deception 29




、お前走行会行かないか?」

赤城で数本走り終えた後、が水を飲んでいたら同じチームの男に声を掛けられた。
聞けば知り合いの主催している走行会で、ドタキャンが数人出たために悲鳴を上げているらしい。

「俺も行きたかったんだけど、今週末はちょっと用事あってさ。他の奴にも声掛けてるんだけど、急な話でなかなか人が集まらないんだよ・・・。」
「今週の日曜ですか・・・。予定はないんですけど・・・。」
「ホントか!?じゃあさ、頼むよ。エントリーは別に本名じゃなくてもいいしさ。」

助かった、とほっとした顔をする男。
何気なく言った彼の台詞に、は複雑な表情をした。
本名じゃなくていいって・・・この人も自分が女だってことを知ってるんだろうか・・・。
同じレッドサンズの中で、何人か自分の性別を知っているらしい人がいる。
本人たちはなるべく気付かないふりをしてくれているようなのだが、やはり時折気付いているらしい空気を感じることがあった。
最近はもうショックを受けるのも疲れてしまって、そんな人たちに感謝するだけだ。

「―――何の話してるんだ?」
「あ、啓介さん。」

休憩に車を降りて来た啓介とケンタが二人の方へやって来る。
男が説明すると、ケンタが「行きたいけど、金がなぁ〜」と頭をバリバリと掻いた。
そう言えば走行代金はいくらなんだろう。
もちょっと不安になって男を見る。

「一応友達価格って言って値切って、1万5千円の所を1万2千円にしてもらったんだけどさ。」
「ふーん、あのサーキットで3時間1万2千円は安いんじゃねぇの?」
「そうっすねー・・・。」

この前バイト代も入ったし、それ位なら大丈夫だ。
はほっと胸を撫で下ろす。

「じゃあ、俺も行くかな。今度の日曜は別に用事ないし。」
「えっ!啓介さんも行くんですか?じゃあ俺も行きます!」

走行代金を聞いて「でも結構キツイなぁ」と悩んでいたケンタは、啓介も行くと聞いて即答。
本当にこの人は啓介さん命だよな・・・とはちょっと呆れ顔。
「お前も来んのかよ!?」と邪険にする啓介にも「ええ、いいじゃないっすかー。」と嬉しそうだ。

「ケンタさん、日曜の昼に出かけちゃって、彼女に何か言われたりしないんですか?」
「うるせーよ、!」
「いたっ!」

素朴な疑問を口にしたら、ケンタのひざ蹴りが飛んできた。
やり返そうとケンタを追いかけるの耳元で、啓介が囁く。

「それは、お前も同じだろ。」

ニヤニヤと意地悪く笑う啓介が、の後ろを顎で指す。
振り返ると、ガードレールに寄りかかってこちらを見ている涼介の姿。
さっきまで史浩と何か話をしていたはずだったのだが、いつの間に終わったのだろうか。
に向けてくる視線が痛く感じるのは気のせいでは―――なさそうだ。
涼介が携帯を手に取る。
ほどなくの携帯が鳴り始めた。
ディスプレイに表示されたのは、今そこで自分を見ている人物。
は啓介たちから離れ、通話ボタンを押す。

「―――走行会に行くんだって?」

話が伝わるのは早い。
すぐそこにいるのだから、当たり前だが。
別にやましいことをしているわけではないが、走行会の話を聞いた時に涼介の予定のことは全く頭に浮かばなかったので、ちょっとした後ろめたさがある。
「はい」という声色にもそれが表れている。

「この前言ったばかりなのに、いい度胸だよな。」
「だって、これって、ただの走行会じゃないですかっ。」
「啓介とケンタと一緒に行くんだろう?」

わざと冷たい声を出して、チクチクと虐める。
別に涼介だって本当に怒っているわけではない。
彼女は走り屋なのだ。
男がどうとか、そんなことを考えるよりまず「走る」ことに反応してしまう。
それは仕方のないことで、そんな彼女だからこそ自分は好きなのだと言える。
面白くないことには変わりないが。

「でも、俺、行きますからね。」

困った声を出しながらも、そうキッパリ言い切る彼女も好きだ。
の耳に、クスクスと言う小さな笑い声が届く。

「ケンタには負けるなよ。あいつもそのサーキットは初めてのはずだから。」

タイムが1分切ったら許してやるよ。
そう言ってプツリと通話が切れた。

「啓介さんは、今度行くサーキットではどれ位のタイムなんですか?」
「俺?俺は車乗り始めたばっかり位のときに1回しか走ったことねーんだよなぁ。確か58秒くらいだったと思うけど。」
「ごじゅうはち・・・ですか?」
「ああ。何で?」
「いえ、あの・・・1分切るのって、大変なんですか?」
「お前の車で?お前のNAはパワーねぇから、かなり厳しいんじゃねぇの?ケンタのS14でギリギリ切れるかどうかってトコだと思うけど。」

