caress 7




桜の開花も例年通り。
まだ幾分寒さの残る普段と変わらない朝だった。
高校の卒業式って言えば一大イベントのような気がするけれど、こうやって特にいつもと変わらなく過ぎて行ってしまうんだろうか。
恐らく最後と思われる―――実際に最後だった―――制服に袖を通しながら、そんなことを思った。

講堂へ移動しようと中庭の通路を渡っていると、木の陰に啓介くんが座っているのが見えた。
その頃の彼は、本当に、高校の典型的な問題児と言った感じで、暴走族に入っているとか、何人病院送りにしたとか、そんな話が絶えなかった。
まともに授業にも出ない、って聞いたけれど、お兄さんの卒業式はさすがに出るんだろうか。
そんなことを思いながらも、彼の方は見ずにその前を通り過ぎようとした。

長身で、日本人離れしたスタイルだったのは当時から変わらなくて、目つきは鋭くて怖いんだけど顔立ちは兄弟揃って整っていて。
普通の女の子は遠巻きで、近付くことは出来ないけれど、どこか意識してしまう。
私も、つい色々と考えてしまうくらいには彼のことを意識していて、その例外ではなかった。
でももちろん、自分は「その他大勢」レベルだと自覚していて、彼の方が自分を知っているなんて思いも寄らない。
だから、自分の名字を呼ばれたときには耳を疑った。
近くに他の「」がいるんだろうかと、キョロキョロとしてしまったくらいだ。
でも彼は立ち上がり、私の方に近付いてくる。

「あんただよ、あんた。」

周りにいた人達が、私を避けて歩き、クラスメート達はどこか意外そうな顔をして、通り過ぎた後もこちらを振り返っている。
でも自分自身が一番意外だ。
彼が私のすぐ前で立ち止まり、じっと見下ろしてくる。
遠くから見る彼よりも、今ここに立っている彼の方が何故か怖さを感じなかった。
私も彼を見上げる。
彼は何かを言おうと口を開いたけれど、何をどう言ったら分からないというような様子で、またすぐに口を閉じる。

「ああ―――と、卒業してもさ。」

やっぱりまだ自分の伝えたいことが見つからないかのように、口元を歪めて目を細める。
それでも今、何かを言わなきゃいけない。そう思ったんだろうか。
細めたままの目を私に向けて、言った。

「卒業しても―――頑張れよ。」

何故、彼が私に対してそんなことを言ったのかは分からない。
でもその時は私自身も「何故」と考える余裕がなくて、「あ・・・うん。」と頷くことしか出来なかった。
ありがとうって、高橋くんもねって、言えばよかったなと思ったのは、卒業式が終わってしまったからで、そのときは「それじゃあ・・・」って言っていそいそと講堂へと逃げるように行ってしまった。



「―――ここで、いいの?」

涼介くんの車が、コンビニの前で止まった。
さっき、啓介くんが私を拾ってくれたコンビニ。

「うん、ありがとう。」

私はシートベルトを外して、後ろの席から鞄を取った。
その時に隣りの涼介くんの顔が少し近くなって、思わずじっと見てしまうとひげの痕があったりして、違和感のような、安堵のような、複雑な気分がした。
私は鞄を抱きしめるように持ち、「それじゃあ」とドアを開ける。



さっきまでとはちょっと違って、少し急いだような声に、私もつられて慌てて彼の方を振り返ってしまった。
その勢いのいい様子が可笑しかったのか、涼介くんが私の顔を見たまま小さく笑う。

「ああ・・・って呼ばなきゃいけないな。」
「そんな・・・涼介くんの呼びやすい方でいいよ。」

私がバタバタと手を横に振ると、涼介くんはまた笑って目を少し細めた。

―――ああ、こう言う顔、好きだな。

なんて、唐突に思う。
そしてすぐ、そんな自分が恥ずかしくなって目を伏せた。

「遅くまでつき合わせて悪かったな。」
「ううん、それは全然平気。私も楽しかった。」
「そうか。」
「うん。」

まだ涼介くんの言葉が続きそうに感じたのだけれど、涼介くんは口を閉ざしてしまう。
でもまたすぐに開いて―――ふうと小さく息を吐いた。
その様子は何となく、あの卒業式の朝の啓介くんを思い出させる。
そんな彼を見ていたら、私の方が何か言葉をつなげなくてはいけないような気がして来て―――ふと、頭に浮かんだことを口にした。

