deception 2




翌日、史浩はチームのリーダーである涼介の家に行った。
昨夜の様子を伝える為であるが、それは電話でも事足りる。
ちょっと時間があったのと、涼介の淹れたコーヒーを飲むのが主な目的である。
幸い、涼介の方も時間を作ることが出来た。

「あの男は元気だったか?」

「あの男」とは、田中のことである。
一昨年の秋、もう峠のシーズンが終わりを迎えようとしている時、3人は初めて会った。
涼介がチームを作ってから間もない頃の話である。

バトルを申し込みに田中のホームコースに涼介と史浩が行くと、そこを何年も走っている人間、昨日の田中の言葉を借りれば「古参連中」は、地元ではバトルをしないのだと断って来た。
何かポリシーがあって、と言うよりは単に飽きたからと言うのが大きい。
自分がバトルしても、もう抜くポイント等は殆ど決まっているし展開もさして変わらない。
地元では全然楽しくないと言う。
その意見には、涼介も共感できるところはある。
「遊びは楽しくなきゃいけない」と言う田中の持論にも頷けないことはない。
で、結局、お互いの中堅どころ同士でバトルすることになり、なぜかそれが定期的なイベントとして開催されることになった。
―――その間に、実は田中と涼介はほかの峠でバトルをしていて、涼介の方が勝っていたりするのだが。

「元気だったよ。あいつは全然変わらないな。そうだ、新しい奴がいて、そいつを随分と気に入っているようだった。」
「・・・オモチャを見つけたわけか。じゃあ、そいつも今度走るんだろう。」
「本人はすごく嫌がってたけどな。」
「ふうん?本人にその気がなければ厳しいんじゃないか?」
「田中は出す気満々だったよ。」

最初は嫌がってても、その時になれば本気になるタイプ−−−とか言っていたが、果たしてどうなることか。
しかし、ジムカーナ等にも行っているという話だから、人と競うこと自体は嫌いではないのかもしれない。
史浩は心の中で一人納得する。

「あ、そうそう、そいつ俺と同じ車だったよ。足も一緒らしい。」
「なら、史浩が相手になってみたらどうだ?」
「おいおい、冗談は止めてくれよ。」

ニヤリと笑う涼介に苦笑を返す。
バトルは性に合わないから、自分はチームの裏方に回っているのだ。
涼介もそれを知っていながら、わざとそんなことを言う。

「そいつの走りは見たのか?」
「いや、俺たちが行ったらすぐに帰っちゃったんだ。でもちょっと見た限りでは結構丁寧な運転するなぁって印象だったよ。」
「まあそうじゃなきゃ、あいつが気に入るわけはないよな。」

ただ単に速く走ればよいと無茶な運転をし、まるで車を消耗品であるかのように扱う人間には、涼介も好感は抱けないが、田中は彼以上にそういう人間に対して嫌悪感を抱いた。
そういう奴にはわざとバトルをしかけて、こてんぱんに負かすくらいだ。

「俺も時間が空けば、来週行くことにするよ。たまにはあいつの馬鹿話を聞くのもいい。その、NAロードスターの奴にもちょっと興味があるしな。」

涼介が行く気になった理由の9割は、後者にあるだろう。
自分がバトルをしなくても、他人の走りを分析するのが趣味みたいな男である。
相手を丸裸にしてしまうのだから、あまりいい趣味とは言えないかもしれない。
そうして涼介にバッサリと切られた人間を数多く見てきた史浩は、昨晩ほんの少しだけ会話をした「彼」を気の毒だと思う。
しかし、その容赦ない分析結果に耳を傾けられる人間には、絶対にいい経験ではあるのだ。

果たして、彼はどちらのタイプだろうか?

「―――っと、そろそろ帰るよ。これから松本の所に行くんだ。」
「車、どうかしたのか?」
「いや、アライメントとっておこうと思ってさ。」
「なんだ、やっぱり来週やる気満々なんじゃないか。」
「そんなわけないだろ。」

冗談が連発できるくらい、調子がいいんだなと内心ホッとしつつも、史浩は涼介を軽く睨み立ち上がった。



松本の勤めるショップは、高崎市内の幹線道路から1本入った場所にある。
最近はアマチュアのレーシングチームでもメカニックを担当することになって、平日に店にいることが少なくなった。
日曜は基本的に休みなのだが、「今日は別の知り合いの面倒も見るんで。」と店を開けてくれることになったのだ。

史浩は、直接店の裏手に向かう。
シャッターの開いたピットの中に見えたのは、腕組みして何かを指示しているらしい松本の姿と、その前に自分のとよく似たロードスター。
昨晩見た車と酷似している気がするが、そんなに珍しい車でもないしと気にせずその左隣りのスペースに自分の車を止めた。

「よお、休みなのに悪いな。」
「気にしないで下さい。どうせ休みと言っても結局車を弄ってることが多いんで。」

松本は涼介や史浩より年上のはずなのだが、初対面の時から口調は丁寧で、それは今も変わらない。
最初は史浩も敬語を使っていたのだが、いつの間にかくだけてしまっていた。
その、史浩のものではないロードスターを挟んで反対側に立っていた松本は、前で組んでいた腕を解いて、ニコリと笑う。
―――が、すぐに厳しい顔つきになって、足元の方に視線を落とした。

「ほら、お前も挨拶しろよ。」

その口調も声も、あまりチームでは耳にしないものだったので史浩はちょっと驚く。
もちろん同じ職場の仲間同士ではタメ口にもなるだろうが、ちょっと、そういうのとも雰囲気が違う。
松本の隣りから、ヒョコリ、と人影が現れた。

その手に着けていた軍手で、額の汗をぬぐう。
まるでギャグ漫画か何かのように額が黒くなったその顔は、昨晩、峠で見たような―――?

