闇 13




「―――よく、分からない。」

片桐さんとはどうなってんだって聞いたとき、そう答えたあいつの顔には困惑の色が浮かんでいて、でも、翳りはなくて。
幸せそうにさえ、見えた。
そんな返事をする奴になんか、いつもの俺なら「お前遊ばれてんだよ、さっさと目ぇ覚ませよ。」って言うだろう。でも、その表情を見ていたら何も言えなくなった。
もし本当に相手にからかわれているだけなら、が気付かないわけないし、
それに何よりあの人の印象は、実は、悪くなかったんだ。




「やあ、きみが啓介くん?きみのことは毎日のように高橋から聞いてるよ。」

ずっと前、アニキとファミレスで待ち合わせしていたら、あの人がアニキと一緒に現れた。
嫌そうに渋い顔をするアニキの肩をポンポンと叩きながらニッコリ笑う男に、最初は何だこいつって思った。けど、アニキとのやり取りを見ていたら笑えて来て、気付いたらあの人のペースに巻き込まれてた。

見た目はどう見てもアニキの「学友」って感じじゃねぇんだ。
大学で、好んでアニキに近づいてくるタイプじゃない。
そう言う連中を見る機会なんて偶然すれ違うときぐらいしかなかったけど、何て言うか、みんなお利口そうな感じの奴ばかりだった。あの片桐って人だって、決して頭が悪そうとか言うんじゃない。いや、寧ろ話とかしてるとすげぇ頭がいいのは分かるんだけど―――勉強以外にも色々と楽しいことを知っている、って感じか。
アニキ自身も、他の奴らに対する態度とはちょっと違ってた。
大体、あからさまにああやって嫌そうな顔をすること自体珍しい。
史浩とかへの態度とも違うけど、でも、多少、本音を見せているような。
もし本当に嫌なら待ち合わせ場所になんか連れてこないだろう。
俺に紹介してもいいって思える程度には、この人に好意を持ってるんだな、と思った。

印象は悪くなかったんだ。
悔しいことに。




その日暇だった俺は、アニキと史浩の打ち合わせに押しかけて群大近くまで行った。
忙しい二人は話し合いを終えるとさっさと大学に戻っちまったが、俺は今さら大学の講義を受ける気にもならなくて、駐車場に止めてあった車の中でプカプカと煙草をふかしていた。
窓を全開にして肘をかける。
一本目を吸い終えて、そろそろ移動するかと煙草を灰皿に押し付けていると、どこかで聞いたことのある声。

「お、やっぱり啓介くんかー。」

ジャリ、と言う靴の音がすぐ隣りでして顔を上げると、そこには片桐さんが立っていた。
その後ろにいた友人らしき男たちが、好奇の目で車の中を覗き込んでくる。
俺が思わず顔を顰めると、片桐さんはそいつらを「先に行ってて」と手で払った。

「どうしたの、こんなとこで。あいつと待ち合わせ?」
「あ、いえ・・・。」

ついさっきまで会ってたのに、思わずそう曖昧に答えちまった。
周りからブラコンって言われてたまにムカつくこともあるけど、もう半ば開き直ってるところがある。
でもこの人にそう思われるのは、何となく癪だった。
―――って言っても、もうこの人の中には俺たちがブラコン兄弟だってインプットされちまってるんだろうけど。
そんなことを考えてつい不機嫌な顔になっちまった俺を見て、片桐さんが可笑しそうに笑う。
で、さらにムカついて不機嫌になる。悪循環だ。

「じゃあ、今暇なの?」
「はあ、まあ・・・。」

でも何となく、この人は撥ね退ける気にならない。
悪意を感じないって言うのもある。
昔見たときと変わらない、ちょっと嘘くさい笑顔。
でもこの人はわざと「嘘くさい」って俺に分かるように笑ってるような気もする。

「それじゃあさ、ちょっとお願いがあるんだけど。」
「え・・・何ですか?」
「きみのその車の助手席に乗せてくれない?」
「は?」

まったく予想もしなかった台詞で、俺はまじまじとその人の顔を見た。
でもただの冗談ではないようで、「乗っていい?」とナビシートの方を指差す。

「何でいきなり・・・さっきの友達っぽい人たちは放っといていいでんすか?」
「ああ別に心配ないよ。きみの運転見て今後の参考にさせてもらいたいと思ってさ。こう言う機会ってそうそうないだろ。」
「運転って・・・あんた、走り屋にでもなるんですか?」
「いや、俺の車オートマだし。」
「・・・・・・。」
「いいじゃん、難しく考えるなって。ただ赤城レッドサンズのナンバー2と言うきみの運転が見てみたいだけだよ。」

難しく考えるなって・・・あんた、むちゃくちゃ難しそうな奴じゃねぇか。
一体どう言うつもりだよ?
首を捻るけど考える暇もなく片桐さんが「じゃあ乗っちゃうよー。」と強引にドアを開ける。
俺は慌ててそこに放ってあった携帯をどかした。




好きな所に行ってくれと言われて、迷った挙句赤城の方へ向かった。
昼間だから無茶なことは出来ず、のんびりと走る。いい天気で、ファミリーカーや観光バスに混じって上っていく。
のどかって言うか健やかって言うか、そんな空気の中で、隣りに座っているのがあの片桐さんって言うのが変な感じだ。
いつも通り走っているつもりだけど、何となくどこか緊張してる。
気が付くと、手のひらにジワリと汗をかいていて、何だかアニキを横に乗せているときと似てる。

「やっぱ運転の上手い奴の隣りって気持ちいいよなー。」
「俺よりアニキの方が全然上手いですよ。」
「ああ、俺、高橋の車には出入禁止になっちまってるの。」
「え?」
「つい癖であいつの車の中で煙草吸っちゃってさー、般若みたいな顔で睨まれて以来触ることも許されないの。」

