deception 16




「やっぱ、お前の車の欠点は、史浩の車と見分けがつかねぇ所だな。」

啓介は自分の車に寄りかかり、手にした缶コーヒーをプラプラと揺らしながら、少し離れた所に止めてあったの車を見て言った。
いきなり何の脈絡もなく自分の車の話になって、はペットボトルを口につけたまま訝しげな顔を啓介に向ける。

「つか、何で史浩と同じホイール履いてんだよ。シートも同じだし。ステッカーも同じ所に付けやがって。」
「そんなん、俺の勝手じゃないですか!」
「紛らわしいっつうの!」

とんだ言いがかりである。
そりゃ自分は真っ黄色な車でデカいウィングつけて、似た車は滅多にいないかもしれないけど・・・とボソリと言ったら睨まれた。
睨みたいのはこっちだ!と心の中で叫ぶ。
ホイールは知人から安く譲ってもらったもので、シートは松本が誰かから貰ってきたものだ。
車高調だって、松本の工場のお客さんが違うのに換えるというので、売ってもらったもの。
どれも単なる偶然だ。

「お前、バイナルとかやってみろよ。」
「ばいなる?・・・って、まさかアレですか、炎のイラストとかを車の横とかにバーンて貼り付ける・・・」
「よく知ってんじゃん。目立つぜー、1キロ先からでもすぐお前の車だって分かる。」
「分からなくていいです。」
「でも夜の峠だとあんま目立たないところが難点だな。」
「・・・それってつまり、全然意味ないってことじゃないですか。」

デビュー戦の後、も雑談に加わることが多くなった。
その内容は、この前まで田中たちと交わしていたものと大して変わらない。
他愛のない話をして笑う。
けれど普段のプレッシャーが大きいせいか、そんな馬鹿話がすごく可笑しく思えた。

しかしそんなと入れ替わりで、今はケンタの方が走りこんでいる。
一軍に上げてもらうためではあるが、に触発されて―――と言うほうが大きい。

「知ってるか、一軍は二軍のヤツをパシリに使っていいんだぜ。」
「え、本当ですか。」

そんなルールはない。
その声色から、をからかっているのは明らかなので周囲の誰も否定はしないが、素直に驚くに対して心の中でツッコミを入れることは抑えられない。

「じゃあケンタさん、アイス買って来て下さい。」
「てめぇ、調子に乗んなよっ!」

ちょっと休憩と思って戻ってきたらに理不尽な要求を言い渡され、ケンタは一気に疲労倍増である。
その後のの笑顔も可愛さ余って憎さ百倍。
その足に蹴りを入れた。

「嘘に決まってんだろ、そんなの!」
「ええ?でも結構普通にありそうな気がしたんですけど。」
「本当だったとしても、普通もっと謙虚になんだろ!?先輩に『お疲れさま』とか言ってお前が買って来いよっ。」
「いえ、この悔しさをバネにしてもらって・・・」

一度目より激しい膝蹴りに、は大げさによろめいた。
近くに来た松本は、呆れたようなため息を吐き、そんな彼女の頭をポンと叩く。

「―――啓介さんのFD、少しオーバーが強く出すぎてませんか?」
「え?ああ、そうなんだよ。ほんのちょっとデフ弄っただけなんだけどさ、今いちしっくり来ねぇんだよなぁ。」
「ちょっと見てみましょうか。」
「まじ?助かる。」
「じゃあ、ちょっと車移動させますよ。」

自分のFDに乗り込む松本に視線を送りながら、啓介は誰に言うともなく「最近よく来るから、助かるよなぁ」と呟いた。
ケンタも大きく頷く。

「ちょっとおかしいと思ったらすぐ見てくれて、パパッと直しちゃうんスよねぇ。さすがっスよ。」

そんなもんかなぁと、は二人の会話をぼんやりと聞いていた。
は車を所有してから、メンテナンスは松本にしか頼んでいない。
だから松本の手際の良さが、メカニック共通のものなのかと思っていた。

「こればかりは、のおかげって感じっスねぇ。」
「でもあんまり下らねぇこと頼むなよ。」
「分かってますよ。」

この啓介でも、松本には一目置いているような感じがする。
そんなすごいんだろうか、とは首を傾げてしまう。

「レッドサンズの中で、そんなに修ちゃ・・・松本さんって、すごい人なんですか?」
「これだから幼なじみって奴は怖ぇよな。松本に車を見てもらいたいって言って、東京の方から来る奴等もいるんだぜ?レーシングチームのメカニックもやってるし、本当はとあるハコ車のチームに、チーフメカニックにならねぇかって声掛けられたって話もある。でもアニキが引退するまでは、なるべくこっちに時間を割きたいからって断ったらしいぜ。」
「え!?マジっすか!?」

