deception 25




「池谷先輩、このお客さん、女の子ですかね?」

S市のガソリンスタンド。
ロードスターのリアガラスを拭きながら、イツキがコソコソと池谷に話しかける。
その顔がほんのり赤いということは、イツキはこの客を女だと思ったのだろう。
池谷もチラリと運転席に目をやる。
ステアリングに両手を乗せ、ぼーっとしているところは、どことなくもう一人のバイトである藤原拓海を思わせる。
白のプリントTシャツに、青っぽいチェックのシャツ。太めのジーンズ。
車はバリバリの走り屋仕様で、後ろにはあの赤城レッドサンズのステッカーまで貼ってある。
池谷は初めから男であることを信じて疑わなかったが、女と言われれば、確かに女にも見える。
男と言うには、ちょっと可愛らし過ぎるような気もした。

「直接本人に聞いてみろよ。」
「『女の人ですか』って聞くんですか?そんなこと聞けるわけないじゃないですか!」
「んなこと、知るか!じゃあ何か世間話でも振ってみるとか・・・。」
「世間話っすか?」
「そうだよ、せっかくこう言う車乗ってる人なんだしさ、車とか峠の話してみるとか。」
「あ、それ!いいっすね!」

ポンと手を叩き、早速運転席側へと回りこむイツキ。
こう言う行動力は素晴らしい。

「あの!いっいい天気ですね!」
「・・・は?はあ・・・。」

しかしその気合いが空回りし、おかしな方向に話を向けてしまうのもイツキの特技である。
突然大きな声で話しかけられた客は、ビックリしながらも何とか笑って答える。
池谷は二人が気になりながらも、新しく入って来た車の応対に向かった。

「秋名に、ドライブに来たんですか?」
「うん、まあ、そうです。たまたま大学も早く終わったんで、そう言えば秋名ってあまり来たことないなあと思って・・・。」

大学生。
ということは、年上なのか。
一つ情報を聞き出すことができ、イツキは嬉しくなってゴシゴシとドアミラーを拭きながら続けた。

「どこから来たんですか?」
「え?ええと・・・前橋です。」

嬉しそうに話しかけてくる男の子。
やっぱり走り屋とかって興味があるんだろうか。
は、まだゴシゴシとドアミラーを磨いている男の子を見上げながら笑みを漏らす。
やはりガソリンスタンドの店員には車好きの人が多いらしく、後ろに貼ってあるステッカーのせいもあって、給油に行くと話しかけられることは多い。
どこで女とばれるか分からないから、給油に行く時は必ず男の恰好をして、話しかけられても基本的に「ああ」とか「うん」とか素っ気ない返事しか返さない。
ただ、この男の子はあまりに元気がいいので、つい素直に答えてしまった。

秋名の峠の名前は、ついこの前、涼介の口から聞いた。
群馬の主要な峠に遠征し、バトルを挑む。
近々そんな計画があると知り、そのターゲットの一つとされているこの秋名にこっそり下見に来たのだ。
とはいえ「あの」件以来、夜に単独で赤城以外に行くことを禁じられている。
講義が休講になった今日が絶好のチャンスだった。

「もしかして普段もどこか走ってたりするんですか?」
「え、ええ・・・まあ・・・。」

後ろでガタンと音がし、給油が終わったことを告げる。ちょっとほっとする
伝票を持って、今度は背の高い男―――池谷の方がやって来た。

「これから秋名に向かうんですか?」
「はい。そのつもりですけど・・・もしかして、混んでたりしますか?」
「いや、観光シーズンじゃないし平日だから、大丈夫だと思いますよ。」
「そうですか。ありがとう。」

お金を渡しながら、二コリと笑う
やっぱり女の子かもしれない。
その笑顔を見て、池谷は顔を赤くしながら自分の予想を翻した。




「さっきの子って、もう帰っちゃいましたかねー。」

客が途切れ、イツキはぼーっと立ちながら、隣りにいる池谷に話しかける。
「さっきの子」というのは、レッドサンズのロードスターの子だろう。
あの子が帰ってから、イツキはどことなく落ち着かない。
そこに、いつものごとく健二のワンエイティが入って来た。
仕事が終わると真っ先にこのガソリンスタンドに来るのだから、本当に暇人だな・・・と、中にいた店長までため息。

