deception 5




「こいつ、全然使えねぇ。」
「次からはバッチリです。」
「うわ、当てになんねー。」

からストップウォッチとトランシーバーをひょいと取り上げ、近くに立ってた同じチームの男に渡す。

「そう言えば、オフィシャルとかって、やったことなかったなぁ。」
「それ以前の問題だって。このメカオンチ。」

田中の言葉に即座にツッコミを返す啓介。
兄の方に向かうその後姿に向かって、は思い切り憎らしげな顔を作る。
―――と、クルリと啓介が後ろを振り向いた。
顔を急いで元に戻すが、時すでに遅し。
そんなをふふんと大げさに鼻で笑い、すたすたと涼介の方へと向かった。



「―――じゃあ俺、今日はもう帰ります。」

涼介の隣りにいた田中のもとへ行き、はそう言ってペコリと頭を下げた。
自分を避けるようにと、やたら遠回りして来た彼女に、啓介は少しむっとした表情をする。

「なんか物足りなくねぇ?まだ時間も早いしさ。」

兄に向かって言っているようで、周りの者全員に対して賛同を促すように大声を出す。
そして誰もが確かに・・・と頷いた。
バトルをした本人達はともかく、今日はデモ走行等も殆どなかったので、何となく皆不完全燃焼だ。

「そうだな、予定より1本少なかったし。」

その減った1本の主役を目の前にして、涼介もそう答える。
やっぱり、この人性格悪い。
嫌な方向に話が流れないうちに、すっ呆けて帰ってしまおうと走り出そうとする
しかし一瞬遅く、その腕を田中につかまれた。

「た、田中さんっ?」

振りほどこうとすると、更に強く掴まれる。

「じゃあ、お前たちは誰を出す?さっきの奴らより速い奴じゃなきゃ、こいつは出せないぜ?」

こいつって誰ですか!
精一杯田中を睨むが、当の本人は涼介達の方ばかり見ていてなど見ていない。

「じゃあ、俺やるよ。」

啓介が不敵な笑みを浮かべる。
さっき自分とやるのはまだ早いとかいってたクセにっ!
は啓介も必死に睨むが、やはりこちらもを見ていない。

「よし、相手に不足はないな。」
「俺の方に不足あり過ぎですよっ!!」
「じゃあ、こいつじゃなかったら、やるんだな?」

不意に出たの発言に、言質は取ったぜ、とばかりに田中はニヤリ。
何で、峠のトップとかって性格悪い人が多いんだっ。
は心の中で地団太を踏んだ。

「お前でもいいが、今日はやめておけ。」
「何でだよ?」

まあいいからと、涼介は弟を制し、代わりにすぐ近くに立っていた男を呼んだ。

「ケンタ、お前行けるか?」

名を呼ばれ、その男はジロリとを見る。
色、黒いな。
負けじとその男を見ながら、はそんなことを思う。

「俺、いけますよ。そいつがどれだけ速いのか知りませんけど、ブッチギリで勝ってやります。」

こんな女みたいな奴に負けてたまるかと、わざと挑発的な言葉を発する。
も思わずそれに乗りそうになったが、ここで迂闊なことを言ったら、それこそ田中の思う壺だと、寸前で思いとどまった。

「こいつはこの前一軍に上がったばかりなんだが、今日来ている中では啓介の次に速いぜ。」

涼介の言葉の「啓介の次」と言う所に、ケンタは満足げな表情をする。

「よし、じゃあ下り勝負な。、本気で行けよ。勝ったら今度フルード交換1回タダでやってやる。」

魅力があるのかないのか今いちよく分からない褒美に、は複雑な表情。

「フルード付きで?」
「・・・5000円までな。」
「やります。」

あんなに嫌がってたのに、5000円のブレーキフルードでアッサリやるのか。
敵も味方も思わず拍子抜けする。

「じゃあ、お前が負けたら洗車な。」
「なんでっ!?」

そんなバトル聞いたことがない。
しかも何故田中ではなく啓介が!?
俺と、アニキと、ケンタの3台分な、と勝手な提案を続ける啓介に、即座に異議を唱える。

「飴だけじゃ燃えねーだろ。やっぱり鞭もねぇと。」
「・・・じゃあ、俺が勝ったらあんたが俺の車洗ってくださいよ!」
「へーえ、勝つつもりなのか?いいぜ?『勝ったら』な。」

む、むかつく。
勝ったら、と言う所を殊更強調する啓介。
はそんな彼を正面から睨み、自分の車に乗り込んだ。

せ、洗車?そんなことを約束して大丈夫なのか?
後ろで史浩がブツブツと呟く。
何とか胃が無事なまま一日が終わったと思ったのに、最後の最後に大波が来てしまった。
2台の車をスタート地点に並べている間、涼介はチームの人間に指示して自分の車に何やら取り付けている。
何だろうと啓介が覗き込むと、後ろのほうに車載カメラが見えた。

「アニキ、カメラなんか取り付けてどうするんだ?」
「啓介、お前もそろそろ俺の車に乗ってろ。」

首を傾げ、よく分からないまま兄の車の助手席に乗り込んだ。


史浩が、とケンタの車の間に立つ。

―――レースもしたことないし、こういうスタートって初めてだ。

は4点ベルトをグイッと締め、ルームミラーの位置を確認する。
アクセルを吹かす。
手にびっしりと汗をかいていることに気づき、ジーンズでゴシゴシと拭った。
心臓がバクバク言っている。
いくら深呼吸してもおさまらない。

―――なんだろう、これ。

シフトを1速に入れる。

―――すごく、わくわくする。