―――って、これはいいイメージなのかな?

「食べるのも忘れてどんなことしてるの?」
「ああ、今日はレポートかな。」
「レポート?平気なの?」
「終わらせてきたから大丈夫だよ。」

車が道路へと滑り出す。
エンジンが気持ちよさそうに回った。
最初はその大きさに驚いたエンジン音も、今はもっとずっと長く聞いていたいなんて思ってしまっているから不思議だ。

「こう言う車って運転するのは難しいの?」
「何だ、は『こう言う車』に興味が湧いてきた?」

冷やかすような声色の涼介くんに思わず口を尖らせる。
それは・・・私はこの車が何て言うのかさえも知らなかったけど。

「別にそう言うわけでもないんだけど・・・どうなのかな、と思って。」

むくれたような声になってしまった私に、涼介くんは笑った。

「そうだな、普通に運転する分にはそんなに難しくないだろ。所詮ただの車なんだし。はレンタカーの店でバイトしてるくらいだから、マニュアル車の運転も出来るんだろ?」
「出来るけど・・・そんな簡単なものなの?」
「まあ、この車はちょっと面倒かもしれないけどな、クラッチ重いし、エンストの2、3回は覚悟しなきゃいけないだろうけどすぐ慣れるんじゃないか。運転してみる?」
「え!」
「―――て言うのは冗談だけどさ。」
「・・・・・・。」

まさかそこでそんな台詞が返ってくるとは思わなくて絶句していたら、隣りでクスクスと言う笑い声。

「悪いな、この車は他のやつには滅多に運転させないんだ。」
「・・・うん、確かにそんな感じだよ。でも啓介くんにも運転させないの?」
「もうちょっと上手くならないとな。」

この前啓介くんの車に乗せてもらったときは、まだ若葉マークが取れていないってことを忘れてしまうくらい上手に運転すると思ったけど、それでもまだまだなんだろうか。一体この人が「上手」って言うのはどれくらいのレベルなんだろう?
きっと私なんか一生無理に違いない。
べつに、助手席で十分だけど。

「あいつは普段乗っててもたまにまだ粗い所があるんだよな、もうちょっと車を労わるように運転してやらないと。」
「ふうん。でも涼介くんも結構すごい運転すると思うんだけど?」

それは確かに「怖い」って感覚はなかったけれど、それでもあの峠を走っているときはタイヤとかブレーキはすごい鳴ってたし、エンジンだって今と比較にならないような音だったと思う。
チラリと横を見てそう言えば、前を向いたまま肩を竦める涼介くん。

「俺は車に出来ることしかさせていないぜ。バトルの時とかはどうしても負担かけることになるけど、でも今はそんなことないだろ。」
「うん・・・確かに。いざと言うときのために普段は優しいってこと?」
「まあ、そう言うことだな。」

涼介くんは、ふと黙り込む。
どうしたんだろう?と少し不安になってじっと彼を見ると、涼介くんは目を細めてちょっと意地悪く笑った。

「なんか、やらしいな、。」
「な・・・っ、わけわかんないよ!」

本当に訳分からない。
あまりに分からな過ぎて、私は反射的に力いっぱい叫んでしまった。
やらしい、なんて単語が彼から発せられるなんて予期しなかった―――なんて大げさでもないけど、でも、慌てる。
そんな私が可笑しかったのか、涼介くんは咳払いでもするように口元に手を当てて笑いを堪えている様子。
からかわれたことに今頃気付き、私は涼介くんを睨んだ。

「さて、と、は何食べたい?」

けど、そんな私の抗議の視線など全く気にしないで、別の話題に移ろうとする。
私もまた何か墓穴を掘ってしまったら嫌だから、無理に話を戻そうとはしなかった。
小さな不満をため息と共に吐き出す。

「何でもいいよ。この前のファミレスでも。」
「ああ・・・あそこはやめておこう。」
「なんで?」
「知り合いがよく来るからな。」
「・・・ふうん。」

あそこはこの前行った峠にも近そうだし、たまり場に使われるんだろうか。
そんなことをぼーっと考えながら、道路の脇に並ぶ色々なお店の看板を眺めた。


街の明かりがだんだん遠くなり、外灯もポツリポツリとしか見えなくなって来て、一体どこまで行くんだろう?と思い始めたとき、こじんまりとした一軒家風のお店が見えてきた。
「めし」なんて単語を使うのは申し訳ないような綺麗なお店。
こんな所、近くにあったんだ。
止められた車の中から、私はその白壁の小さな洋館風の建物を見上げた。