・・・もしかして無理難題を突き付けられたのだろうか。
啓介の話を聞いて、は軽くめまいを覚えた。




日曜日、サーキットへ行くと懐かしい顔に出会ってしまった。
相手もびっくりした顔をしている。
ジムカーナならともかく、サーキットのコースにがいるなんて意外だったのだろう。

「お前でもサーキットなんて来るんだな。」
「・・・お久しぶりです。田中さん。」

挨拶しながら、頬を掻いてしまう
懐かしさに嬉しくなる、というよりも何となくバツが悪い感じの方が勝る。
あのバトルから、もう半年が経とうとしているのか。

「もしかして、これもあのチームの教育の一環ってヤツなのか?」
「いえ、チームは関係ないです。・・・田中さんは一人ですか?」
「ああ、最近はあんまり峠走りに行ってなくてさ、たまに走行会とか見つけて参加してるんだよ。お前は一人・・・じゃなさそうだな。」

の後ろから大股でこちらに近づいて来る男の姿を見つけて、田中は苦笑した。
その肩の振り方は、明らかに自分を威嚇している。
この前の偽物事件は、田中の耳にも入っていた。
こいつもあまり敵に回したくない人間の一人だよな。
自分を睨んでいる啓介を見て、田中は心の中で呟く。

「何でお前がここにいるんだよ?」
「何でって、走りに来たんだよ。そんな怖い顔するなって。」

小さく舌打ちする啓介。
あの件以来途絶えてしまったが、以前から涼介や史浩と交流のあったこの男を、どうも啓介は好きになれない。
その理由は、単純にあんな賭けをに持ちかけたから―――と言うだけではない気がする。

は何組の走行?」
「B組です。」
「そっか、俺はA組だから別々だな。」
「・・・あんた、A組なのか。」

啓介がボソリと言う。
今回の走行は申告タイムで2組に分かれていた。
啓介もと同じB組。
つまり田中の方がここでは啓介よりも速いことになる。

「まあ、一応ここは結構よく走るんでね。」

その啓介の台詞にピンと来て、わざと余裕の笑みを見せる田中。
敵には回したくないけれど、ついからかいたくなる。
あからさまに不機嫌になる啓介に、田中は心の中でそう呟いて笑った。

ミーティングを終えてA組の走行が始まる。
はその様子をフェンス越しに見ながら、だんだん緊張し始めてきた。
実はサーキットを走るのは初めてだ。
やっぱりサーキットのコースはジムカーナよりエスケープゾーンは少ないし、速度域も全然違う。
果たしてちゃんと走れるんだろうか?
そんなことを考えていると、煙草を吸い終えた啓介とケンタが緊張感なく笑いながらの方へ近づいて来る。

「なに、お前緊張してんの?何で?」
「何でって、やっぱりサーキットって初めてだし・・・。」
「ばーか!初めての峠走るのと同じだろ!?」

そう言ってポケットに手を突っこんだまま肘でを突く啓介。
隣りにいるケンタも「変なヤツだな〜」などと言って笑っている。
ケンタもこのコースは初めてだと言っていたのに、全然余裕な表情。
同い年ということもあって、あまり「先輩」という風に見たことはなかったのだけど、ちょっと頼もしく見える。

「ほら、そろそろ準備しようぜ!1回目の走行はちょっと俺タイム出しに行くから相手出来ねーけど、2回目は見てやるから。」

ポンポンとの肩を叩き、啓介はFDに戻る。
ぜってーあいつのタイム一発で抜いてやる。
コースを走り抜けるスカイラインを一瞥し、ヘルメットを被った。



タイムが1分切ったら許してやる

涼介にそう言われただったが、1回目の走行は1分切りには程遠いタイムだった。
ラップタイム表を貰い、はガクリと肩を落とす。
走っている間、乗れていないと思ってはいたけれど、そのとおりの結果になっていたとは。
トップの啓介と10秒差があるなんて、どういうことだろう。

「うわ、落ち込んでんの?お前。俺様との差があまりにあり過ぎるから?」
「て言うか、単に啓介さんがタイムアップし過ぎなんですっ!」

ヘルメットを脱いで乱れたの髪を、啓介の手で更にボサボサにされる。
啓介は2ラップ目で、アッサリと田中のタイムを抜いていた。
B組ではダントツのトップ。
ショックを受けていることを認めたくなくて、は強がりを言う。

「お前、ライン取りは悪くないんだけどなー、モロ悪い所が出てるよなぁ。」
「悪いトコ・・・?」
「そう、アニキがよく言っているヤツだよ。後半後ろから見てて思った。ま、次の走行ん時は見てやっから。」
「えー!啓介さん、俺は!?」
「わかったわかった、最後の走行でな。」