「涼介くんて―――坂井くんと仲がよかったの?」

何でだろう?
何で「それじゃあ、おやすみなさい」って、「また連れて行って」って言うだけにしなかったんだろう。

「ああ―――少しね。」

そう言って笑った涼介くんの顔は、たぶん、今日見た中で一番「綺麗」なものだったけれど、同時に、一番遠くに感じるものだった。




坂井くんは隣りのクラスの子で、特に何かが一緒だったって言うことはないのだけど、掃除当番でゴミ出しに行く私を見つけると手伝ってくれたりした。
そんな時の短い会話の時間が楽しくて、私も全く好意がなかったわけじゃない。
ただ、でもやっぱり彼について知っていることは少なすぎて、付き合ってくれって言われたときに一度断ってしまった。
そんな私に「知らなければ知ればいいんだよ。」と言う彼の意見はもっともだと思って、一緒に帰るようになって、休日に会うようになって―――と、結局そのまま付き合うような形になっていた。

彼は涼介くんのように物凄く目立つと言うわけではなかったけれど―――涼介くんのような人が珍しいのだろうけれど―――男女共に友達の多い、人望の厚いタイプではあった。
私も、そう言う人達と一緒に遊びに行くようなこともあった。
でも、彼から涼介くんの名前を聞くことは一度もなかったんじゃないだろうか?
だから、まさか彼から私の名が涼介くん達に伝わっているなんて思いもしなかった。
しかも「のろけ」てた、なんて。

一体、坂井くんは何を話していたんだろう。
それを聞いて、涼介くん達は何を思ったんだろう。
―――なんて、他人の惚気話なんて、うんざりしていただけか。
啓介くんは、最後にそのことを皮肉ろうとでも思ったのかもしれない。
そんなことを考えると、今さらながら赤面してしまう。

この後、大学で啓介くんと会ったときも、何となく恥ずかしくてまともに顔を見ることが出来なかった。
それに気付いた啓介くんが、すかさず指摘してくる。

「何さっきから目ぇ逸らしてんだよ?」
「そんなことないけど。」
「とか言って、また逸らしてんじゃねぇか。」

中庭のベンチで隣りに座っていた彼が、私と意地でも目を合わせようとして、身を乗り出し顔を覗き込んでくる。
そんなことをしたら、なおさら合わせづらくなるのに。

「目合わせらんねぇような、やましいことでもしたのかよ?」
「やましいこと?」
「たとえば、アニキに何か変なこと言ったとか。」
「え?」

私には何のことか分からず、首を傾げる。
疑いの眼差し、とばかりに目を細めていた啓介くんは、そんな私の様子を見て、やれやれとため息をついた。

「何となく機嫌悪かったんだよなー。」
「・・・涼介くんが?」
「そう。あの後家に帰ってきた時さ。峠じゃあんなにご機嫌っぽかったのにさぁ。お前が何かしでかしたとしか考えらんねぇじゃん。」

とばっちりを受けんのはこっちなんだから気を付けて欲しいよ、と言いながら、大げさな素振りで足を組みなおす。
そんなこと言われても、私にはさっぱり見当がつかない。
―――でも、確かに最後、別れる間際の表情は少し、違った気はするけれど。
何で、だっけ?

「・・・まあ、機嫌悪かったのはその時だけで、今は全然普通だから気にするほどのことじゃないんだけどさ。」

思い出そうと俯いていると、隣りからフォローのような台詞。
私、そんなに深刻そうな顔しちゃってたかな。
安心させるように笑ってくれる啓介くんに、私も笑って見せた。

この前頼まれたデータ作成が終わって、涼介くんに連絡を取ろうと思っていたところにそんな話を聞いてしまって、ちょっと、気が重くなる。
ついさっきまでも、メールの文面を考えたりとかしているうちに妙に緊張してしまって、もうちょっとしたら送ろう、なんて先延ばしにしてしまっていたのだけど、それとは別の憂鬱さ。
原因が何だったか思い出せないから、なおさらたちが悪い。
今度会うとき何に気を付ければいいのか分からない。

でも、頼まれたものはちゃんと渡さなくては。
夕方にバイトが始まる前まで悩んでいたけれど、思い切ってメールを送った。
結局、文章は用件だけのシンプルなもので。



バイトが終わり、ロッカールームに戻って携帯を見ると、着信とメールが一件ずつ。
両方とも涼介くんからだった。
なるべく早く受け取りたいから、今日会えないだろうか―――と言う。
兄弟揃ってせっかちだ。
いや、涼介くんはちょっと違うか、目的はデータなんだから。

私は着替えを済ませ、その場でメールを打った。
電話してしまう方が早いとは分かっていたけど、まだそこまで度胸がなかった。
直接会うより電話口の方が思ったことを言えるという人もいるけど、私はどちらかと言うと電話の方が顔が見えない分怖く感じる。
普段、別に電話が苦手と言うことはないんだけど、こう言う「いざ」と言うときはどうも敬遠してしまう。
―――って、ただ会う会えないって話をするだけで、いざも何もないか。
私は苦笑いし、ロッカーの扉を閉めた。