deception 8




夕方、とケンタが帰ると、涼介の携帯に松本から電話がかかってきた。

「ちょっと近くまで来たんで」

普段そんな電話などしてこないのに、一体どういう風の吹き回しだろうと訝りながらも、涼介は松本を家に招き入れた。

「すみません、突然。」
「いや。松本は今日も仕事だったんだろう?疲れてるんじゃないか?」
「今日は一日自分の所の工場にいたんで、それ程でもないですよ。」

さっきまでの座っていたソファに、松本は浅く腰掛ける。
涼介からコーヒーカップを受け取り一口飲むと、じっと押し黙った。

「―――どうした?」
「ああ―――いえ・・・そうだ、先週の交流戦、涼介さんたちも行ったんですよね。どうでしたか?」

そんな二軍の交流戦に興味を抱くなんて珍しい。
今日の松本は珍しいことだらけだ。

「そうだな―――結構楽しめたぜ。向こう側にちょっと面白い奴がいて。」
「そうだったんですか?」
「今回のバトルで唯一うちの黒星の相手だ。ビデオがあるが見るか?」
「―――はい。ぜひ。」

即答する松本に、涼介は僅かに眉根を寄せる。
一体何がそんなに気になるのだろうか。
涼介は、先ほどからデッキに入れ放しだったテープを再生し始めた。

大画面に映し出されたその車の後ろ姿に、松本は思わずピクリと反応する。
まさか―――とは思ったが、FCのヘッドライトに照らし出されたナンバーは、間違いなくの車のもの。
自分が妹のように可愛がっている幼なじみが、この涼介に「面白い」と評されたことを秘かに嬉しく思いながらも、峠を走っている事実をこのように目の前に突きつけられて、覚悟していたこととは言え、ショックは大きい。

仕事が忙しく、の出場するジムカーナの競技会にも、殆ど顔を出したことがない。
こんな風に彼女のドライビングを目にするのは初めてだ。
思わず見入ってしまう。

「―――さすがにちょっとロールが大きすぎますね。もう少し硬くした方がいい。」
「だが上手く荷重をかけているだろう。―――ここの切り返しも上手い。」

本人の前では口にしなかった評価。
先ほどはわざとキツいことばかり言ってを追い詰めた。
しかし彼女のドライビングもマイナスな所ばかりではない。
もちろん未熟ではあるが、涼介でも感心する所は多くある。
だからこそ誘う気になったのだが。

「―――この、二連ヘアピン・・・」
「ああ、無理やりステアリングで曲げようとしているケンタに比べて、上手くブレーキで曲げているよな。低速コーナーは得意らしい。それに比べると中高速コーナーは意外なくらいに下手くそだが。」

涼介の批評が自分のことのように耳に痛い。
―――だが、その映像に松本は少なからず安堵を覚えた。
悪くは、ない。

「―――路面の悪い所はよく把握しているし、研究熱心な奴だよ。」

身内を見るかのような松本の目を、涼介は不思議に思いながら言葉を続ける。

「こいつをチームに入れようと思ってる。」
「―――えっ!?」
「何だ、松本から見てそんなに不満か?確かに今は多少危なっかしいが、きちんとした練習を積めば戦力になると思うぜ。」
「こいつに見込みがあるって、涼介さんは思うんですか?」
「そう思わなきゃ、チームに誘わないさ。」

今日のお前は、本当に変だぞ。
可笑しそうに笑う涼介。
松本は一瞬考え込むように下を向き、そしてまたテレビの画面を見る。
どうせなら、訳の分からない場所で一人で走らせるより、涼介さんのもとで走ってくれた方がいい。

「―――こいつの名前、聞きましたか?」
「ん?ああ、聞いたぜ。、だろ。随分小柄な『男』だったけどな。」

男。
そうか、とりあえず女だとはばれていないのか。

「涼介さん・・・実はこいつ、俺の知り合いなんです。」




バイトが終わって、が携帯を見ると松本から留守電が入っていた。
やましいことのある彼女は、ドキドキしながらかけ直す。
すぐに出た松本の声は、特に普段と変わりなかった。

「バイトは終わったのか?」
「うん。」
「じゃあ、飯でも一緒に食べるか。ちょっと話したことがある。」

―――話?話って何?