プロのチームにも誘われたことがあるのは、も本人から聞いたことがある。
でも、あまり性に合わないからって言ってた気がするのだが―――本当はそういう理由があったのか。
そういえば、今さらながら思うが、松本からレッドサンズの話は殆ど聞いたことがなかった。
走り屋のチームでメカニックをしてるという話は少しだけ聞いたことがあるが、それがレッドサンズだと言うことも知らなかったし、高橋涼介の名前を聞いたこともなかった。
だからこそ、田中に「誰ですか、それ」とか言ったのだが。



「―――そんなの、言う必要がなかっただけだろ。」

啓介の車が元気よく走り出すのを見送りながらメカニックグローブを外し、松本はの疑問に答える。
今いち納得のいかない答えに不満そうな顔をしているを見て、ふうと息を吐く。

「峠の話なんかして、変に興味を持たれちゃ困ると思ったんだよ。・・・そんな配慮は無駄だったけどな。」
「ご、ごめんなさい・・・。」

不満気な表情から、今度は困ったような顔。
やはり松本の前だとどうしても素が出てしまい、男のように振る舞うことを忘れてしまう。
そんな彼女を見て「仕方のない奴だな」と思うが、つい、可愛いと思ってしまうのも事実だ。
自分がここにあまり来ない方が、彼女が女だと皆に知られる危険は少なくなるのだろうと分かってはいるが、どうしても心配になって時間が出来ると一緒に来てしまう。
子離れ出来ない親の心境に近いな。
隣りでまだ困惑顔の幼なじみを見て、そんなことを思う。

「そう言えば、松本とって幼なじみって言うことは、家が近いのか?」

近くにいた史浩が、ふと思い出したように聞いてきた。

「え?ええ、実家は隣り同士ですよ。」
「実家?ってことは、今は松本は一人暮らしか。」
「こいつもです。大学通うって言うんで前橋のアパートに一人暮らしですよ。」
「そうだったのか。」
「そのアパートも、修ちゃんの住んでる場所から歩いて5分くらいの場所なんですけど・・・。」

はちょっと恥ずかしそうに眼を伏せて、ペットボトルの蓋を開けた。
彼女の両親が、松本の近くに住むなら一人暮らしをしてもいいと言ったらしい。
やっぱり松本は信頼されているんだなぁと感心すると同時に、両親も心配性だなぁともちょっと思う。

「まあ、でもそうか。女の子の一人暮らしは危ないもんな。」
「―――史浩さん。」
「あっ!すっ、すまないっ。」

史浩は慌てて周囲を窺う。
幸い、ケンタは啓介と一緒に走りに行ってしまっていたし、他の人間も近くにはいなかった。
ほぅと胸をなでおろす。
頼りがいはあるのだが、ちょっと迂闊な所が玉に瑕だ。

「しっ、しかしあれだな!もこんなお兄さんがいちゃぁ彼氏も作れないだろ!」
「―――史浩さん。」
「えっ!?俺またまずいこと言ったか!?」

話題を変えようと思ったら、また失言。
しかも慌てていたため自覚なし。
吹き出る汗を拭く史浩に、も松本も苦笑い。

「別に、こいつの恋愛には口を挟みませんよ。」
「・・・でも、高校のときとか結構邪魔された記憶があるんだけど。」
「お前に言い寄ったヤツが、どんな男かちょっと周りに聞いただけだろ。」

心外だとばかりに肩を竦める松本に、は無言の抗議。
今でこそ温厚そうな笑顔で、誰からも慕われる優しいお兄さん然としているが、中学高校辺りは何だか妙な迫力があった。
が誰かに付き合ってくれと告白されたと耳にすると「それってどんなヤツ?」と周りの人間に聞くのだが、それが告白した男本人に伝わり「あの松本さんがお前のこと聞いて回ってたぞ。」とか言われて、逃げ出すことが数回。
今なら、「その程度で逃げ出すくらいなら付き合わなくて正解だった」と言えるが、その当時はも結構本気で悩んだものだ。

「―――楽しそうな話をしているな。」

不意に後ろから、一番恋愛話に興味のなさそうな男の声。

「わっ!涼介!!」
「楽しそうだよな、男の一人暮らしとか彼女の話とか。」

ニッコリ笑顔で史浩をチクチクと虐める。
そして汗を流す相手を見て満足し、に向きなおった。

「悪かったな、待たせて。」
「あ、いえ、すみません、忙しいのに。」

二人はのロードスターに乗り込む。
はシートベルトを締めながら、やっぱり助手席でも窮屈そうだなぁと隣りに座る涼介を見て思う。

「―――お前の『彼女』って言うのは、ちょっと見てみたいな。」
「・・・変なこと言わないで下さい。」

これから下りを走って涼介に見てもらおうと言うのに、調子が狂う。

「でもお前だって、付き合っている奴くらいいるんじゃないのか?」
「そんな人、いませんよ!車のことで手いっぱいで。」
「啓介みたいなことを言う奴だな。」

クスクス笑う涼介を、顔を赤らめて睨む
そんな彼女を何となく可愛いと思うと同時に―――どこか、ホッとしているのは、気のせいだろうか。

「―――じゃあ行こうか。」

自分の中の何かを誤魔化すように、涼介はを促した。