「よお、どうしたんだイツキ、変な顔して。」
「こいつが変な顔なのはいつものことだろ。」
「酷いっすよ!池谷先輩!」

ポカポカと背中を殴ってくるイツキを放って、池谷は先ほど現れたロードスターについて健二に説明する。

「―――ふうん、俺もちょっと会ってみたかったなあ。」
「まだ秋名にいるかもしれないっすよ!」

興奮気味に言うイツキに、「いや、そこまでは・・・」と苦笑いする健二。

「一緒に行きましょうよ!」
「一緒にって、お前、バイトは?」
「あとちょっとで終わりますから!」
「まじで?」
「待ってて下さいよ!健二先輩!」
「・・・一体どうしたんだ、イツキの奴?」
「さあ・・・一目ぼれってヤツなのかなぁ。」

店に入って来た車に向かって、元気よく走って行くイツキの様子を訝しげに眺める二人。

「一目ぼれって、そいつ、女なのか?」
「それがよく分からないんだよなー。男って言われれば男って気もするし、女って言われれば女って気もするし・・・。」
「あのレッドサンズのステッカー付けてたんだろ?女ってことあるのかねぇ?」

そんな話をしていると、遅番の拓海が現れた。
学ランのポケットに手を入れ、ぼーっとした様子はいつもと変わらない。
イツキが「よお!」と元気よく手を上げても、「おう・・・」と面倒そうに少し手を上げるだけだ。

「・・・ちわっす。」
「相変わらずだなぁ、拓海は。」

制服に着替えて、欠伸をする拓海。
いつも眠そうにしている様子は、無駄なくらい元気なイツキとは全く対照的で、不思議な組み合わせだよな・・・と池谷と健二はいつも感心している。
しかし二人ともイツキみたいでは疲れるし、二人とも拓海みたいだとこちらまで眠くなりそうだ。
案外いいコンビなのだろう。

「じゃ!俺そろそろ上がります!」
「おお、お疲れさん。」
「お先失礼しまっす!」

さ!行きますよ!健二先輩!
そう言ってイソイソと健二の車に乗り込む、イツキのいつもと違う行動パターンに拓海は首を傾げた。

「これから秋名に行くんだと。」
「秋名?」
「さっき店に来た子を探しに行くらしい。」
「・・・はあ。」

さほど興味も示さず、仕事を続ける拓海に、池谷は少々物足りなさを感じる。
この後輩は、いったいどんなことに興味を抱くのだろうか。




「―――いないっすねー。」
「もう帰ったんじゃないのか?」

秋名の峠に入ってから、イツキがずっと助手席でキョロキョロとしているが、それらしき車は見当たらない。
それどころか、すれ違う車も殆どない。
しかし、たとえここで会えたとして、一体どうしようと言うのだろう?
健二は今頃になってそんなことを思う。
最後の望み、とばかりに秋名湖の方へと入って行く。
すると、奥に一台の車。

「あ!いました!いましたよ!!」

濃紺のロードスター。そのボンネットの端に腰かけて湖の方を向いている人影。

「―――あ、さっきの・・・。」

駆けて来る影に一瞬ビクリとしながらも、その姿が先ほどのガソリンスタンドで人懐こい笑顔をしていた男の子だと気づき、は笑顔になる。
やっぱり地元の人はよく秋名湖に来るんだな。
まさか自分を追って来たとは思いもしないので、そんなことを思う。

「まだいたんですね!」
「うん・・・暗くなってきたし、そろそろ帰ろうとは思ってたんだけど・・・。」

確かに、もう影が長くなってきている。
しかしこれからが一般車の通りが少なくなって走りやすい時間帯なのに、もう帰ってしまうのだろうか。
自分に気が付いてペコリと頭を下げるに、健二はちょっと訝しげな表情。
にとっては、そろそろタイムリミットだ。
暗くなってもまだ他所の峠を走っているのがバレたら、あの兄弟と松本に自分の愛車を取り上げられかねない。
お尻を叩き、立ちあがる。
そして、近くに止めたワンエイティに見慣れないステッカーが貼ってあるのに気が付いた。
ボソリとその文字を読み上げる。