逃げ出したくなったが、今からバイト先に迎えに行くと、すぐにプツリと切られた電話に、別の用事があるからと嘘の口実を作る隙は与えられなかった。
それに、あの松本からずっと逃げ切れるわけはないのだ。
怒られるなら、さっさと怒られちゃったほうがいいか。
そう思い直し、は覚悟を決めた。


バイト先に現れた、赤黒のツートンのハチロクに、はいそいそと乗り込む。

「何か食べたいものはあるか?」

そう聞いてくる男の表情は、特に怒っているという風でもなかった。
だからと言って、機嫌がよさそうというわけでもなかったが。

「うーんと、そうだな・・・たまには大勝軒の餃子が食べたい。」
「じゃあ久しぶりに行ってみるか。」

ブォン、と気持ちのいい音がする。
自分のロードスターの音も好きだが、この松本のハチロクの音も同じくらい好きだった。
この音を昔から聞いていたからこそ、車好きになったようなものだ。
カートも、松本に連れられて行ったのが最初。
こんなに幼なじみがハマるとは思ってもみなかったのだろうが、松本にもが走り屋になった原因は多大にあるのだ。

話って何だろう?
は今か今かと構えるが、一向に松本のほうから口を開く様子はない。
お店に着いてしまい、餃子に野菜炒めに、麻婆豆腐にエビチリにラーメン、チャーハン・・・と、細い体の二人組が食べるとは思えない量の料理を注文した後も、バイトの調子などを聞くばかりで、本題らしきものに入らない。
出された料理を黙々と平らげ、結局そのまま店を出てしまった。

―――帰っちゃうのだろうか?

前を歩く松本の背中を、複雑な気分で見つめる。
話したいことって、まさかバイトのことじゃないだろうし・・・。
そんなことを考えていると、車の前で松本がピタリ、と止まった。
車のドアの鍵を開ける様子はない。
何かを考え込むように、ポケットに手を突っ込み、俯く。
そして、ふうと大きく息を吐いて、のほうを振りかえった。

「―――、お前、俺に隠してること、あるよな。」

―――きた。
の手が、じわりと汗ににじむ。
こんな時に惚けるのは無理だ。
と言うか、もうすでに松本は何を隠しているのか知っているに違いない。
ここはもう、覚悟を決めて白状するしかないのだ。
反対された時は―――とにかく、説得するだけ。

「・・・うん。」
「何を隠してるのか、言ってみろよ。」

飽くまでの口から言わせたいらしい。
松本はじっと彼女を見て、言葉を促そうとする。

「・・・ジムカーナだけじゃなくて・・・峠、とか、行ってる。」

腕を組む松本に、はだんだん声が小さくなっていってしまう。
普段は優しい松本も、には厳しい。
彼女の声と反比例するように、大きな声を出す。

「はっきり言えよ。」
「ごめん、修ちゃんに黙って、峠で走ってる。」
「何で峠なんか行ってるんだよ?走るならカートだって、サーキットだってあるだろう?」
「そんなにお金ないし。」
「・・・、峠ってどんな所か本当に分かって走ってるんだろうな。単にかっこいいとか思ってると大ケガするぞ。」
「そんな、別にかっこいいなんて思ってないよ。」
「俺は―――事故で死んだ奴とか、半身不随になった奴とかも知ってる。そういうことだってありうる場所なんだ。本当に分かってるのか?」
「わかってる・・・。」
「女が行って悪目立ちするのだって―――よくないことは分るよな。」
「・・・わかってる、よ・・・。」
「本当に分かってるのか?分かってるのに、何で行くんだ?」

