闇 11




予想通りで、気分がよかった。
でもそれはほんの一瞬で終わった。

「妬けた?」

俺の酔いを醒ますためにちゃんと入ったコーヒーショップ。
週末の夜なだけあって、それなりに混みあっていたが、何とか空いていた席を見つけ出す。
隅の席でちょっと狭かったけど、賑やかな女の集団の隣りよりはましだ。
彼女に許可を貰って煙草を一本吸わせてもらう。
パチンと閉めたジッポの蓋をじっと見ながら、ちゃんは首を傾げる。

「何に、ですか?」
「あいつが、きみの友達に優しくしてたことに。」

煙を横に吐き出して、ちょっと目を細めて聞いた。
あいつの、友達に対する世話焼きぶりには、俺でもちょっと驚いたから、この子はどう思ったのか聞いてみたかった。
ただの好奇心。
―――にしては、ちょっといやらしい口調だったかな。
いつもと同じように落ち着いた顔をしてコーヒーを飲んでいる彼女に、ちょっと苛ついたのかもしれない。
目の前の子は俺の真意が分かってるのか分かってないのか、俺と同じように笑おうとして、失敗した。
彼女にしては、随分と皮肉っぽい笑み。

「別に、そんなことはありません。」
「ふーん、そう?」
「結構、慣れてますから。」
「何?あいつ、いっつもきみの前で他の女に優しくしてんの?それって当て付け?」
「そう言うわけではなくて・・・涼介さんって昔から従妹に甘いんです。」

従妹ねぇ。従妹は甘やかしてるくせに幼なじみにはきついんだ?
それって、どっちが特別なのかなぁ。
コーヒー飲みながらそんなことを考えていると、ちゃんの戸惑ったような声。

「片桐さん、酔ってますか?」
「だからこの店に入ったんでしょ。」
「そうですけど・・・。」

この前に引き続いて俺の様子がちょっと違うから戸惑っているのか、彼女にしては珍しく一瞬、視線を彷徨わせる。
珍しいことだらけってことは、この子もちょっと酔ってるのかな。
何せ保護者が一緒だったから、未成年の彼女は殆ど酒を飲ませて貰えなかったけど、それでも、1杯ぐらいは飲んだだろう。
酔うと人間って言うのはある程度素直になるもんなのか。
だから、あんな反応をしたの?


予想通りで、気分がよかった。
あいつの反応は。


「た、か、は、し、くん。随分と彼女をお気に召したようで。」

そろそろ店を出ようと言うことになって、女の子二人がトイレに立ったとき、目の前で澄ました顔をしてグラスを傾けている奴にニヤリと笑って見せた。
今日はあんまり酒飲めないって言っておきながら、お前、それ何杯目だよ?

「―――別に。」
「そう?何だかすっごい口説いてたように見えたけどー。」

なーんて、嘘。
確かに感心するぐらい甲斐甲斐しく世話焼いてたけど、口説きモードじゃなかった。
ただ彼女の反応を見て、安心したいだけだもんな。

あの友達の子には悪いことをしたなぁと思った。
思慮深い感じだし何せちゃんの友達だから即勘違いするような子じゃないだろうけど、この男にあれだけチヤホヤされたらどんな女でも舞い上がっちまうだろう。

四人での食事はとても和やかなものだった。和やかすぎて薄気味悪いくらいに。
俺の馬鹿話に女の子二人が笑って、高橋が突っ込む。
店に入ってすぐ、一度は険悪になりかけた高橋の空気も彼女のおかげで一転して穏やかなものになった。
別に、彼女が何かしたわけじゃない。
ただ高橋の笑顔に頬を赤らめるような、ごくごく普通の女の子だったからだ。
そのいつもと変わらない「女の反応」に、高橋は逃げた。
彼女にしてみれば災難だ。

普段俺のこと似非フェミニストとか言ってるが、こいつの方がよっぽど酷い。
いつも取り巻き連中に見せているような外向けの笑顔のオンパレード。
それを初対面の彼女に見抜けって言う方が無理だろう。

「じゃ、お前は彼女をお持ち帰りってことで、俺はちゃん貰ってくから。」
「俺の方が家が近い。」

即答だった。これはちょっと意外。
酒を飲み干した高橋は、最後の仕上げとばかりに煙草を一本取り出す。
さっきまでの嘘くさい笑顔とは打って変わって渋い顔。
俺はこっちの顔の方が好きだなぁ、なんて考えながら火を貸した。

「なに、高橋、ちゃんを送りたいの?」
「―――効率の問題だろう。」

往生際が悪いなぁ。素直に送りたいって言えば?
それとも、そろそろ笑顔を振りまくのには疲れてきたのかな?
それにしても女の子たち、遅いなぁ。トイレ混んでるのかな?それとも何か相談してる?
友達の方が高橋を気に入っちゃって二人きりにさせてくれとかお願いしてたりして。
そしたらちゃんは何て言うんだろう?
本当のことを言う?
あの笑顔は嘘で、あなたは利用されてるだけに過ぎない、って。

