deception 6




「準備はいいか?」
「はい。」

窓を開け、史浩に向かって頷くを、ケンタは自分の車の中からじっと見る。
さっきから線が細いとは思っていたけれど、帽子を取ってはっきり見えるようになった顔は、さらに女のようだ。
しかし飽くまで「女みたい」と思うだけで、「女か?」と疑うまでには至らない。
女なら、涼介や啓介にあんな態度を取るはずがない。
ケンタの根拠はそんなところにある。

「アニキ、もしかして二人の後をついて行く気か?」

セルを回し、3点の方のベルトを締める涼介に、一応啓介は聞いてみる。
後ろに取り付けられたビデオカメラは、当然のように電源がオンになっている。

「―――隣りで見ていて、あいつの運転はどうだった?」

史浩のカウントとともに、前の2台がスタートする。
涼介もサイドブレーキを下ろし、ゆったりと発進させた。
いつでも追いつけるという余裕。
前の2台はほぼ同時に発進し、そのまま並んでコーナー入り口まで突き進んだ。

「あ、何だよあいつ。引いちまいやんの。」
「バトル慣れしてない証拠だろ。」

二人の過ぎたコーナーに、涼介も続く。
前に追いつかないようにとアクセルを少し緩めた。
目の前を走るの車にも、まだ余裕が窺える。

「あいつの運転ねぇ―――なんつーか、そうだな、普通のドライブみてぇ。遅いってワケじゃねぇんだけど、怖くねぇよな。」
「自分の予測の範囲内でしかコントロール出来ていないんだろうな。」

まあ丁寧なのは悪いことじゃない、と涼介は小さく笑う。
栃木のどこかをホームコースにしている奴と、どこか似ている。
地味で多少面白みに欠ける―――が、うまくすれば化けることも可能だ。

しかし、涼介も自分が何故こんなにもに興味が湧いてきたのかよく分からない。
―――確かに、面白い奴ではあるが。
自分ほどではないが、とっつきにくいと言われる弟の啓介に、初対面であれほど親しくなれる奴も珍しい。

そんなことを考えていると、はヘアピン入り口で車をスライドさせ、クルリと向きを変えた。

「へえ、あいつ上手いじゃん。」
「ジムカーナの賜物かな。」

お釣りを貰わず、上手く脱出した。
ケンタの車が邪魔なのか、ラインをグイッと内側に変える。
そうはさせるかと、ケンタの方もラインを内側に取る。

は目の前のテールランプを必死に追いかける。
ちょっとスピードの乗るコーナーでは、入り口から車を横に滑らせて殆ど乱れることなく抜けていくケンタに、ちょっと感動する。
しかし低速コーナーでは、の方が出口で少しアクセルを開けるタイミングが速いため、ケンタの車が妨げとなって消化不良だ。
思ったより差は開かない。
あっという間に置いて行かれることを覚悟していたには、ちょっと意外だった。
実はこの時点で、は自分の区間ベストを全て大幅に更新している。

「―――やっぱり、レッドサンズって速いんだ。」

目の前を走る男は、このコースを殆ど走ったことがないはずだ。
それなのにはついて行くのに精一杯だった。

「・・・たまにラインおかしい所があるけど。」

そう呟く
同じ頃、後ろのFCの中でも「おい、ケンタちょっとラインおかしくねぇ?」とか評されている。

「でも全然抜ける気がしないよー!」

ゴクン、とシフトアップしながら叫ぶ。
コーナーで内側にノーズを突っ込んでも、きついRに加速が出来ない。
ラインを左右に振って抜けるタイミングを探るが、パワーのないNAロードスターが前に出られるチャンスと言うのが皆目見当つかない。
しかしそれらのの動きは、しっかりケンタにプレッシャーを与えていた。

コーナーは、あと5つ。

あと5つのうちに何とか抜かないと、3台分の洗車が待っている。
しかも3台とも自分の車より遥かに大きいところが腹立たしい。
ヘアピン出口。
ケンタより一足早く車の向きを立て直したは、アウトから被せて行く。