「来たことある?」
「ううん、初めて。こんな場所があるのも知らなかったよ。」
「そうか。」

車を降りると涼介くんが私の背中に手を回して、お店の入口へと促した。
ほんの少し背中に手の温かさを感じて、それだけで妙にくすぐったいような気分になる。
彼にとっては何てことのない仕草なんだろうけれど。
歩き方を忘れそうなくらい密かに緊張している私に、涼介くんはまた変なことを言ってきた。

「別にお酒飲んでもいいぜ。俺は車だから飲めないけどな。」
「え?お酒?」
、かなり強いんだろ?啓介が言ってたぜ。」

・・・油断も隙もないと言うか。
一体何を言われているのか分かったもんじゃない。
頭の中にぱっと浮かんできた啓介くんの、やけに楽しそうな笑顔を、私は思い切り睨みつけた。

「他には、何処に行ったの。」
「?」
「啓介と。」

入口のドアを開けて紳士的にエスコートしてくれながらも、からかいを含んだ笑顔は崩さない。
何か―――何て言うか、涼介くんって案外意地が悪いな。
高校のときの彼も、こんな風に友達をからかっていたんだろうか。
当時、自分とは全く違う世界の人間を遠くから眺めるようにしていたけれど、実は自分と大して変わらない学生生活を送っていたのかもしれない。

「この前、一回飲みに行っただけだよ。あと出かけたのはあの夜だけだし。」
「ふうん?でも随分と仲がいい感じに見えるよな?」
「それほどではないと思うけど・・・大学でたまに会ったときに話はするよ。」
「大学か、それはさすがに真似出来ないな。」
「真似?」
「啓介と行った場所と同じ所に行けば、が少しは俺とも打ち解けてくれるかな、と思って。」

まだ、からかうんだろうか。
私は思わず言葉がつまり、そこにタイミングよくお店の人が現れてテーブルに案内してくれて、ちょっとほっとした。
そのまま話題を変えようと、私はメニューを開きながら、お店の中を見渡す。

「なんか、感じのいいお店だね。」
「ああ、啓介が見つけて来たんだよ。あいつはこう言う店とか見つけるのは上手いんだよな。」
「じゃあ兄弟で来るの?」

本当に兄弟で仲がいいな。
私はビックリしたような、半ば呆れたような声を出してしまう。

「ああ。とは言っても来たのは1回だけだけどな。」
「彼女と来たりはしないの?」
「・・・だとしたら、やきもちやいてくれる?」

また、にやり。
結局からかわれる。
私は口を尖らせつつ、メニューに視線を落とした。
どれにしようか、なんて、全然考えられないんだけど。

「やきもち・・・なんて、焼くのも図々しい感じがするよ。」
「俺は焼いてくれれば嬉しいけどな。」

―――涼介くんは、昔からこんなことを言えるタイプだったの?
女の子には優しいように見えたけど、でも、こんな台詞をポンポン吐けるような人には見えなかったような。
私は何か反撃出来ないかと考えたけど、でも結局何を言ってもまた何倍にもなって返ってきそうな気がして諦めた。

「あの・・・涼介くんも、変わった?」
「そうか?」
「昔はもっと、何て言うか・・・硬派なイメージだったような。」
「今もそうだと思うけど。」
「でもそんな台詞は言いそうになかったよ。」

私がチラリと見上げると、涼介くんは少しの間じっとこちらを見て、それから小さく笑った。

「ああ―――思ってることは素直に口にすることにしたんだ。」
「・・・人生損しないために?」

啓介くんの台詞とそのまま返すと、また笑う。
何かを含んだような笑い。

「昔は、損したからね。」

ここでまたタイミングよく、なのか、悪くなのか、店員が注文を取りに来て、慌ててメニューを捲ることになった。



涼介くんとの食事の方が、この前啓介くんと一緒に飲んだときよりも緊張した。
でも会話の量はそれほど変わらなくて、思ったより沢山話すことが出来たのは、涼介くんが私の緊張を上手く解いてくれたせいだろう。

