deception 24
「こんな遠くまでごめんね。ありがとう、助かった。」
「―――いや。」
仕方がない。
最後の言葉は声に出さなかった。
涼介の目の前にいる女性は、自分の中で作れる一番綺麗な笑顔を作る。
その笑みには微かに媚びが滲んでいるのを感じ取り、こいつもか、と心の中でため息をついた。
涼介の方も負けず劣らずにっこりと麗美な笑みを作り、その女性を拒絶する。
同じ学部の男に、工学部にいる知り合いに届け物をして欲しいと頼まれた。
なぜ涼介にそんなことを依頼したのか、実は何かの企みだったのかもしれないが、涼介には知る由もないし、知りたいとも思わない。
普段そんな頼みを聞くことはないのだが、工学部のキャンパスと聞いて気まぐれを起こした。
そこに通う人物が頭に浮かんだからだ。
しかし一学部とは言え、広いキャンパス。
そうそうそんな偶然はないのかもしれない。
駐車場から、この学科棟までの道のりで、それらしき姿は見かけなかった。
あからさまにがっかりしている自分に呆れる。
「―――じゃあ、俺はこれで。」
「えっ!あ、待って!お礼にお茶でもどう?」
戻ろうとする涼介の腕を掴む。
これから用事があるからと断ると「ならこれを・・・」と鞄から青い包みを取り出した。
「さっきちょっと買って来たの。」とまるで何かのついでであるかのように言って差し出すが、その割には気合いの入った包装である。
「いや、別に俺はそんなつもりじゃなかったから。」
「そんな堅苦しく考えないで!」
強引に涼介の手に包みを押しつける。
ここでいちいち断るのも面倒だと思い、そのまま受取って駐車場に戻ることにした。
講義が終わったのか、さっきよりもすれ違う人の数が多い。
往生際悪く、またその姿を探し始める。
と二人のクラスメイトが歩いていたところに、もう一人のクラスメイトの男―――園田が走り寄る。
教室に置き忘れたと言っていた携帯を握りしめて。
その興奮した顔つきは、ここまで走って来たからというだけではなさそうだ。
「さっき向こうで高橋涼介見たぜ!」
「まじで!?」
「誰、それ?」
まさかここでその名前を耳にするとは思わなかったは、思わずビクリと肩を揺らす。
どこで?サイン貰っとこうかな?
そんな風に盛り上がる男二人に対して、一緒にいた女の子、林アキコは白けた声。
もその名を知らなければ同じような反応をしているだろう。
実際、最初は田中に対して同じ台詞を返したような気がする。
は窺うように二人の男を見る。
「あれ、でもあの人って医学部だろ?何でここにいるんだ?」
「そんなん知らないよ。何か用事でもあったんじゃないの?」
「俺たちが医学部に用があるなんてあり得ないけどな。」
「だ、か、ら。誰なのよ、その高橋なんとかって!」
楽しそうに話している男は二人とも走り屋ではない。
ドライブを趣味にする程度には車が好きだが、それくらいの人間でも高橋涼介の名前を知っているものなんだろうか。
しかも医学部ということまで知っている。
「林、知らないのか?峠のカリスマって呼ばれてる人でさ、顔よし頭よし育ちよしの三拍子で、もう、峠で見ると惚れるぜ!」
「何だか嘘くさい人だなぁ。」
アキコの反応にはつい吹き出してしまう。
確かに―――あの人はちょっと嘘みたいな存在だ。
ウソみたいにキレイで、ウソみたいに速い。
でも、手は確かに温かくて―――
は不意にその感触を思い出してしまい、その赤くなった顔を隠すために慌てて俯いた。
「どした、?」と首を傾げる園田に、はパタパタと手で顔を扇ぎながら、何でもないと首を横に振る。
「園田くんたちも、峠になんか・・・行くんだ。」
実は赤城にも来ているのだろうか。
は大学にバスで来ているので、クラスメイトは彼女が走り屋だということは知らない―――はずだ。
園田ともう一人の男、倉崎は顔を見合わせる。
「免許取り立ての時は結構行ったよな。」
「そうそう、あの頃は結構ハマってたし。でも最近は行かないなぁ。」
「ふうん・・・そうなんだ。」
