闇 3




大学に入ってから三年、あいつがあんなに分かりやすい性格だったなんて初めて知った。

彼女の――― の前では、完全に仮面が剥がれ落ちる。
それを必死に付け直そうとすればするほど、ぼろぼろと崩れて行く。
今までにだって、こいつが素に近い状態になったところを見たことはある。
弟と一緒のときとか、小学校以来の友人と話しているときとか。
いつものお綺麗な笑顔じゃなくて、そいつらの前ではちゃんと笑っていて、何だ、この外面野郎でもこう言う顔するんじゃねぇか、なんて感心すると同時にちょっと面白くなかったりもした。

でも、そうじゃないよな。
この子の前だと―――そう言うんじゃないよな?


「ただの幼なじみだ。」


あからさまに苛々とした表情でそう言う高橋の前に立つ女の子。
そう、まだ女の子って感じだ。幼いって訳じゃないけど、まだ大人になりきってない、汚れてない、そんな感じだ。
でも、この意志の強そうな、頭の切れそうな、目と、口元。
俺はこのテの子に弱い。

高橋の幼なじみで、しかもこいつが密かに想いを寄せている女。
その点を差し引いたとしても、十分興味はあった。

隣りで黙ったままの男は気にせず、俺は彼女に話しかける。
彼女はそれに何の下心もなく素直に返事をする。
高橋ほどではないにしても、俺だってそれなりに大きい病院の息子である程度自由になる金は持ってるし、見た目も悪い方じゃない。
自惚れって言われちゃぁそれまでだけど。
女は俺に嫌われないように、気に入られるように、程度の差こそあれ人の顔色を伺うような目をして、言葉を選ぶ。
それは初対面でも変わらない。

けど、この子は高橋で免疫が出来ているせいなのか、まったく俺に興味がないのか、そういう空気をまったく感じなかった。
それが新鮮で嬉しかったりするんだが、これはこれで少し寂しい。
勝手だなぁ。
自分で自分に苦笑い。
駄目もとで飯に誘ったら、やっぱり断られた。

高橋のほっとした顔。
おいおい、そんな分かりやすくていいのかよ?
いつもの鉄仮面はどうした?
幼なじみに悪い虫がつかないように―――なんて、そんな嘘、誰か信じると思ってるのか?
信じてるのはお前自身だけだぜ?


夜の闇に消えて行く二つの背中。
その間にある距離は「幼なじみ」にしては随分と距離がある。
「恋人」には程遠い。
分からねーな、何でそんなに距離を作る?一体何があるって言うんだ?


数日後、彼女と病院の近くで会ったのは、本当に偶然だった。
高橋には「ストーカーしちゃおっかなぁ。」なんて言ったけど、生憎俺にはそんな趣味はない。
たまに思い出して、帰りにちょっと病院の方を通ることはあったけど、さすがに待ち伏せまではしなかった。
でも、何となく、また会える気はしていた。
根拠は何もないんだけど。あれで終わり、って言う気がしなかった。
俺のそう言う勘は結構当たる。

「あれ?きみ、高橋の幼なじみちゃん。」
「あなたは・・・涼介さんのお友達さん?」

何とも間抜けな会話。
二人でちょっと笑い合って、自己紹介した。
そして、並んで歩きながら他愛ない会話を交わす。
笑顔の彼女は相変わらずの無関心っぷり。
男女の駆け引きなんて、まったく成り立ちやしない。

でも、いつもなら自分に興味のない女なんて相手するだけ無駄と、さっさと切り上げるのに。
何故か、このまま終わりにはしたくないような、終わらせてはいけないような、そんな気がする。
ねばれば堕ちるような相手じゃないだろう。
いや、堕ちる―――ことを期待しているのとは、違う気がする。
もちろん、出来ることならやりたいけど。俺も男だし。
でも今すぐやらせてくれるような女だったら興味ないよな。よく分かんね。
とりあえず、俺は自分のしたいようにやるしかない。

「これから帰るの?送ってくよ。」
「いえ、ここから遠いので。」
「高崎だろ?俺もあっちに用事があるからそのついでだって。」

―――なんて、大嘘。
こんなふうに女に対して食い下がるなんて、いつぐらいぶりだろう。
思わず自分に感心する。

「大丈夫、変なこと考えてないから。」

と言うのは8割は本当かな。
いや、7割か。
目の前の彼女が、ちょっとびっくりしたように目を大きくして、そして意外にも可笑しそうに笑い出した。

「そう言うことを警戒している訳ではないんですけど・・・自分で出来ることは自分でしなきゃ、と思って。」
「でも、人の好意に甘えるってことも大切でしょ。」

俺がそう言うと、また驚いたような顔。
なるほど、「警戒」って言うには俺に全然意識が向いてないなぁと思った。
あんな「いいお兄さん」の見本みたいな幼なじみがいながら、どうしてこう育っちゃうのか。

「きみって、けっこう甘え下手?」
「・・・よく言われます。」

苦笑する彼女の方をぽんと叩き、駐車場へと歩き出す。
多少躊躇いながらも、その後について来る彼女に、俺は純粋に喜んだ。

この時点での、俺の関心は6対4くらいの割合。
彼女自身のことと、彼女を通した高橋のことと。