deception 4




一方、のほうは密閉された空間に知らない男と二人、などと全く意識することなく淡々とステアリングを握る。
エンジンはレブリミットの6割〜8割を行ったり来たり。
変速ショックは全くと言っていいほど感じることはなく、ロールも殆どしていない。
隣りに人が乗っているから丁寧な運転をしているのだろうが、この延長上に「期待の新人」と言わしめるものがあるのか、啓介には今いち想像がつかない。

隣りの奴に速いところを見せ付けてやろうとか思わねぇのか?
ありがちな顕示欲が全く感じられず、ちょっと不満だ。
とは言え、そんなものを前面に押し出しては大概失敗するものである。
そして「馬鹿じゃねぇの」と思うのが常だが、しかし全然ないのも物足りない。

「なあ、お前、ちょっと攻めてみろよ。」
「は?」

ちょっと帰りに牛丼食って帰ろうぜ、みたいな口調の啓介の台詞に、は素っ頓狂な声を上げる。
いきなり何を言い出すんだ、この人は。
チラリと訝しげな目を向ける。

「やですよ。ただの移動なのに。」
「いいじゃねぇか。今コースクリアだぜ。」
「やです。助手席重いし。」
「・・・やっぱ、てめぇムカつく奴だな。」

の毒舌に啓介もつい「てめぇ」呼ばわりする。

「次のコーナー2つでいいよ。本気出してみろよ。出さねぇと・・・」
「出さないと?」
「暴れるぞ」
「何だよ、それ!」

うるせぇ、とにかく行け!
そう言いながら今にも暴れだしそうな啓介。
んなムチャクチャな。
は理不尽な要求に口を尖らせるが、隣りの男は本当に何をしでかすか分からないので、はぁと息を吐き、覚悟を決めた。

「俺、人を乗せて攻めたことないんですけど。」
「うだうだ言ってるうちに、もうコーナー近づいてんぞ。」

その啓介の言葉に、は半ばやけくそ気味にシフトを落とし、アクセルを一気に底まで踏んだ。
レブに当たり、素早くシフトを3速に上げる。
次の瞬間にはフルブレーキ。

啓介の体がぐっと前に押し出される。
NAってこんなにブレーキの効きがいいのかと感心する間もなく、今度は体が横に引っ張られる。
思わず足を踏ん張ると、次にはシートが体に押し付けられた。
パワーはないので―――おまけに助手席が重いこともあり―――加速によるGには物足りなさが残るが、その動きの変化は恐ろしくスムーズで―――気持ちいい。
次のコーナーも一気に抜ける。
タイヤは後輪を僅かに滑らせるだけで走り自体にそんなに派手さはないが、その心地よいGと高回転の保たれたエキゾースト音に、啓介は思わずひゅう、と口笛を吹いた。

「もっと行っちまえ。」
「この次がもう4コーナーですよっ!」

「ええ?つまんねぇなぁ」とブーブー文句を言う啓介を無視し、はグンとブレーキを踏み、まるで何もなかったかのように緩やかな運転に戻る。

「やっぱお前が交流戦出ろよ。」
「やですよ。」
「暴れるぞ。」
「・・・何度もその手が通じると思わないで下さい。」



4コーナー付近でギャラリーしようとしていた女の子達は、突然の啓介の登場に歓声を上げる。
しかし本人はそんな黄色い声など全く耳に入らないかのように、彼女達の前を通り過ぎてコーナーを見渡せるスペースに立った。

「おい、そこ!ガードレールの外に立つなよ!死ぬぞっ!」

かなり乱暴な口調ではあるが、一応オフィシャルの仕事はこなす。
その隣りでトランシーバーの使い方がよく分からず、弄ってはいけないダイヤルを回し始めるから、それを取り上げてコースクリアを上にいる史浩たちに報告する。

「・・・すいません。」
「この貸しはデカいな。」

トランシーバーをの手元に戻し、ニヤリと笑う。
は聞こえない振りをして、今度はストップウォッチを弄り出した。

「おい、大丈夫だろうな。タイム計れないとか言ったら後できっと、うるせぇぞ。」
「これ位は大丈夫ですよ。このボタン押せばいいんですよね。」
「・・・それはモード切替だろ。」
「もーど?」
「時計表示と切り替えるボタンだよ!貸せっ!!」

