deception 26




Tシャツ、スウェット姿のまま大きな欠伸をしながら啓介がリビングに行くと、涼介と史浩がソファに腰かけて話をしていた。
あまり緊張感のない二人の様子から、大事な話ではないのだろうな、と思いズカズカとその中へ入っていく。

「今頃起きたのか、啓介。」
「うるせーな、日曜の午前中からアニキに会いに来るような暇人の史浩にとやかく言われたくないね。」

憎まれ口を叩き、すぐ隣りにドカリと腰を下ろす啓介。
史浩は肩を竦めつつ、近くにあった灰皿を啓介の前に差し出した。
憎たらしいことを言いながらも、こういうときに「サンキュ」と小さく礼を言うことを忘れない。
100円ライターで煙草に火をつけ、肺まで煙を吸い込んだ。

「・・・あれ、この前まで持ってたジッポはどうしたんだ?」
「ああ・・・よく覚えてんな。あれ、どっか行っちまった。」
「またか!?ついこの前もなくしてなかったか?」
「・・・うるせーな。」

ジトリと史浩を睨むけれど、今いち迫力に欠ける。
無言の涼介の視線も痛い。
足を組んで、二人から視線をそむけた。
どうも、啓介は物をなくしやすい。それは部屋を見れば納得いくだろうか。
涼介や友人に貰ったものは滅多になくすことがないのだが、自分で買ったものや、よく知らない女の子から貰ったものは見事な位よくなくした。
この前まで使っていたジッポも、同じ大学の女の子がくれたものだった。
100円ライターを使っている啓介を見て、ジッポを送ろうと考える子が多いらしく、100円ライターを使ってはジッポを貰い、すぐそれをなくし、またすぐに100円ライター生活に戻る・・・ということの繰り返しだ。

「アニキも、何で日曜のこんな時間から史浩呼んでんだよ。デートとかねーの?デエトとか。」

わざとらしく投げやりに言って煙を吐き出す。
デート・・・あいつのイメージじゃない単語だよな。
それとも、やっぱりそう言うときはちゃんとそれらしくお洒落するんだろうか?
のことを思い浮かべ、そんなことを思う。

「生憎今日はそんな相手もいないんだ。」
「へえ・・・」

「今日は」ね。
ニヤリと笑う啓介に、涼介も意味深な笑みを返す。
その横で、何も知らない史浩は「寂しい奴らだなぁ」と呆れ顔。

「何だよ、じゃあ史浩はこれから彼女とでも会うのか?」
「俺が一人身なのは、いつものことだ。」
「・・・威張って言うなよ。」

ああ、海でも行きてぇ。
啓介は長い手を宙に放り、豪快に伸びをする。
狭い!狭いぞ!
史浩は抗議を唱えながら、隣りのソファへと移動する。
昔から変わらない光景に、涼介は笑いを堪えられない。

「今日はも海に行くらしいぜ。」
「へー、そうなんだ?」
「よく知ってるなー、涼介。」
「・・・まあ、たまたまな。」

ちらりと見せた、不満気な表情。
週末一緒に過ごそうと思ったら、既に彼女の方に予定が入っていてふられたのだろうか。
もしそうだとしたら、アニキの誘いを断るなんて大したモンだ。
―――いや、あいつなら平気で断りそうだ。
口を押さえる啓介を、史浩は「気持ち悪いな・・・」と訝しげに見る。

「いいなあ、海。俺も行きてー!海の家の焼きそば食いてー!」
「・・・結局、食いものか。」
「あー、ホントに食いたくなってきた。マジで海行かねぇ?」

啓介は自分が空腹だったことを思い出す。
あの焼きそばの匂いを想像し、本当に行きたくなってきた。
焼きそば7割、海2割、下心1割。
すくっと立ち上がる啓介に、史浩はおろおろし始める。
史浩は、啓介がのことを女だと知っていることを、知らない。
もし啓介が海でに鉢合わせたらどうしよう?
至極当然な心配だ。

「わざわざ焼きそばを食いに行くのか?男三人で?」
「いいじゃん、そう言うのも。馬鹿っぽくて青春って感じしねぇ?」
「そんな青春に付き合っている暇はないな。史浩と二人で行ってくれ。」
「お、俺は行くのか!?」
「わ!アニキつめてー!どうせ今日は大した用事ねーんだろ?行こうぜ!こう言うのは勢いが必要なんだよ!」

その場でTシャツを脱ぎ始める啓介。
勢いに乗り切れない二人。
確かに、今日は涼介にも大した用事はなかった。
チラリと視線を交わす涼介と史浩。

「―――お前が運転して行けよ、啓介。」
「涼介、本気か!?」
「確か親父の車が置いてあったよな。」
「し、しかもベンツか・・・!」
「あと―――行くなら茨城以外にしてくれ。」
「・・・は茨城に行ってるんだ?」
「そう言うことだ。」

