deception 17




「―――ここか。」

はウィンカーを出す。
いかにも走り屋仕様な自分の車で入ることが憚られるような、市内のホテルのロータリー。
あまりアクセルを踏みすぎないよう、恐る恐る入って行く。
そんなに五月蝿い方ではないと思うけれど、こんな高級ホテルにはやっぱりちょっとこの車は不似合いに感じる。
ホテル入口のドアの方を見ると、その目的の人物が大きな荷物を持って出てくるのが見えた。

黄色い髪は、普段より少し寝かせ気味。
でも何よりいつもと違うのは―――その服装だろう。

「―――すげぇ、タイミングいい。今ちょうど終わった所だったんだよ。」

トランクに、いかにも披露宴の引き出物が入っていますというような紙袋を放り込んだ後、助手席のドアを開けて、ドカリとシートに腰を下ろす。
スーツ姿でも、その様子はいつもどおりの啓介である。



数時間前、が自分の部屋の掃除をしていると、携帯に啓介から電話がかかってきた。

、お前今日の夕方暇だろ?ちょっと迎えに来いよ!」

啓介の強引な態度にはもういい加減慣れてきた。
けれど、とりあえず抵抗を試みる。

「俺だっていろいろ忙しいんです。」
「何に忙しいんだよ、言ってみろ。」
「何って・・・いろいろです・・・。」
「夕方の5時にTホテルな!」

何の用事もないことを見透かされ、それだけ言われて通話がプツリと切れた。
啓介には夕飯を何度も奢ってもらって借りがある。
夕方に暇なのも確かだった。

「あっちー!」

ネクタイを強引に緩め、上のボタンを外す。
窮屈そうな車の中で、本当に苦しそうだ。

「誰かの結婚式だったんですか?」
「ああ、親父の知り合いの娘のな。アニキが断るから俺に面倒な役が回ってきたんだよ。」
「啓介さんでもスーツなんて持ってるんですね。」
「お前、俺のこと馬鹿にしてんのか?」
「いえ、馬子にも衣装だな〜と思って。」
「・・・やっぱ馬鹿にしてんじゃねぇか。」

啓介が窓を全開にする。
陽は長くなってきたけれど、まだ夕方は少し肌寒い。
でも黄色の髪が風になびいて、啓介は気持よさそうだ。

「家に送って行けばいいんですか?」
「ああ。お前これからも暇なんだろ?ちょっと寄ってけよ。秘蔵映像見せてやるから。」
「―――秘蔵映像?何ですかそれ?」
「アニキがまだ一人で走ってた頃のバトルのビデオとか。」
「ひとり?」

キョトンとしたに、啓介は「お前ホントに何も知らねーのな。」と笑った。

「群馬でアニキを知らない走り屋って、まだいるんだな。」
「・・・すいません。」
「別に謝ることじゃねーけどさ。昔アニキはチーム作る前暫く一人で走っててさ・・・って、その頃はお前まだ高校生とかか。そん時から結構有名だったんだぜ?」
「―――あ!シャア!」
「・・・お前、それ、本人に言うなよ。」

そんな他愛ない会話をしていると、あっという間に高橋邸の前。
この前と同じように、裏のガレージに回った。
タクシーで帰っても基本料金をちょっと出るくらいで着く距離で、果たしてが迎えに行く意味があったのか、ちょっと首を傾げる。
でも秘蔵映像にはちょっと興味があるので、はウキウキと車を降りた。


「ちょっと待ってろ、今持って来るから。」

通されたリビング。
照明は明るく昼間のようだけれど、やはり夜になると、どことなくこの前来た時と雰囲気が違って見える。
この前埋まったソファには座らず、その前の床に直接座り込む。
暫くすると啓介がドカドカと足音を立てて入ってきて、無造作にビデオテープをデッキに突っ込んですぐまた出て行った。
そんな彼の後ろ姿を見送り、明るくなったテレビの画面の方に向き直る。
―――と、おおよそ峠とは程遠い場所が映し出された。