「あ・・・えー・・・どうも・・・こんにちは・・・。」

そんなわけはない。
声は昨日の人物より幾分高いし、それに何より、黒いツナギの上半身の部分を腰で縛り、Tシャツ1枚の姿は、どう見ても―――女だ。

いや、しかし、昨日別に本人に「男」だと聞いたわけじゃない。
いやいや、田中も男だと言っていた、。
自分のことを「俺」とも言ってたはずだ。
いやいやいや、女の子でも自分を「俺」と言う子はいる。
ほんの数秒の間に、史浩の頭の中でそんな疑問と否定が信じられないくらいの速度でグルグルと回った。

すぐにまた引っ込もうとする彼女の襟首を、松本はすかさず掴み、眼を白黒させている史浩に向かって「すいません、挨拶がなってなくて」と謝る。

「こいつは近所の幼なじみで、たまにこうやって休日に車を持ち込んではピットを使って行くんですよ。ほら、ちゃんと自己紹介しろよ。」

その台詞の前半と後半で、明らかに声が違う。
史浩は思わず、「実は二重人格なのか?」と疑ってしまった。

「・・・、です。」

・・・昨日の男もそんな苗字じゃなかったか?
下の名前は―――知らない。聞いていない。
あ、分かった。双子の妹とか、そういうことか?
そうなんだな?

自分の仮説にカナリの無理があるのは分かっていたが、そこはわざと無視して何とか自分を納得させようとする。
この二人の間の気まずい空気が、実は何よりもの証拠なのだが、そこも気づかないふり。

「先に史浩さんの車の方をやるから、お前はちょっと向こうに行ってろ。ついでにその顔も洗っておけよ。」
「かお?・・・わぁ!」

自分の車のガラスに映った顔に、は慌てておでこを押さえ、店の方へと走って行った。
そんな彼女の様子は、やっぱり昨日の「男」と「似て」いて可笑しい。
―――飽くまで同一人物とは認めない。

「仲いいんだなぁ。幼なじみって言ってもこんなに大きくなるまでずっと仲がいいのも珍しいよな。」
「仲がいいわけじゃないですよ。ただ危なっかしくて放っておけないだけで。」

松本は困った顔をして見せるが、内心全然困っていないのは一目瞭然だ。
きっと彼女が可愛くて仕方ないに違いない。
だからこそ、ああいう口調になる。
手際よく作業を始める松本を眺めながら、史浩はノンビリと喋り続けた。

「しかし、俺とそっくりの車で驚いたよ。」
「そうですね、そう言えばホイールも一緒だし、足もビルシュタインの同じヤツですよ。」

やはり、昨日と同じ車か?
マツダスピードの小さなステッカーも同じ場所に貼られている。

「彼女が自分でメンテしているのか?偉いな。」
「ただ単に金がないだけですよ。他に頼むと工賃だけで馬鹿にならないですからね。」

とは言っても、松本が付きっ切りでは本当はかなりの「工賃」が発生しているはずだろう。

「・・・彼女、どこかで走ってたりするのか?」

ちょっとドキドキしながら聞いてみる。
双子の兄があの峠を走ってる―――とか、ないだろうな。
それならその兄本人がメンテするだろう。
しかし、僅かな期待をこめて松本の後姿を見つめる。

「もともと高校生くらいの頃からカートが好きだったんですよ。って言っても別に本格的にやってた訳じゃあないですけどね。知り合いのカート場でちょっと安く走らせてもらう位で。後は、車の免許取ってからはジムカーナに行ってますね。もう1年くらいになるのかな。」
「そうか・・・」

本人の話しか出てこない。
カートにジムカーナ。
その経歴は特段珍しいものではないので、別に昨夜の男と同じような感じでも、何も疑うほどじゃない。
しつこいくらいに、史浩は自分の中の疑惑を否定する。

「―――でも、どこか別の場所でも走っているでしょうね。」
「え?」
「タイヤとパットだけで一目瞭然ですよ。ジムカーナくらいじゃ、ああはならない。」

チラリとの車の方を見て、松本はため息をつく。

「でもその減り方とかを見ている限り、やばい運転はしていなさそうなんで、今のところは見て見ぬフリです。」
「・・・峠、とかか?」
「あいつにサーキット通う金はありません。」

やれやれと首を振る松本。
本当は心配で心配で仕方なくて、出来ればやめさせたくてしょうがないに違いない。
しかし、彼女が真剣に走っていて、なまじそんな彼女の気持ちが分かってしまうばかりに、頭ごなしに止めさせることも出来ない。
だから、車の状態だけでも常に万全にと、休みの日でもこうやって面倒を見ているのだろう。

「―――松本は、来週の交流戦には来るのか?」
「いえ、行く予定はありませんけど。」
「そうか。」

松本は殆ど涼介専属のようなものだから、彼が走る時以外は、峠にも滅多に顔を出さない。
一応念のために聞き、予想通りの返事に史浩はほっとした。

いくらしつこいとは言っても、そろそろ認めなくてはいけないだろう。