脱ぎ捨てられたTシャツを啓介に投げ、立ちあがる涼介。
そして「そろそろ諦めろ」と、史浩の肩を叩いた。




「どうしたの、?」

直立不動のを不審に思い、アキコが追いかけてきたら、浮輪を握ったまま、顔が引き攣っている。
その視線の先を追ったけれど、特に目立った何かを見つけることは出来ない。
さすがに、遥か先の駐車場に止まった車から出てきた人影を見ていたことは気付かなかったらしい。

「もうちょっと、あっち行こうよ、アキコ。」
「ええ?でも、この辺が一番よくない?もうパラソル立ててもらっちゃったじゃん。」
「そうだけど・・・。」

はザバザバと海へと入り、浮輪に凭れながら顔だけを出す。
先ほどの車の方を見上げると、三人が砂浜の方に下りてくるのが見えた。
なぜあの三人がこんな所にいるのだろう。
照りつける強い日差し、熱い砂、潮の香り。
決して三人それぞれに対して不似合い―――とは言わないけれど、どう見ても違和感がある。

とアキコは、本当は茨城に行く予定だった。
今日の朝までその予定だった。
アキコの車で行くことは前から決まっていたのだが、彼女は信じられないくらいの方向音痴だったのだ。
高速に乗り、何故か「新潟方面」へ。
「違う、違う!」が叫んだときは既に遅し。
次の出口で一度出て戻ることも考えたけれど、「まあ、別に新潟でもいいんじゃない?」と笑って言うアキコの意見にも賛同してしまった。



「さっさと焼きそば食って帰るぞ。」
「ええ?まずは海入るでしょ。」
「・・・啓介、俺達三人がこの空間で異様な存在だということに気づかないのか・・・。」

史浩の台詞など全く気にする様子なく、啓介はどんどん砂浜の方へと下りて行く。
やっぱ海パン持ってくればよかったなーと砂を蹴る啓介に、涼介は諦めの境地か、自分のシャツのボタンを外すだけ。

「―――あれ、あなた、の・・・」

やはりこの格好は暑いな・・・と涼介が袖を捲っていると、後ろの方から女の声。
涼介と史浩、そして少し前を歩いていた啓介もその声の方向を振り返ると、見たことのない、水着姿の女の子。
いや、涼介は見たことがある。
大学で会ったときは髪を下ろしていたので、初めは気付かなかった。

「きみは・・・この前と一緒にいた子だね。」
「ああ!やっぱり、この前大学に来てた人ですよね!」

嬉しそうに言うアキコ。
それに対し涼介も笑みを返すが、内心納得がいかない。
昨日の電話では茨城に行くと言っていなかったか?

「あ、もしかしてを追いかけて来ちゃったんですか?ラブラブですね。」
「・・・いや、確か君たちは大洗の方に行くって聞いていたんだけど。」
「え、ええ、まあ、それは、今朝急きょ変更になったんですよ。あれ?じゃあ知らないで来たんですか?実はに内緒で海にナンパに来たとか?・・・って言う格好じゃないですよね。」

TシャツにGパン姿の啓介はともかく、他の二人は普通のシャツにスラックス。
とても海に来る格好には見えない。
アキコはそんな二人を見て、カラカラと明るく笑った。

あまり涼介の得意なタイプではないが、嫌いな性格ではない。
史浩も、その明るい笑い声に好感を覚える―――とか言っている場合じゃない。
ここにもいると言うことは、当然水着姿だろう。
さすがにそんな恰好のを「男」と誤魔化せるわけがない。
涼介の様子を窺うが、特に動揺した様子もない。
何か対策でもあるのか?

、あっちにいますよ。」
「いや、俺たちは焼きそばだけ食べに来たんだ。」
「ええ?焼きそばのためだけに、わざわざこんな所へ?そんなの、家でも作れるじゃないですか。」

涼介の話を冗談としか受け取れないアキコ。
「またまた、そんな〜」とか言ってまた可笑しそうに笑う。
本気の本気なのだが。
啓介は口を尖らせ、アキコを見る。

「アニキ、誰だよこいつ。」
「―――の友達だ。」
「お、おい、涼介!」
「・・・ふ〜ん、って下の名前、って言うんだ。」

あっさり答える涼介に史浩は青ざめるが、それに対して啓介の反応はあまりに普通だ。
拍子抜けした史浩が汗を拭う。

「・・・啓介、お前・・・」
「なに?・・・あー、とにかくさ、飯だよ飯!腹減った!」

さっきはまず海に入ると言っていたのに、今度はまっすぐ海の家へと向かう啓介。
その後に続きながら、史浩は涼介を肘で突いた。

「なあ、啓介も知ってたのか・・・?のこと。」
「そうみたいだな。」
「そうみたいって・・・おまえ・・・。」
「今さらだろう、もうチームの連中の殆どは知っているさ。特に一軍の奴は皆気づいてるよ。」

