闇 7




医学部に入ったのは兄貴への嫌がらせ。
これは9割方本当だった。
そして群馬大学に入ったのは、完全に兄貴への当て付け。
あの男が入ることの出来なかった大学だから。

今まで特に何の目的もなく、そのときが楽しければいいと思ってきた俺が、高校3年の時点で将来のことなんか決められるはずがなかった。
適当な大学に入って、4年間遊んでようかとも思った。
親は俺になんか何も期待してない。
一応面目があるから多少名の通った4大には行って欲しいようだったけど、それさえクリアしていれば何も言うことはないようだったし。
友達にも、一緒に東京に行こうと誘われた。
東京で一人暮らし。それに惹かれないこともなかった。

けど、兄貴のあからさまな安堵の表情を見て、気が変わった。

「別にやりたいこともないし、とりあえず東京にでも出るかなぁ。」

医学部の最終学年に入った兄貴が、忙しい合間を縫って家に帰ってきた。
久しぶりの家族の団欒、と母親が腕を振るった料理を食べながら、話は俺の進路のことになって。
冗談めかしてそう言った俺に、父親はそんなことじゃいかんと窘め、その横で兄貴は―――あからさまに、ほっとしていた。


何?俺が医学部にでも入って、親父の病院を乗っ取るとでも思った?
あんたが継ぐはずの病院を。


兄貴は子供の頃からずっと優等生だった。
頑張って、頑張って、いい成績を取って、リーダーシップを取って、親や教師の期待に応えようと必死。
俺から見るとピエロみたいで、いつも人の顔色を窺っていて滑稽だった。
でも、周囲の人間はそんなこと気づかない。
ただ、上っ面だけの優秀な兄貴しか見ちゃいない。

そんな兄貴はいつも俺に対してビクビクしていた。
俺に全てを持っていかれるんじゃないかと不安で。
教師とか、親とか、周りの期待や関心を。

飽くまでオマケの俺は気楽なもんで、ろくに勉強なんかしたことがなかった。勉強したって誰かが褒めてくれるわけでもないし。
それなのに、何故か成績は悪くなかった。
まあ、そんなものは日ごろの生活態度と相殺されて、全然目立たなかったんだけど。

でも、兄貴にとっては、それは随分と脅威だったらしい。
いつか、俺に全て取って代わられるんじゃないか、なんて不安で不安で仕方なかった。
俺が見ている前ではいつも以上に優等生ぶりを発揮し、お前が何をしても無駄なのだと言わんばかり。

「お前も兄を見習ったらどうだ。」

親父がそう言う横で、兄貴はいつも優越感に浸って笑ってた。
馬鹿馬鹿しい。
ちょっとくらい頭が良くたって、そんなもん、何の意味も持たないのに。
最初から全てを与えられているあんたが、何で俺なんかにそんなにビクビクして必死になんのさ?
親だけでなく、祖父母の期待も愛情も、全部持っていって。
俺に与えられたのは、自由って言う名前の無関心だけ。
それはたぶん、どんなにあんたが落ちこぼれても、変わらないのに。

そうやって、常に俺に対して対抗意識を燃やしてくる兄貴に苛々して。
―――しまいには、だんだん可笑しくなってきて。


そんなに俺が気になるんなら、ずっと纏わりついてやるよ。
まだ、解放なんかしてやらない。


「色々考えたんだけどさ、医学部に入っておいた方が後々兄貴のサポートとか出来るかもしれないし、群大なら今から頑張れば何とかなりそうだし、俺、医学部に行くことにするわ。」

数ヵ月後、尤もらしくそんなことを言えば、親父はものすごく喜んだ。
たぶん、それは親父が密かに望んでいたことだったんだろう。
兄貴が病院を継いで院長になって、俺がそれをサポートする。
考えただけで反吐が出るけど。

「お前が考えたようにやればいいよ。」

兄貴は、そう言ったけど。
その表情は数ヶ月前のものとは似ても似つかなかった。
あんたって、ほんと、分かりやすくて楽しい。