ケツの穴がちっちぇーよなぁ、とケタケタ笑う人を横に、俺の手にはさらにジンワリと汗が滲む。
あのアニキの車に乗って煙草吸うなんて・・・その神経がすげぇ。

「あいつって、車に関してはものすごくストレートだよな。」
「・・・そうっすかね。」
「他の事に関してはウダウダと回りくどいのにさー。」
「他のこと?」
「そう。」

チラリと横を見たけど、片桐さんは窓枠に肘をかけて外を眺めている。
具体的にどんなことなのかは、あまり言う気がないらしい。
のこと―――か?
俺にはそれくらいしか思い浮かばない。片桐さんとが二人で歩いてたシーンと、あの夜のアニキとの言い合いのシーンと、その二つの印象ばかりが強いせいかもしれないけど。
大沼の方の駐車場に車を止めて、片桐さんが缶コーヒーを買って一本を俺に渡してくれた。

「たまには男二人でこう言う所に来るのもいいねぇ。」
「そうですかぁ?」
「あ、何だよ、啓介くんは俺じゃあ不満?ならその辺でマダムでもナンパしてみる?」
「いえ・・・遠慮しときます。」

キョロキョロと「マダム」を物色し始めた片桐さんに背を向けて、プシュと缶のプルタブを開ける。
背後でクスクスと言う笑い声と、缶を開ける音。
この人といるのは―――何つーか、純粋に楽しめる。
緊張はするんだけど、変な気は使わないでいいし、色々余計なことを考えなくていい。
で、その楽しいのについ流されて、この人の本当の意図に気付かないまま過ぎちまう。
まあいいか、なんて思っちまう。

まさか、本当に俺とドライブがしたかったって言うんじゃないよな。
やっぱりのこと―――なのか?
少なくとも、俺はあいつとのことが気になってる。
アニキは放っておけって言うけど、俺にはどうしても無関心にはなれない。

でも、確かめたところでどうだって言うんだろう。
ちゃんと真面目に考えてるって答えを聞いて安心したいのか。
実はちょっと手を出してみたかっただけだって打ち明けられて、殴りつけたいのか。
分かんないけど―――このままじゃすっきりしない。

「あの―――」
「きみはさぁ、犬とか猫とか、好き?」
「は?」
「家では飼ってないんだよね。動物とかって可愛いと思う?」
「は、はあ・・・まあ。」

この人は突然何を言い出すんだろう。
よく分からないまま首を捻り、片桐さんの視線の先に目をやると、少し離れた所に毛づくろいをしている猫がいた。
売店で飼ってるのか、ただの野良猫なのか。
「可愛いよねぇ。」と笑う片桐さん。その笑顔は―――やっぱり、ちょっと偽者っぽいような気もする。

「きみって結構、自分より弱いものには優しいタイプだよね。」
「そうですか?」
「じゃあ例えば、雨が降っている中に仔猫が捨てられてたらどうする?」
「それはまあ・・・とりあえず家に連れて帰ると思いますけど。」
「ふぅん。きみと一緒にいた奴が『どうせ飼えないんだからやめておけ』って止めても?」

俺は頷く。
昔、小学生の2、3年の頃に似たような経験があった。
友達の家から帰る途中に仔猫が捨てられてて、にゃーにゃー泣いてて、可哀想だからつい家に連れて帰っちまった。
でもアニキに説得されて、仕方なく、ミルクをやった後で元の場所に戻した。
今考えればしょうがねぇんだ。うちでペットを飼えないのは分かってる。
でも、あん時はむちゃくちゃアニキのことを責めた。
ガキだったから、本当はアニキもつらかったなんて、気付くこともできなくて。

「でもさ、本当はその猫は、きみじゃなくて、その一緒にいた奴に助けて貰いたかったんだって気付いたら、どうする?」
「・・・え?」
「ま、例えばの話。」

やっぱり笑ったまま、煙草を取り出しながらそう言う。
猫にも選択する権利はある、ってことなんだろうか?
遠くで座ったままの猫を眺めながら、戸惑いながらも俺は思った通りを口にした。

「そいつに、飼ってやってくれって言うんじゃないですかね。」
「本当に?」
「え・・・はい。」
「すっごく可愛くて、沢山ミルクあげて、一緒に寝ちゃったりした後でも?」

片桐さんが、煙草を咥えて口の端を歪ませる。
それって偽善者だろ?
そう言わんばかりの目つき。
確かに、そんな気がする。猫のことを考えてやれば、俺がどんなに可愛いと思っても、そいつに渡すべきだ。
でも、それは上辺だけの回答で。本当は、誰にも渡したくなんかないだろう。

「・・・気付かないふり、するんじゃないですかね。」

猫の気持ちには。
本音を吐いた俺は何となくバツが悪くて、ポケットから煙草を取り出す。
一本口に咥えると、片桐さんが火を貸してくれた。「俺も同意見だよ。」と、にっこり笑って。

「気付かないふりして、そいつには会わせないようにして。それでも駄目なら―――」

吸い終えた煙草を、靴の底で捻り消す。

「―――どうしようか?」

笑って俺を振り返る。
そして俺の返事を待たずに「そろそろ帰ろうかー。」と車に乗り込む。
返事を待たれても、俺にはどう答えればいいかなんて分からなかったから、それでよかったんだけど。
片桐さんを元の場所まで送るまでの間、他愛ない会話が続く。

この人と一緒にいるのは、純粋に、楽しい。
その心地よい楽しさに引きずられて―――何も、はっきりしないまま。


深く考えるなって言ったけど。


仔猫って、まさか、あいつのことじゃないよな?



駄目だったら―――どうするって?