「実はもそう言うの興味あるのか?今度一緒に行く?」
「ちょっと、を変なことに誘わないでよっ。」
男二人を睨むアキコに、は曖昧な笑み。
変なこと―――かぁ。
「あ、そうだ。、ちょっと買い物付き合ってくれない?」
「買い物?」
「来週の水着、買っちゃおうかなあと思って。はもう用意したの?」
「―――あ。」
「・・・忘れてたのね?」
責めるようなアキコの目つきから逃れようと、こそこそと倉崎の背中に回ろうとする。
その様子にクスクスと笑いながら、園田がアキコを見る。
「何、来週の水着って?」
「来週の日曜に二人で海に行く約束してるの。」
「えー?それなら誘ってくれればよかったのに。」
「また今度ね。」
「じゃあ水着選びは任せてよ。」
「買い物には付き合わなくていいから、お店まで送ってって。」
「・・・はいはい、アキコおじょうさま。」
園田は肩を竦め、ポケットに入っていた車の鍵をチャリ、と鳴らす。
―――でも、涼介さん、何の用事があったんだろう。
他愛のない会話で笑う三人からちょっと下がり、後ろを振り返る。
長い影が、の足元まで届いていた。
「。」
決して大きな声ではないのに、周囲の賑やかな話声にかき消されず、の耳元に響く。
そしての動きを閉じ込める。
「―――え、た、高橋涼介!?」
たった今まで噂していた相手が、目の前に立っていて、園田も倉崎も同じように動きを忘れたように立ち尽くす。
一体何事だと振りかえったアキコも、その姿に見とれてしまい、言葉を忘れた。
「よかった。会えないかと思ったよ。」
「・・・どうして、ここに?」
「ちょっと用事があったんだ。は今帰りか?一緒に帰らないか?」
流麗な笑みは、実は自分たち対しても向けられたものだということは、男二人は気付くことはない。
コクリと小さく頷くに、更に笑みを深くした。
「・・・ごめん、アキコ、買い物はまた今度。」
「あ、う、うん!じゃあまた明日とか付き合ってよ。」
「それじゃ・・・。」
申し訳なさそうに言うの台詞に、アキコはようやく言葉を思い出したようにニッコリと笑い、手をパタパタと振る。
も手を振って、涼介の方へ駆けて行くと、他の男二人もやっと動き出した。
「え・・・マジ・・・とあの人って知り合いだったのかよ。」
「なんだよ、先に言ってくれればいいのに。」
傾きかけてオレンジ色に変わった夕陽に照らされた、と涼介の背中を眺めながら、呟くように言う二人。
その横で、アキコは必死に緩む口元を押さえていた。
あれは「知り合い」なんて程度じゃないと思うけどな。
こう言うとき、女の勘は鋭い。
不意に隣りの涼介が、ふぅと息を吐いて自分の前髪をかき上げる。
さっきからあまり会話がなくて、何か怒っているのだろうか。
が首を傾げて見上げると、「何でもないんだ。」といつものように柔らかく笑う。
そして自分の服の袖を掴んでいるの手の指に触れた。
「何だか、いつも以上に細く見えるな。」
「え・・・そうですか?」
「そう言えば、こんなに腕を見せてるは、あまり見たことない気がする。」
するり、と指を絡ませて手を繋ぎ、そのまま下ろす。
今のは、淡いピンクのTシャツと、白のフレアスカート。
峠で見る姿とは全く正反対と言ってもいい。
化粧気のない顔はいつもと変わらないはずだけど、その服装のためか表情も女の子らしく見える。
まるで自分が知らない女の子のようだけれど―――その、恥ずかしそうに口を噤む表情は、自分の前でしか見せないことを知ってる。
「涼介さんが工学部に来ることって、あるんですね。」
「今日は知り合いに頼まれて届け物をしに来たんだ。ここに来たのは2回目くらいだよ。」
車のドアを開け、涼介は後ろに荷物を放る。
その時、青い包みがの目に入った。
その視線に気づき、運転席へ身をおさめながら僅かに肩を竦めた。
「さっき、その届け物をしたお礼に貰ったんだ。」
「これ、高崎の駅前に出来たお店の包みですね。」
「そうなのか?よく知ってるな。」