松本がいつも以上に強い口調になる。
を心配しているからこそ―――だ。それは本人も分かっている。
痛いほどよく分かるので、すごく、息が苦しい。

「―――峠って、全然思い通りに走れないんだ。」

でももう、ここでやめられるわけがないのだ。

「天気は同じなのに、毎日微妙にコンディションが違うし。ありえない高低差だったり、ムチャクチャな複合コーナーがあったり。
・・・それに、すごい、速い人たちがいる。」

先週、峠に来た人たちが頭に浮かぶ。
もちろんジムカーナにだって速い人たちはいる。
すごいと思う人たちは沢山いる。
けれど、圧倒されるような人に会ったのは、初めてだった。

あの、自分のバトルの後ろをついてきたFC。
前を走っている時、その一定の間隔をあけてついて来る様子に、えもいわれぬプレッシャーを感じたが、今日の昼、涼介の家で見たビデオに実はかなりのショックを受けていた。
パワーの違いとか、そんなんじゃない。
フロントガラスに映る景色と、ステアリングの角度。ライン。
車内の人は、まるで談笑しているかのような雰囲気なのに、ピタリと前の2台から離れない。
むしろセーブしているように見える。
―――実際、追いつかないようにセーブしていたのだが。

「・・・楽しい。危険行為だって分かってる・・・けど、やっぱりそれでも走りたい。これだけの理由じゃ駄目なのかな。」

ちゃんと目を見なきゃ、と顔を上げるが、松本も自分のことをじっと見ていて、つい怖気づいてしまう。
松本も、今自分が怖い顔をしているのは自覚している。
当たり前だ。
今松本がした話だって、誇張じゃなく本当の話なのだ。
本当はやめさせたい。
やめさせたいけど―――

松本はため息をつく。
最近ため息の回数が多くなった気がする。

「もうひとつ、俺に言いたいことがあるだろ。」
「―――え?」
「涼介さんに、チームに誘われたんだって?」
「何で知ってるの!?」
「さっき会ってきた。って男をチームに誘ったって言ってたよ。」
「・・・そうだったんだ。」
、お前どうするつもりなんだ?」
「・・・・・・。」

口をぐっと噤む。
迷っている。その迷いの原因が、松本にあることは分かっている。

「―――涼介さんの求めるレベルって言うのは半端じゃない。お前も大体想像はついてるんじゃないかと思うけど。」
「・・・うん。」

は小さく頷く。
田中を一か月で抜けるとキッパリ言い切った涼介。
本来ならそんな短期間にクリアできるほど低いハードルではないはずなのだ。

「こんなはずじゃなかったって抜ける奴もいるし、ついて行けなくてやめさせられる奴もいる。ただの走り屋のチームを想像して入ると痛い目を見る。」
「でも、どこまで自分が出来るか試してみたい。プロになりたいとか、そういうんじゃないよ。ただ―――自分の走りに、何か『結論』みたいなものを出したい。」
「その『結論』を出すのに、どれくらいの時間が必要だ?」

松本の問いに、は俯く。
ハッキリとは決めていなかったけど、ぼんやりと、考えていたもの。

「―――2年。」

今涼介は大学の4年。
実質チームが機能するのはあと2年か、もしかしたら1年かもしれない。
の返答に、松本はそんなことを考える。

「分かった。じゃあ2年、協力してやるよ。」
「え?」
「2年間、俺は男の幼なじみを持ったことにしておく。涼介さんが、お前が女だと知ったからって態度が変わるようなことはないと思うけど、やっぱり女だと何かとやりづらい所もあるだろうから、今のまま男で通しておいたほうがいいだろう。」
「じゃあ―――入ってもいいの?」
「仕方ないだろ。」

あの男に誘われては。
松本はまたため息をつく。
きっとこれから暫くは、きっとため息の回数が増えるだろう。

「ありがとう、修ちゃん!」

は思わず松本に駆け寄り、その腕に抱きついた。
車のオイルの匂い。
は大好きな幼なじみの匂いを思い切り吸い込む。

からはふわりと石鹸の匂い。
結局俺はこの幼なじみに甘い。

その髪を撫でながら、松本は苦笑した。