史浩は言い返さない。
彼もそれは何となく気づいていたのだろう。
眉根を寄せる彼の肩に、涼介はポンと手を乗せる。

「そんなにお前が胃をキリキリさせる必要はない。いざという時にフォローしてやればいい。」
「いざって、どんな時だよ?」
「さあな。」



「ほら、早く来て、。向こうに彼氏が待ってるよ!」

が浮輪に寄りかかって海に漂っていたら、アキコが待ち切れずにバシャバシャと中に入ってきて浮輪を掴んだ。
海の中から様子は見ていたので、ついさっきまでアキコが涼介たちと話をしていたのは知っている。
浮輪を引っ張られながら、なかなか立ち上がらない
こんな所に現れるなんて不意打ちだ・・・。
ぶつぶつと呟くが、水音に消されてしまう。

「ちょうど話を聞きたいって思ってたのよ。」
「・・・何を?」
の彼氏のことよ!あんなカッコいい彼氏がいるなんて、どうして内緒にしてたのよ?」
「別に内緒にしてたわけじゃ・・・」

あるけど。
のろのろとパーカーを羽織るの腕を、アキコはぐいぐいと引っ張り海の家の方へ連れて行こうとする。

「ほら、あそこ!」

アキコの指す先には、だるそうに海を眺めている涼介と史浩、そして焼きイカにかぶりつく啓介。
周囲の女の子たちがチラチラと見るのは、その三人が海水浴場に似つかわしくない格好をしているから、と言うだけではないだろう。
上着の裾を握りながら、アキコに引かれるまま三人のもとへと近づく。
そんな二人に気づいて、初めに顔を上げたのは啓介。
イカを手にしたまま口の端についたタレを指で拭い、をじっと見る。

「・・・どうも。」

のその挨拶の仕方は、いつもと変わらない。
けれど上着の裾を引っ張りながら恥ずかしそうに目を背ける様子は、やはり新鮮だ。
啓介の方も調子が狂う。
しかしそんな自分を知られるのは癪だ。

「お前でもウェストあるんだな。」
「・・・どういう意味ですか。」

答えずに、啓介は焼きイカの最後の一口を頬張る。
は納得いかず口を尖らせながらも、アキコに促されて椅子に腰を下ろす。
啓介にとって女の水着姿なんか別に今さら照れる程のものではないはずなのに、をまともに見られない。
それは史浩も同様だった。
ドット柄の水色のビキニで、友達のアキコとは違ってそれ程体の線が強調されているわけではないけれど、十分女の子で、何だか見てはいけないものを見ているような気がしてしまう。
どこからか手に入れた団扇を扇ぎながら、視界からその姿を隠そうとする。
そんな二人とは対照的に、涼介は全然いつもと変わらない。

「悪いな、お前の邪魔をするつもりはなかったんだ。啓介が海の家の焼きそばを食いたいと言い出してさ・・・。」
「え!まさか、それだけのために来たんですか?」
「・・・うるせーぞ、。」
「しかも忙しい涼介さんや史浩さんを巻き添えにするなんて・・・。」
「今日は二人とも暇だったんだよ!」
「まあ、確かに、今日は大した用事はなかったんだ。」

苦笑する涼介。
結果的に、啓介を一人で来させなくてよかったと密かに思う。
じっと見る涼介の視線から逃れるように、啓介からかき氷を奪う
赤くなる彼女を初々しいなあと眺めながら、アキコはその肩をツンツンと突いた。

「ちょっと、紹介してよ。」
「えっ!あ、そうだよね・・・。あの、この子は同じクラスのアキコです。・・・で、涼介さんと・・・弟の啓介さんと、史浩さん。」

三人を何と言って紹介したらいいのか分からず、妙にしどろもどろになってしまう。
別に、アキコには本当のことを知られても構わないと思っている。
けれど、何となく思いきれない。
そんな彼女を訝しく思いながら、アキコは直接涼介に話しかけた。

「涼介さんって、医学部なんですよね?どうやってと知り合ったんですか?」
「ああ・・・趣味のサークルみたいなものでね。」
「サークル?、学外でそんなの入ってたの?」
「え?ええと・・・うん、まあ・・・。」

涼介の言葉に、啓介は思わず焼きそばを吹き出しそうになった。
趣味のサークル・・・。
まあ、確かにそう言えなくはない。

「何のサークル?」
「うー・・・んと・・・」
「旅行サークルですよ、近場の山を転々とする―――」
「ふーん。そのサークル、私も入れるんですか?」
「残念ながら、サークル自体はもう解散してしまったんです。」