きっと分かってるよね、ちゃん?
こいつが、きみの前で女に優しくする理由。
あれは当て付けなんかじゃない、ああやって、こいつは本来の自分を見失わないようにしているだけだってこと。

「でも俺、お友達の方とあんまり話してないし。俺はちゃん送って行きたいし。」

こいつも、ちゃんが分かってることを分かってるんだろうなぁ。
そうじゃなきゃ、彼女をここまで拒絶しない。

「なぁ高橋、お前、ちゃんの『幼なじみ』なんだよな?」

彼女の前じゃ、いつもの鉄仮面も使い物になりやしない。
否応なしに自分を曝け出すことになって―――それに耐えられなくて拒絶する。
でも惹かれるんだ。
自分が何も持たずに向き合うことの出来る、唯一の人間だから。

「ならさ、人の恋路は邪魔しないでくれる?」

分かるよ、俺も、同じだから。

「お前はからかって遊んでるだけだろ。」
「お前だって似たようなもんだろ?」

傍観者になろうとしてなりきれなくて、ある意味俺より性質悪いよ。
お前はどっちかって言うと、最初にその相手への接し方を決めちまう。
そしてそれはまず変わることはない。
受け入れるべき人間か、排除すべき人間か、ある程度は利用すべき人間か、それともまったく関心を示す必要のない人間か。
言い方は悪いかもしれないけど、こいつはそうやってうまく人間関係を捌いて来たように思う。大多数は最後に属すんだろう、もしかしたら俺もそうかもしれない。
ちゃんのことは、そう言うことを考える間もなく近くにいたから、ちょっと勝手が違うのか。
お前にしては、ひどく曖昧な関係。
そして、それに一番振り回されてるのはお前自身なんだろうな。

「とーにーかーく。ここは効率より自然な流れを優先させた方がいいと思うなぁ。」

向こうから戻ってくる女の子たちにニッコリと笑いかけながら、高橋にそう言う。
高橋はまだ何か言いたげだったが、結局「勝手にしろ。」と小さく返しただけだった。




「んじゃ、また明日なー、高橋。」

店を出て二組に分かれる。
すぐに車で友達の子を送って行くと言う高橋と、酔いを醒ますために近くの店に入る俺たちと。
駐車場へ向かおうとする高橋たちにひらひらと手を振り、ちゃんの肩に手を回した。
別に変な手つきじゃなかったと思うぜ、『友達』の範囲内だったと思うけどなぁ。

でも、あいつは気に入らなかったらしい。
目を細めて、まるで全てのものを切り裂きそうな冷たく鋭い表情をした。

そのままの顔で俺の方を見たりしたらまた厄介なことになるから、わざと視線は逸らしてたけど。
それに一瞬だったから女の子たちは気付かなかっただろう。
やっぱ、お前はそう言う顔の方がいいね、ぞくぞくする。
予想通りの反応。
すごく気分がいい。
でも、それはほんの一瞬だ。

「じゃあ行こうか、ちゃん。」

満足して背を向けて、ちゃんの顔を覗き込む。
俺も馬鹿だよな、もうちょっとタイミングがずれれば見なくてすんだのに。
ちょっと遅かったよ、ちゃん。
酔っ払って、動きが鈍っちゃった?

「はい。」

いつものように笑って俺を見上げたけど、その前どんな顔してた?
慣れてるんじゃなかったのかよ。

予想通りの高橋と―――予想外の彼女。
いや、予想外だったって言うのは、ただ単に俺が迂闊だっただけだ。
十分予測しうる反応だったんだよな。




「―――ちゃん門限があるんだよね。そろそろ送らないとやばいか。」

コーヒーを飲み干して、紳士っぽく笑う。
普段ならそんな笑顔に騙されたりしないだろうに、今日はあからさまにほっとする彼女。
そんなに、俺の態度に不安を感じていたのか。
自分に後ろめたさのようなものがあったのか。

駐車場は人通りの多い道から外れていて、しかも俺の車の隣りに大きなワンボックスが止まってて、ちょっと影になっている。
俺は鍵を開けずに、まっすぐ助手席側のドアの前に立った彼女の後ろに回る。
珍しく隙だらけだった彼女がちょっと可哀想になったけど、でも、今さら抑えもきかない。
俺の方を振り返った彼女、その後ろの車体に左手をつく。
驚いた彼女に逃げ出す隙を与えず、右手でさらりと頬を撫でてそのまま首の後ろへ回す。
そして下唇を舐めた。
さっき、あいつと別れるときにこの子が噛んだ下唇を。

「片桐さ―――」

ああ、こう言うときに口開けちゃだめでしょ。
ほんと、今日のきみは隙だらけだ。

せっかくのいい気分がきみのせいで台無しだよ、ちゃん。

俺といると楽しいって言ったよね。
楽しければいいって言ったとき、否定しなかったよね。
自分の言動には責任を持たなきゃいけないよ。
今さら、簡単にあいつを選ばせてあげない。