「この前、アキコと・・・友達と一緒に行ったから。」
やっぱり女の子なんだな。
涼介は笑うけれど、は複雑な表情。
こんな物をお礼に渡す人物は女性しか考えられない。
このお店はまだ出来たばかりで、しかも人気があって、チョコレート一つ買うにも結構並ばなくてはいけないのだ。
「よかったら、、持って帰るか?」
それを知ってか知らずか、涼介はサラリとそんなことを言う。
そんなこと、出来るわけない。
はぶるぶると首を振った。
「それは、だめです。・・・涼介さんが貰ったものなんですから。」
「けど、俺は甘いものは苦手だからな。」
「それでも・・・駄目です!」
頑なに首を振るを不審に思いながらも、エンジンを始動させ、車を発進させる。
スカートの布を掴むと、白い膝が覗く。
無言のままの。
さっきまでは涼介の口から出る言葉の数も少なかったが、の口数も減ってしまい、車内は沈黙に包まれる。
「―――どうした、。」
「どうも、しません。」
「そうは見えないぜ。」
自分の心がどんどんカチカチに固まっていくのを感じる。
こんな自分は嫌だと思いながらも、うまくコントロールが出来ない。
こう言うとき、大人の女の人って言うのは、どんな風に接するんだろうか。
考えても頭の中はごちゃごちゃと混乱するだけで、もちろん答えなど見つかるわけもない。
信号で停止する。
気が付くと、すでに陽は見えなくなって、空は紫色に変わってきている。
目を閉じてエンジンの音を聞く。
その中に涼介の声が響いた。
「―――クラスメイトと普通に会話をするくらい、当たり前のことなのにな。」
「え?」
目を開き隣りを見ると、やや自嘲気味に笑う涼介がこちらを向いている。
初めにの後ろ姿を見つけた時は、単純に、宝物を見つけたような気がしてうれしくなった。
けれど、彼女の笑顔の先にある人物が知らない男で、忽ちのうちにその気分が薄暗いものに変化する。
自分はこんなに嫉妬深い男だったのだろうか?
自身を窘めても抑えが利くものでもない。
俺以外に女の姿を見せるな。
俺以外にそんな顔を見せるな。
俺以外を見て笑うな。
愚かな要求であることは分かっている。
「けど、お前が他の男に向って笑っているところは、あまり見たくない。」
「そんな・・・涼介さんだって、女の人と会ってたんじゃないですか・・・?」
「―――?」
「だって、そのお菓子は女の人に貰ったんですよね・・・。」
届け物をすることくらいよくあるだろうし、女の人に何かを貰うことだって、涼介には日常茶飯事だろう。
そんなことにいちいち嫉妬していたらキリがない。
頭では分かっているけれど、どうしても、後ろにある青い包みが気になってしまう。
そんな自分が恥ずかしくて俯く。
発進する車の中に、今度は涼介のクスクスと言う笑い声。
「でもやきもち焼くんだな。何だかお前は飄々としたイメージがあるから、やきもちとか焼いてくれないのかと思ったよ。」
「・・・ごめんなさい。」
「謝ることじゃないだろう。俺はもっと嫉妬深いぜ。」
涼介の手がの膝に伸びる。
その小さい膝を撫で、だんだんと腿へと移動して行く。
はスカートの裾を直そうとするが、大きな手がそれを阻んだ。
「涼介さん・・・こんな所で、恥ずかしいです。」
「もう暗いから、外からは見られないよ。」
そう言って、更にその手の動きがエスカレートしていく。
は止めようとその手を掴むけれど、抵抗としては弱い。
滑らかな肌触りを愉しむ。
抵抗の少ないのをいいことに奥へと進む。
シフト操作のために手が離れると、のほっというため息が聞こえる。
でもまた意地悪がしたくて、更に奥へと手を伸ばすのだ。
「お前にこう言うことが出来るのは、俺だけだろう?」
「―――でも」
「違うのか?」
「違わないですけど・・・でも、やっぱり恥ずかしいから・・・」
訴えるようなの目。
その目が、逆に涼介を煽ることに、まだ気づいていないのだろうか。
「―――じゃあ、車の中じゃなければいいのか?」
の抵抗が完全に封じ込められるまで、あと少し。