「―――あれ。」

ずらりと並んだピット。
その前に張り出された色とりどりのテント。
ビデオカメラの前を行き交う人々の多くは、レーシングスーツを着ていたり、つなぎを着ていたり。
これはどう見ても、昼間のサーキットだった。

「―――あれ?俺間違えたか?」

いつの間にか戻ってきた啓介がソファに腰かけている。
手には缶ビールが2本。
なぜビール。

「ああ、これ、この前真鍋さんから送ってもらったヤツだ。何で俺の部屋にあったんだ?」
「―――その前に、何で俺までビールなんですか。俺、車なんですけど。」
「ビール1本くらい、すぐ醒めるだろ!何なら泊ってってもいいし。」
「んなムチャクチャな・・・。」

まだ何か言いたげなに構わず、啓介は気持のいい音をさせてプルタブを開け、「うめぇ!」とごくごく一気に飲む。
本当においしそうに飲むので、ついもつられそうになるが、ここで負けてはいけない。
は受け取った缶ビールを手に持ったまま開けることはせず、またテレビの方を向いた。

「これ、何のビデオですか?―――って、あ!涼介さん!」

だんだんと近づいてくる人影は―――正確にはビデオを撮っている主の方が近付いて行っているのだが―――白のレーシングスーツに身を包んだ涼介だった。
やはり同じようにスーツを着た男の人と何かを話している。
「涼介くん、こっち向いてー!」とカメラマンらしき女の人の声がする。
その声に気づいた涼介が、こっちを見て少し照れくさそうに笑った。

「―――出た、アニキの営業スマイル。」
「え!今のが営業スマイルなんですか?どう見ても照れ笑いって感じなのに。」
「素のアニキがあんな顔するわけねーじゃん!」

確かにそう言われればそうだ・・・と、も思う。
涼介が照れるなんて、ちょっとガラじゃないような気もする。
だから、ちょっと今の笑みは意外だなぁと思ったのだが―――。

「これ、アマチュアのナンバー付きレースでさ・・・何て言ってたかレースの名前は忘れたけど、耐久。知り合いに頼まれて出たんだ。」
「ふーん、レースに出ることなんてあるんですね。」
「ないない!滅多にないよ。ただその知り合いのオッサンには結構世話になってるからって言うんで、1回だけって条件で出たんだよ。まあ何つーか、レースって言っても内輪のイベントみたいなヤツだけどさ。」

少し眉根を寄せて、鬱陶しそうにフルフェイスのヘルメットを被る。
の後ろに座っている人物の服装もいつもと違って調子が狂うが、目の前に映っている男も見たことのない姿で、まるで別人のようだ。
車ももちろん、FCじゃない。
何となく居心地が悪くなって、そわそわしてしまう。

「何だよ、興味ねーの?なら別の持って来るけど?」

啓介が前のめりになって、の顔を覗き込んでくる。
ボタンを外したシャツからは、いつもと同じ啓介のにおいがしたけれど、それも逆にを緊張させる要因となる。

「そんなことないです。」
「そうか?お前、顔赤いぞ?ビール飲んでないよな?」

ひょいとの手元から缶ビールを取り上げ、その額に手を当てた。
まるでの顔をすべて覆ってしまいそうなくらいの大きな手。
それとは対照的な細い小さな手で、啓介の腕を掴んで自分の額から引き剥がす。

「まさか、アニキのレーシングスーツ姿にドキドキしたとか言わねぇよな?」
「そんなワケないじゃないですか。」

そんなことより、さっさと着替えてきてください、と心の中で呟く。
オレンジ色の光に包まれた広いリビング。
テレビに映し出された、表情も格好も普段と違う涼介。
ネクタイを取ってボタンを外し、前を肌蹴させているワイシャツ姿の啓介。
一体、何にこんなに緊張しているんだろう?