啓介くんのときは、気を張る暇もなくどんどんと会話が進んでいく感じだったけど、涼介くんの場合はやっぱり緊張する。
「どきどき」と言うよりも、本当に「緊張」って感じ。
だけど、それは時折彼によって和らげられて、ほっとする。
そのほっとする感じが自分でも心地よくて、緊張すること自体が苦にならなくなって、寧ろ楽しくなってきて―――彼とずっといたいって思えてくる。
彼に対してそんなことを思うようになるなんて、ついこの前まで想像もしなかった。


帰りの車の中、ちょっと黙り込んでしまった私に、涼介くんが心配そうな顔を向けた。

「どうした?具合でも悪い?」
「えっ、ううん、そうじゃないよ。」

ぱたぱたと手を振る私を見て安心したらしい彼は、今度はあの、からかうような目をして来た。

「もうじき、俺と別れるから寂しい?」
「うん。ちょっと。」

そう答えたのは、別に反撃しようとか考えたわけじゃなくて、ただ何となく、素直に言ってみようと思っただけだ。
でもその返事は予想外だったのか、涼介くんはすごくビックリしたような顔をして、からかうのを忘れてしまったらしい。
目を大きく見開いたかと思ったら、心配そうに目を細める。

「そんな顔することないじゃない。」

何だか、正直に言った自分の方が無性に恥ずかしくなって、信号待ちの間じっとこちらを見ている彼を小さく睨む。
そんな私の目と目が合うと、「いや、悪い・・・」と言って前に向き直った。

「何か裏があるんじゃないかと思って。」
「何よ、それ?じゃあ涼介くんがそう言う台詞吐くときは裏があるんだ?」
「俺はないよ、思っていることを正直に言ってるだけで。」
「うそ。物凄く裏がありそうだよ。」
「なるほど、は俺をそう言う目で見てたんだな。」

酷いな、って、今度は私の方に非難の目を向けられる。
何となく理不尽だ。
私は納得行かない気分で、フロントガラス越しに見える信号を、意味もなくじっと見つめた。

「私も思ったことを素直に言ってみただけだよ。」
「―――人生損しないために、か。」

どうだろう?私は前を向いたまま肩を竦める。
やっぱり何だか後からどんどん恥ずかしくなってきて、涼介くんの方も口数が減っちゃって、この後家に着くまでの間、車の中はすごく静かだった。


彼の好意に甘え、今日はマンションの前まで送ってもらってしまった。
「ありがとう」と言う自分の声が、この前よりぎこちなく感じるのは、さっきの会話での照れくささがまだ残っているせいだろうか。
逃げ出したい気分でシートベルトを外すと、涼介くんも運転席側のドアを開けて車を降りた。
ちょっと首を傾げつつ、私も降りて、車をはさんで彼と向き合う。

「ええと・・・じゃあ、おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ。」

何か言い残していることがあるんだろうか。
そんな雰囲気を感じながらも、言葉は続かない。
私自身も何か忘れ物をしているような、中途半端な感覚。
でもやっぱり具体的に何か言葉が出てくることはなくて、彼から目を逸らし、背を向けた。
一歩、二歩、諦め悪くのろのろとマンションの入口へと向かい始めたとき、後ろから「」と名前を呼ぶ静かな声。

「飯を食い忘れたって言うのは、うそだ。」
「―――え?」

その意味が分からないまま、涼介くんを振り返る。
彼は車に手を置いて、少しだけ口元を緩めていた。
―――いや、緩めて、と言うよりは、歪めていた、と言うのが適切なのかな。
どことなく、自嘲的に。

「どういう、意味?」

忘れたんじゃない、って言うことは、もう既に食べていた?
わざと食べなかった?
何のためにそんな嘘を?

「そのままの意味だよ。」

それだけじゃ分からない。
私は困惑して首を横に振る。
でももう彼はその問いに答えてくれる気はないみたい。
それどころか、ますます分からない台詞を口にして、そして私を置いていってしまった。

「俺は、全然変わってないらしい。」