どんなきっかけでそのサークルを作ることになったとか、ありもしない話が涼介の口からどんどん出てくる。
若干無理があるんじゃないかと思いつつも、史浩は後から後から話を思いつく涼介に感心してしまう。
もポカンと口を開けたまま、二人の会話を聞いていた。
―――涼介さんて、ウソつくの上手いよな・・・。
その嘘に助けられながらも、何となく複雑な気分だ。

「それにしても、も付き合っている人がいるなら教えてくれればいいのに、水臭いったら。」
「つ、付き合ってる!?」

アキコの台詞に一人反応したのは史浩だ。
その彼の視線を避けようと、ぱっと顔を背けてラムネを飲む
啓介は何の反応も示さずに、変わらずガツガツと焼きそばを口に運ぶ。

「あれ?知らなかったんですか?」
「おい、本当なのか、涼介!」

史浩はテーブルに身を乗り出して涼介に詰め寄る。
涼介がを気に入っていることは、もちろん知っていた。
峠以外の場所で、それは女の子に対する扱いじゃないか?と思うようなシーンもあった。
けれど付き合っている―――というのは想定外だ。
が「男のふり」をする手助けをするのが当初の目的だったが、最近は何となくに悪い虫がつくのを防ぐのが自分の役割のような気がしていた。
それなのに、こんなすぐ身近でその役割を危うくさせるような事態になっていたとは。
―――いや、別に涼介を「悪い虫」とまでは思っていないが。

「付き合い始めたのは、つい最近だ。」

―――認めたな。
啓介は顔を上げないまま、そんなことを思う。
あの飲み会からもう随分と経っていて、そう言うことになっているのだろうと思ってはいたけれど、当然のことながら二人が外に向けてそれを示すことはなかった。
を突いても、「そんなんじゃありません!」と力いっぱい否定する。
その顔はいつも赤くて、今いち説得力には欠けていたけれど。
実際本人の口からその事実を突きつけられると―――結構、きつい。
誤魔化すように、コーラを一気飲みした。

涼介の発言に、史浩は一瞬言葉をなくす。
その間に、涼介は啓介がすべて食べ終わったのを見て立ち上がった。

「啓介も食い終わったみたいだし、そろそろ帰るか。」
「え!本当にこれだけで帰っちゃうんですか!?もったいない、海にも入ればいいのに!」

啓介も無言で立ち上がる。
今日の啓介は、随分口数が少ない。
何か怒っているのだろうか?
が見上げると、啓介はそんなの気持ちに気づいたのかどうか、ニヤリと笑って、やっぱり無言でクシャクシャと髪を撫でた。

「じゃあな、!あんまり冷てぇモン食い過ぎて、腹壊すなよ!」

背中を向けたまま、いつもどおりの台詞を吐く啓介。
はほっとしながらも、うまく反撃できず、口を尖らせたまま乱れた髪を直した。
呆然としていた史浩が、啓介の声に目が覚めたように慌てて立ち上がる。

「ほら、行くぞ、史浩。」
「あ、ああ・・・。」

本当に帰っちゃうの?と信じられないような顔をするアキコに、涼介は簡単な挨拶を済ませて、先を歩く二人に続く。
そして、ラムネを握りしめたままのの耳元に顔を寄せた。

「―――今度は二人で来ような。」

忽ち顔を赤くするに微笑し、駐車場へと戻る。
車に乗り込む三人を見送りながら、アキコは呆れた声。

「ホントに焼きそば食べただけで帰っちゃうんだ・・・。変な人たちだね・・・顔はカッコいいのに。」

うわ、しかもベンツって何?
遠目からでも、その車が高級車種だと分かる。
わざとらしく仰け反るアキコを、後ろから支える




「あーあ、結局海入らなかったよ。」

頬杖をつきながら、啓介は不満そうにステアリングを握る。
思ったより早く切り上げられ、史浩はちょっと安堵しながらも、衝撃の事実を知ってしまい複雑な気分だ。
助手席に座る涼介を見ながら小さくため息をつく。
今さら何かを追及する気にはなれない。

「今度また水着持って来ようぜ。」
「・・・またこのメンツでか?」
「それもいいけど、チームの連中とか。」

その「連中」には、も含まれているのか。
―――啓介の企むような笑みを見れば、一目瞭然とも言える。
さっきはマトモに見れなかったのにな。
その突っ込みは、涼介の心の中にだけしまっておく。

「海に遠征するのか?むさくるしそうだなぁ。」
「いーんじゃねぇの?旅行サークルとしては。」
「・・・言うじゃないか、啓介。」

クスリと笑って運転席に視線を向ける涼介は、さっきまで灼熱の砂浜にいたとは思えないような涼しげな顔。
啓介は何となく悔しくなって、アクセルを踏み込んだ。