涼介さんのよく言ってること・・・
はその言葉を頭の中で繰り返しながら、ジュースを買いに自販機へ向かう。
お金を入れようと思ったら、横から別の人に先に入れられてしまった。
ビックリして横を見ると、田中がTシャツで汗を拭いながら立っている。

「よう、タイム見たぜ。さすが速いじゃん。」
「・・・全然ダメですよ、1分切れって言われてるのに。」
「はぁ?1分!?それ涼介が言ったのか?相変わらずムチャクチャ言うなぁ!・・・で、どれがいいの?」
「え?」
「ジュース、買うんだろ?奢ってやるよ。」
「え、そんな、いいですよ。」
「遠慮すんなって。ほら、お前もうじき誕生日じゃなかったか?だから誕生日プレゼントだよ。かなりショボいけどさ。」
「よくそんなこと覚えてましたね。」
「そりゃまあね。」

好きな女の誕生日くらい覚えているだろう。
声には出さず、続ける。

「じゃあ、お言葉に甘えて・・・。」

はスポーツドリンクのボタンを押した。
落ちてきたペットボトルを取り出し、額に貼り付いた前髪を払いながらゴクゴクと一気に半分くらい飲みほしてしまう。
その豪快さは以前と変わらなくて田中は思わず目を細めるけれど、でもどことなく「女」を感じるところもある。
そう言えば、を太陽の下で見たのって、初めてだったんだな。
田中は水を飲みながら、そんなことを考え、今さらながら驚いた。

「今年は一緒に誕生日を過ごす奴いるのか?」

ニヤリと笑う田中の言葉に、は一人の男の顔を思い浮かべる。
実は10日後がの誕生日だった。
けれど、まだ涼介には話していない。
何だかわざわざ自分の誕生日を告げるのは、ちょっと照れくさい気がしたのだ。

「・・・分かりません。」
「何だよ、変な返事だな。」

もしかして、あの金髪の兄ちゃん?
そう言って喫煙所で煙草をふかしている啓介を指差す田中に、違いますよ、とは慌ててブンブンと首を横に振る。
ふーん、あの男も気の毒だなぁ。
の反応を見て、田中はちょっとだけ啓介に同情する。
となると、「一緒に過ごせるか分からない」相手と言うのは涼介か?
最初は女のには興味ないみたいなことを言っておいて、チャッカリそう言うことになっているのか?
今ここにはいない綺麗な顔を思い出して、田中は思わず「あの男・・・」などと呟いた。


が車に戻りボンネットをバタンと閉めていると、煙草を吸い終えた啓介とケンタも戻ってきた。

、お前俺より先に出ろよ。」
「え?あ、はい。」

さっき言ったように、自分の走りを見てくれるのだろう。
啓介の言葉に、は頷く。
がレッドサンズに入ってからもう半年近く経つが、ちゃんとした形で啓介に走りを見てもらうと言うことはなかった。
もちろん後ろから追われたり追ったり・・・と、その走りを見て色々盗もうとしたことはあるが。
彼女の戸惑いが分かったのか、啓介が苦笑い。

「別に煽ったりしねぇよ!黒旗出されんのは嫌だからな。」
「・・・やっぱり、赤城でのあの走り方は黒旗ものだって自分でも思ってるんですね。」
「うるせーな、ほら、行くぞ!」

コースに出るとは、ルームミラーで時折啓介を気にしながら徐々にブレーキを詰めていく。
もちろんバトルをしているわけではないのだけど、後からのプレッシャーですぐに喉がカラカラになった。
涼介に見てもらう時と同じくらい緊張する。

数周すると、今度は啓介が前に出る。
追い越す時に隣りに並んで、付いて来いと手で合図する啓介。
はコクリと頷き、深呼吸する。

長めの裏ストレートが終盤に差し掛かり、前を走る啓介のFDがレコードラインに戻る。
もそれに続き、コーナーへと入る。

「―――なんか、あの2台、すげぇ速くない?」

田中の横で、啓介との車を指差しながらそんなことを言っている男たち。
彼らに視線を向けるのと同時に、前を2台が走り抜ける。
その瞬間に所々で歓声が沸くが、田中は白けた気分で見ていた。
あの二人は別に全開走行をしているわけじゃない。

「そう言えば、あの車レッドサンズのステッカー貼ってたよな。」
「どうりで速いはずだよ。」
「何、レッドサンズって?」

会話はだんだん噂話へと移っていく。
赤城の最速チームを知っている男は、得意げに友人に話をしている。
でも、あいつが女ってことは知らねーだろ。
田中は柵に寄りかかりながら、FDの後ろを必死について行っているロードスターをぼんやりと眺めた。