「スピードスター・・・」
「え?あ、ああ、俺たち、この秋名で走ってるんだ。」
「・・・キミも?」
「あ、俺、イツキです!イツキって呼んでください!俺も車買ったら入れてもらう予定なんすよ!」
「えっ!そうなのか!?」
「そりゃないっすよ、健二先輩!」

あからさまにビックリする健二に、泣きながら抗議するイツキ。
喜怒哀楽がはっきりしてて、何だか、ホッとする子だな。学ラン着てるってことは高校生だろうか。
に口の端に自然と笑みが漏れる。
楽しそうな二人の会話をもっと聞いていたいけれど、そうも言っていられない。

「俺、そろそろ帰ります。それじゃまた、イツキくん。」

時計を確認して、車に乗り込む。
ぶんぶんと手を振り続けるイツキの服を、健二は引っ張った。

「ほら、俺達も帰ろうぜ。」
「えっ!もうですか?」
「あいつ目当てで来たんだろ?こんなトコに二人でいてもしょうがないじゃねーか。」
「それもそうっすね。」

もどかしげにセルを回す健二に対して、イツキは動き出すの車を目で追いかけたまま浮かれた声。

「やっぱり、かわいいっすよね。」
「でも『俺』って言ってなかったか?」
「ええ!?そうでしたっけ?」

に続いて、健二も車を発進させた。
健二の興味は、どちらかというと走り屋としてのの方だった。好みのタイプではなかったので食指が動かなかったせいもある。
レッドサンズの走りはギャラリーに行って見たことはあるが、果たしてこの秋名ではどんな風に走るんだろうか?
こんな時間帯では本気で走らないかもしれないけれど、少しでも見てみたい。

「・・・もしかして健二先輩、後追いかけるんですか?」
「しっかり掴まってろよ、イツキ!」
「ま、マジですか!?」

漸く健二の意図に気づいたイツキは、シートベルトとドア上部の取っ手を掴む。
健二の声が緊張で震えているのが分かる。
スタート地点までの直線は飛ばさずに、ゆっくりと上って行く。
それが逆に後ろの二人の緊張を煽った。

後ろからワンエイティが追ってきているのはもちろん気づいていた。
どうしよう・・・?
は直線を上りながら、ぼんやりと考える。
わざとらしく遅く走るのも、いやらしいような気がする。
とは言え、さっき2往復しただけだから、本気で走ると言っても限界はある。

「―――とか言ってる間に、暗くなってきてるし・・・。」

は車幅灯を点け、また車内の時計を見る。
そう言えば、今日はミーティングがあるって言っていた。
早めに行かないと面倒なことになるかも・・・。その前にご飯も食べておきたい。
そこまで考えて、やっぱり出来るだけ速く下りることに決めた。
アクセルをぐっと踏み込む。

最初のコーナーの手前から、スピードが変わった。
健二はゴクリと唾を飲み込み、シフトを落してアクセルを踏みつける。
前を走る車のブレーキランプの点くタイミングに怯むが、負けずに突っ込んだ。
隣りで小さな悲鳴が聞こえた気がするが、健二は前の車にだけ集中する。

しかし、パワーは自分の車の方があるはずなのに、どんどん離されていく。
気が付くとコーナー出口で距離が開いている。

「―――やっぱ、だめだ。」

その姿が見えなくなり、健二はアクセルを緩めた。
顔を青くしながら叫ぶのを必死に我慢していたはずのイツキが、車が減速したことに気づくと途端に物足りなさそうな声を上げる。

「ええっ!やめちゃうんですか、健二先輩!」
「あ、ああ・・・ちょっと調子出ないし・・・」

―――なんて、言い訳をする。
やっぱり女であって欲しくない。
今はもうすっかり見えなくなってしまったロードスターに向かって、健二は心の中で呟いた。