「おー、切れてきてる、切れてきてる。もうじきゴールだから焦ってんな。」
「まだ物足りないけどな。」

結局アウトからも無理だと諦めて、は後ろに引き下がる。
次のコーナーが迫る。

「―――あれ、それ、ちょっと突っ込み過ぎじゃねぇ?」
「いや、ケンタの方がオーバースピードだ。」

涼介はアクセルを緩める。

「うわっ!曲がれねー!」

ガードレールにぶつかるよりはマシと、ケンタはスピンで逃げる。
そしての車のライトが目に飛び込んできた。

ぶつかんなよっ!!

心の中で祈りながら、逆ハンを切る。


「えぇぇっ!」

目の前で回り出すオレンジの車。
普段も前に走っている車がスピンするなんて事は日常茶飯事だけれど、今はもオーバースピード気味で車をコントロールしきれない。
アンダーステアで前輪が滑る。
前の車を心配する以前に、自分もガードレールにぶつかりそうである。

「きゃーっ!曲がってー!!」

も祈る気持ちでステアリングを握る。
コツン、と言う僅かな衝撃と共に、の車は何とかそこを切り抜けた。



涼介達がゴール地点に行くと、は自分の車の横にしゃがみ込み、ガクリと肩を落としていた。
その視線の先には、今さっきガードレールで擦った後。
―――修ちゃんに怒られる・・・。
静かに怒りに震える幼なじみの顔が目に浮かぶ。

「んだよ、それ位なら名誉の負傷だろ。」

人の気も知らず、啓介がの背後で笑いながら言う。

「俺の車に付いてるのと同じステッカーで隠しちまえば分からねぇよ。」
「ステッカー?」
「ほら、アニキの車の後ろにも付いてるヤツ。」

振り返って涼介のFCを見ると、そこにはレッドサンズの赤いステッカー。
傷を隠すには大き過ぎる。

「・・・傷でいいです。」
「ほんっとに、お前ってムカつくな。」
「じゃあ、知り合いを紹介してやろうか?」

苦笑しながら、涼介が続ける。
涼介の知り合いの自動車工場―――と言えば、十中八九松本のことである。
はぶるぶると勢いよく首を横に振った。

「大丈夫です。これくらい大したことない・・・です・・・たぶん・・・。」

随分と頼りない様子。
少し遅れてケンタの車が下りてきた。
車から降り、足取り重く涼介達のもとへとやって来る。

「・・・すいませんでした。」

下げた頭を恐る恐る上げると、恐ろしく綺麗な涼介の笑み。

「せっかく一軍に上がったのに、残念だな。」

―――え、それって・・・。

その意味を聞くまでもない。
ケンタはやり場のない悔しさを、とりあえず近くにいたに向け、恨めしげに睨んだ。




「―――じゃあ、いつにする?」
「え?」

啓介の台詞の意味が分からず、は首を傾げる。

「洗車だよ、洗車!お前が勝ったらやってやるって言っただろ。」
「えっ!いいですよ、べつに。」
「ばーか。それじゃあ俺が嘘ついたみてぇじゃねぇか。約束は約束だ、洗ってやるよ。」
「ワックス付きでか?」
「アニキ、余計なオプション付けないでくれよっ!」

言葉は乱暴だが、嫌なヤツじゃない。
さっきのオフィシャルしたときも、をボロクソ言いながら、色々と気にかけてくれていた。
―――変な人だ。
口を「へ」の字に曲げて、腕組している男を見上げる。

「・・・じゃあ、来週の土曜とか。」
「土曜だな、よし。」
「ワックス付きで。」
「調子に乗んなよ。」

しっかりと田中にもフルードの約束を取り付け、は峠を後にする。

「何か、あいつ帽子被ってねぇと本当に女みたいだな。」
「そうか?」

車の傷のショックで、車から降りるときに帽子を被るのを忘れていた
啓介のその台詞に、胃をキリキリさせる史浩。
涼介はとぼけた返事を返しつつ、そんな史浩の様子を面白そうに観察していた。