deception 1




もバトルのメンバーに入れてるから。」
「はあ!?」

寝耳に水とは、まさにこのこと。
思わず地声に近い高めの声を出してしまい、慌てて「何言ってるんですか」と低い声で言い直す。

「何事も経験だって。お前、タイムは大分縮まってきたし、まあ、試しにやってみろ。」

この峠で最速といわれる男、田中がぽんぽんとの肩を叩きながら笑って言った。
流されやすいも、さすがにこれは「はあ、そうですか」と受けるわけには行かない。
「むりむりむり」と首をブルブルと何度も横に振った。

群馬の北のほうにある、小さな峠道。
が毎晩のように通うようになってから、半年くらいになる。
初めは日付が変わる頃から明け方まで、ガソリンがなくなるまで走った。
バイト代は、ガソリン代とオイル代に消えていく。
初めは殆ど車から降りることがなかったので、暫くは黙々と一人で走っていたが、ある日車から降りてタイヤのチェックをしているところを、田中に話しかけられた。
その時にダボダボの服を着て、キャップを被っていたせいか男と勘違いされ、今まで特にそれを否定せず現在に至る。
一度話しかけてからは、田中はが峠に現れるたびに、声をかけるようになった。

田中の横を車で通過する時、自分の方を見て手を上げられては無視しきれない。
は時折車から降りて一言二言話をするようになり、今ではその会話の大半は雑談だ。

「ちょっとタイム計ってみないか。」と言われたのは、一ヶ月前。
せっかく走っているなら、自分がどれ位の速さなのか知っておくのもいいだろうと言われ、もまあその通りだな、と思った。
田中の仲間に計ってもらうことで自分のタイムがこの峠の走り屋のほぼ全員に知られるのはかなり恥ずかしかったが、代わりに他の人のタイムを知ることが出来る。

その時の自分のタイムは中の上程度。
約半年でこの位置に立つことが出来たのは、一年前から月一ペースで通っているジムカーナと、昔からよく行ったカートのおかげか。
タイヤが勿体無いから、あまりドリフトはしたくないと言ったら、田中は、自分の下りのタイムを抜いたらスポンサーになってやると言った。
ただの冗談だとは分かっていたが、それからの目下の目標は田中のタイムである。


「相手は、誰なんですか?」
「赤城のレッドサンズってチームがあるの、知ってるか?そこの二軍。たまに交流戦やるんだよ。年に二三回。」
「交流戦?」
「そう。上りと下りで何組かバトルすんの。」
「二軍なんてあるんですか・・・速いんですか?」
「そのチーム?速いよ、すげぇ。二軍だから俺様にかかれば大したことないけどな。でも、普通に速いぜ。」
「ふーん。」
「少しは興味湧いてきたか?」

ニヤリと笑う田中に、とんでもない、と再びは首を振る。

「バトルは来週の日曜だ。今日と明日、練習させてくれって連絡あったから、たぶん、もうじき何台か来るんじゃないか?」
「・・・じゃあ、俺は帰ります。」
「何だ、敵前逃亡か。」
「変なこと言わないでください。」

茶化すように言って笑う田中を、キッと睨む。
しかしそんなの睨みなど気にすることなく、「見るまでもなく余裕か?」と更に意地悪い問いかけ。

「俺、バトルなんかしませんよ。」
「まあまあ、とりあえず、他の奴がどう走るのか見るのも楽しいだろ?どうせなら高橋涼介の走りを見られるといいんだけどなあ。あ、今度赤城行ってみるか?」
「誰ですか、それ。」
「おお、赤城の白い彗星を『それ』呼ばわりか!」
「シャアですか。」
「ぜひ今度本人を前に言ってみてくれ。」

そんないつもと同じく終わりの知れない会話を続けていると、麓から何台かのエンジン音が重なって聞こえてきた。
「噂の」レッドサンズが現れたことで、小さな峠にも僅かばかり緊張が走る。
FR車が5台、最後尾にと同じNAロードスターが見えた。

「じゃあ俺、本当に帰りますから。」

たちの前で車が止まり、そこから人が降りて来るのが見えて、は慌てて自分の車に戻ろうとする。
一応男として通っているので、無闇と峠で人と会うことは避けたい。
そうは言っても、田中や他の峠の常連とも普通に顔を合わせている時点で、その性別をどうしても隠さなければいけないと言う必死さはないのだが。

「そんなに急いで帰んなって。挨拶ぐらいして行けよ。来週世話になるんだから。」
「なりません。」

田中の言葉が終わらないうちに、は速攻拒絶する。
しかしそんなやり取りをしているうちに、先ほど車から降りた男たちが、自分たちの目の前に来てしまった。
ここまで来て、まったく無視して帰るのも気が引け、はキャップを深く被りなおす。
先頭を歩いていた男が、田中に向かって挨拶代わりに手を上げた。
と同じ車に乗っている男だ。
その見た目は、ちょっと育ちのいい坊ちゃんと言う感じで、あまり峠の走り屋と言うイメージではない。

「久しぶりだな、田中。今日は悪いけどちょっとコース借りるよ。」
「ああ、思う存分走ってくれ。ま、こっちも気にせず走らせてもらうけどさ。」

親しげな口調。
その男はチームの広報担当で、交流戦の窓口になっているのが彼らしい。

「こっちは。期待の新人ってとこだな。」
「違います。」
「来週は下り担当だから。」
「担当しませんて。」

田中による紹介を、悉く否定する。
そのテンポが妙に小気味よくて、広報担当の男、史浩は思わず吹き出した。

「新人ってことは、まだ、あまり走ってないの?」
「ここに来るようになってからは、まだ半年です。」
「でも毎晩走ってるんだぜ?ここ来る前からジムカーナやったりしてるだろ。タイムも、古参連中にはまだ敵わないけど、お前たちの二軍相手なら、結構いい勝負が出来ると思うぜ?」

田中は、どうしてもを「期待の新人」と言う位置に留めたいらしい。
買い被りだ、とは心の中で肩をすくめる。
たとえタイムがある程度よかったとしても、タイムトライアルとバトルは別物だ。
自分が誰かとバトルする姿など、まだ想像もつかない。

―――この人も、バトルとかするのかな。

はふと、自分と同じ車に乗る男を見上げる。
穏やかそうに見えて、実は車に乗ると人格が変わるとか?
そんなことを考えながらじっと見ていると、思わず本人と目が合いそうになり、慌てて目を伏せた。

「田中が言うなら、腕は確かなんだろうな。来週楽しみにしているよ。」
「おう、期待してもらっていいぜ。」
「ちょっと、勝手なこと言わないでください。」

これ以上ここにいても、いいことはなさそうだ。
本当にバトルする羽目になってしまうかもしれない。
「俺、出ませんからね!」と最後に言い残し、田中から反応が帰ってくる前に、逃げるようにして自分の車に乗り込んだ。

「最初はあんなモンだよな。やっぱり怖い。けど一度経験すると、やみつきになるんだよなぁ。」

走り去るロードスターを目で追いながら、田中はうんうんと頷いて言う。
史浩は、それは人によるだろう、と思ったが、特にツッコミはしなかった。

「随分気に入ってるようじゃないか。」
「真面目で愛想悪いからさー、ついつい構いたくなるんだよ。」
「・・・それって、余計なお世話とか言うやつか。」
「だって、可愛いだろ。」
「可愛いって・・・男だろ。」
「―――ん?男だぜ?」

田中の一瞬の間は気にせず、史浩は「男に『可愛い』はないだろ。」と妙に真面目なような、的外れないような反応を返した。