「―――何、しているんだ?」

その時、リビングの入り口から声がして、は反射的に啓介の腕を放した。
それと同時に、何となく現実に引き戻されたような感じがする。顔は赤いままだけれど。
啓介の方は、ソファの背もたれに手を掛けて後ろを振り返り、呑気な声を出す。

「あれ?アニキいたんだ?」
「今戻ってきた。」
「車の音しなかったぜ?」
「今日は電車で出掛けたんだ。」

何となく、声が普段より幾分冷たく感じる。
が恐る恐ると言った感じでその声のする方を見ると、涼介が入り口近くの壁に寄りかかってこちらを見ていた。
その格好もやはり黒っぽいスーツ。

「今、アニキのビデオ見てたんだよ。ほら、この前真鍋さんが送ってきたヤツ。そしたらこいつ顔赤くしてっからさー、アニキのレーシングスーツ姿に赤くなってんじゃねーの?って言ってたんだよ。」
「違いますってば!」
「んなムキになることねぇじゃん。男でも惚れる気持ちは分かるぜ〜。」
「違いますっ!!」
「―――あんまりをからかうなよ。」

いつの間にか傍まで来ていた涼介が、啓介の手から未開封の缶ビールを奪い、プルタブを開けて二口三口飲む。
そしてまた啓介に渡し、スーツの上着を脱いだ。
と眼が合い、微笑む顔からは、先ほどの冷たい雰囲気は消えている。

「このテープ、どこに行ったのかと思ったらお前が持ってたんだな。」
「紛れ込んじまったのかな〜。俺の部屋にあった。」
「まあ、お前の部屋に紛れ込んで、こんなに早く出てきたんならラッキーだな。」
「・・・どういう言い草だよ、それ。」

マットに座るを挟むようにして、涼介がソファに腰掛ける。
両脇に伸びた二人の足に、は「足長いな・・・」などと今さらな台詞を心の中で呟いてしまう。
足を組んでビールを煽る涼介の姿は、当たり前だけど完璧な「男の人」で、そんなことを一度考えてしまうと妙に意識してしまって、顔を見ることができなくなる。
―――と言って、反対側を向けば、こちらもだるそうに煙草に火をつける啓介の姿。
バチリと眼が合うと、妙に落ち着かない気分になった。

やっぱり、なんか、男になりきれてない。
パチパチと自分の頬を両手で叩き、思いだしたように胡坐をかいてみる。
そんなの様子は、涼介からすると、逆に可愛く見えてしまうのだが。

「本当はこのビデオじゃなくて、昔のアニキのバトルを見せてやろうと思ったんだよ。ほら、ギャラリーに行ってた奴が外から撮ったヤツ。」
「ああ―――別にかまわないが。」
「じゃあ、ちょっと探してくるよ。俺が借りてたはずなんだよな。」
「―――見つかるといいな。」

見つかるって!
そう言いながらリビングを出て、バタバタと言う足音が遠ざかって行く。
対照的に、しんと静まり返るリビング。
テレビからタイヤのスキール音と、さっきのカメラマンらしき女の人の声が時折聞こえてくるけれど、妙に遠く感じる。

「―――ばれたのかと思ったぜ。」

暫くして、涼介の声が耳元に響いて、思わずはビクリと肩を揺らしてしまう。
振り返ると、組んだ足の上に肘をつくようにして屈みこんでいる涼介の顔がの目の前にあって、更に動揺してしまった。
思わず後ずさりすると、涼介はちょっと困ったような複雑な顔をして笑う。

「啓介に、お前が女だとばれたのかと思ったよ。」
「あ・・・それは、たぶん大丈夫です・・・。啓介さん鈍そうだし・・・。」
「―――って油断してると危険だぜ。あいつは確かに鈍いかもしれないが、感覚は鋭いからな。」

そう―――実は本能では勘づいているんじゃないだろうか。
への構い方は、ちょっと普段とは違うように感じる。
そんなことを考えると、何か、暗い、黒いものが自分の中にひたひたと満ちて来るようで―――それを抑え込むようにを見て微笑った。

「気をつけろよ。」

を気遣うような台詞。
けれど、本当にのことを思って発した言葉だろうか?
その自分への問いには答えず、涼介はの髪を撫でた。