の手からストップウォッチをひったくる。

「・・・ったく、よくそれでオフィシャルやるとか言ったなっ!」
「何とかなると思って。」
「ぜんっっっぜん何とかなってねぇしっっ!!」

首に掛けられるようにとストップウォッチに取り付けられていた紐を振り回し、の頭を叩く。

「でも啓介さんのおかげで何とかなったし。」

と言うと、更に2回はたかれた。

「どんだけメカオンチなんだよ。そんなんでよく車乗ってんな。」
「それとこれとは話が別です。」
「へーーーぇ。」

スタートの合図を受け、啓介はストップウォッチのボタンを押す。
・・・合ってるよな?
隣りの人物があまりに当てにならないため、自分まで不安になり思わず手元のボタンを確かめてしまった。

激しい2つのスキール音。
峠に響く低めのエキゾースト音。
バトルは嫌だと言うも、その音に気分が高揚せずにはいられない。

「やっぱいいよなぁ、あの音。」

見透かすような啓介の台詞。

「ちょっとショボいけど。」

若干不満らしい。

「啓介さんは、チームじゃ速いんですか。」
「んあ?まあ・・・アニキには敵わねぇけど。なに、俺とバトルしてぇの?そりゃちょっと早過ぎじゃねぇの?新人くんには。」

そう言ってまた紐をの前でプラプラさせる。
別にそんなこと考えていませんよ、とふてくされながら、その紐を引っ張った。



重なり合うエンジンの音が、だんだんと近づいてくる。
啓介は、思わず身を乗り出すの肩を掴み後ろに下がらせた。

「危ないから下がってろ。」

ヘッドライトが視界に飛び込んでくる。
先行していた車が、コーナー出口で一瞬フラリとしたが、何とか持ち直し、そのまま二人の前を抜ける。
少し遅れて地元の男の車が走り抜けた。
2台がコーナーへ消えるのを見送っているの後ろで、啓介は無線でタイムを報告する。

「お前はこの区間のベストってどれ位だよ?」

またガードレールに手を掛けているを下がらせる振りをして、啓介はその肩に手を掛ける。

―――やっぱ細いな。女みてぇ。

大きめのシャツで体の線はよく分からないが、その肩同様に細いであろうことは容易に想像できる。
あの、がたいのいい史浩と同じ車に乗っているというのは、奇妙な感じである。
そんなことを色々考えているなどと思いも寄らないは、素直にタイムを告げた。

「何だよ、じゃあさっきの奴より全然速ぇじゃん。」
「全然、じゃないです。」
「『全然』だろ。たったこんだけの区間だぜ?」

ますます目の前のが理解できない。
今のバトルなら、順当に行けばが勝てるだろう。
2本目の下りのバトルではレッドサンズのタイムの方がコンマ何秒か速かったが、その後ろの地元の車よりは全然速かった。

「何でそんなにバトルすんの嫌がるんだ?負けるのが怖いのか?恥ずかしいとか?」

先ほど集まった場所に戻るため、二人はの車に乗り込む。

「別にそんなんじゃないですよ。そんなこと言ってたらジムカーナとかの競技だって行けないじゃないですか。」
「じゃあ何で。」
「何でって・・・うーん、別に楽しくないからです。」
「嘘つけ。さっきコーフンしてただろうが。」
「・・・言い方間違えました。別にタイム計ったりするだけで十分楽しいんです。」
「もっと楽しいかもしれねぇだろ?」
「何でそんなに食い下がるんですか。」

そう聞かれると、啓介自身も分からない。
ただ―――何となく、惜しいような悔しいような、じっとしていられない気分なのだ。

「とりあえず、上まで本気モードで行ってみっか。」
「やです。」
「んだよ。行かねぇと―――」
「暴れても行きません。」
「サイド引くぞ。」
「死にたいんですか。」


結局帰りは大人しく戻ることに成功した。