deception 23
「またステッカーが出回ってるらしい。」
腕組みしながら、ウンザリした顔で吐いた史浩の台詞に、隣りにいた啓介も「またかよっ!?」と呆れ顔で吐き捨てた。
傍にいたケンタは、レッドサンズに入る以前のことを思い出す。
ギャラリーに行った峠で、そう言う偽物のステッカーが売買されているのを見たことがある。
「んな偽物貼って、どうするんスかね。」
「さあな!」
啓介が腹立たしげに答え、煙草の煙を吐く。
「まあ・・・啓介さんはそんなステッカーあってもなくても変わらないですけどね」と他の二人のメンバーは顔を見合せて複雑な笑いを浮かべた。
「―――まさかお前ら、変なことに使ってんじゃねぇだろうな。」
「何もしてませんよ!」
「でも、こっちにその気がなくても向こうから来るじゃないですか。」
「来るモノ拒まず―――なんて言ってんじゃねぇのか?」
ジロリと睨む啓介に、二人は思い切り首を横に振って完全否定する。
偽ステッカーを貼った車の持ち主が目的とすることは、大概一つのことだった。
高橋兄弟の名前を出して、ギャラリーに来ている女の子たちに手を出す―――とか。
そんな美味しい思いなんかしたことねーなー、とケンタは心の中で呟く。
まあ、彼女が出来たばかりのケンタにはどうでもいい経験ではある。
「めんどくせぇなー。ほっとくんだろ?」
正直、啓介は女の子たちが騙されようがどうでもいいと思ってしまうのだが、調子に乗らせて悪目立ちされるのは鬱陶しい。
あまりに目に余るようなら何かしら手を打つ、というのが今までの方針だった。
「・・・それがどうも、そう言うわけにも行かないらしいんだよな。」
「どういうことだよ?」
「そのステッカーを貼ったグループが、タチの悪いバトルを仕掛けてくるらしいんだ。」
「タチの悪い?」
煙草の煙を吐きながら、訝しげな眼を史浩に向ける啓介。
史浩が唸る。
「わざとぶつかって来たりして、クラッシュさせるらしい。」
「・・・へぇ。」
そう言う連中は今までも見たことはある。
単に相手にダメージを与えることだけを目的に気にしている連中。
それが自分たちのチームのステッカーを貼っているというのは初めてだと思うが。
「先週も妙義辺りに出たらしいんだ。」
「―――妙義?」
近くにいたメンバーの一人が、その地名に反応する。
「確か今日、がその辺に行くって言ってませんでしたか?」
「が!?何でだよ?」
「何だか昼間に親戚の用事があって妙義の方に行くから、ついでに帰り寄ってみようかなーとか言ってましたよ。」
「ああ、そう言えば昨日そんな話してた。」
他のメンバーも昨日の会話を思い出し頷く。
そしてその直後には皆一様に厳しい顔つき。
「それ―――まずくないスかね?」
皆が思っていたことをケンタが口に出す。
先週現れたのなら偽物とはち合わせることはまずないだろう。
ただ、妙義に被害にあった人間がいたら―――
「・・・ったく、何でもっと早く言わねぇんだよ!?」
「す、すまん。」
苛立ちを隠さず、啓介は携帯を取り出しの番号を呼び出す。
けれど虚しい機械的なメッセージが流れるだけ。
啓介は舌打ちする。
妙義の連中の悪い噂は入ってきたことがないが、中には気性の荒い人間もいるだろう。
ましてや先週そんあことがあっては普段おとなしい奴でも頭に血が上っている可能性が高い。
他のメンバーも皆動き出したが、啓介は手で制す。
「変におおごとになると面倒だから俺一人でいい。」
一人が何かを言いかけて、やめる。
啓介は「心配すんな。大丈夫だから。」と笑ってその男の肩を叩いた。
「―――ったく、タイムリーなヤツだよな。」
啓介はもどかしげに車のセルを回す。
そして激しいスキール音を立て、駐車場を飛び出した。
が妙義を走るのは初めてではなかった。
とはいえ、今回のように親戚の家に行った帰りに少し立ち寄る程度で、走り屋の現れ始める時間帯に来ることは、数える位にしかない。
落ちたら死にそうだな。
最初に持った印象はそんな感じである。
軽く流す程度のペースで上って行く。
レッドサンズに入ってから来たのは初めてだ。
以前走ったときに難しいと思っていた場所も、あまる苦もなく抜けられる。
やっぱり、変わってきてるんだ―――と、ここでも改めてチームに入った効果を実感する。
上りの駐車場で折り返し、続けて下りに入る。
平日ということもあって、それ程車は多くない。
けれど駐車場には何台か車が止まっているのが目に入った。
下りも確認するように7割程度のペースで流す。
ふと、ルームミラーにヘッドライトの明かりが映った。
が脇に寄ろうと思った直後に、そのすぐ脇を通り抜ける車。
そしてタイヤの音を響かせ、まるでの進路を塞ぐように止まった。
一体何事だと目を見開いている間に、また別の一台が後ろから近づいて来る。
―――何かまずいことした?
前後を挟まれ、そこからすぐ逃げ出すことが出来そうもない。
それぞれの車から、人が下りて来るのが見える。
近づいて来る男の様子は、明らかにけんか腰だ。
このまま閉じこもっていても無理やり引きずり出されかねない。
は久し振りにキャップを目深にかぶり、深呼吸して外に出た。
「―――いい度胸だな。」
開口一番、一人の男からそんな台詞。
全く身に覚えのないは、何の事だか分からない。
「何のことですか」と素直に聞いたら、「とぼけんじゃねぇよ!」と怒鳴られた。
「先週お前の仲間がやったことを知らないなんて言わせねぇよ!」
「―――先週?」
もちろんは偽物の話など聞いていないのだから、知るはずもない。
首を傾げるが、その様が相手をイラつかせる。
「仲間の車がどうなったと思ってんだよ!」
「―――っ!何するんですか!」
一人がの車のボディを蹴った。
反射的に、その男をどんと押しのけ、自分の車の前に立つ。
ボディがへこむ程ではなかったが、自分の愛車が目の前でけられるという屈辱を許せるはずもない。
噛みつかんばかりの勢いで、その男を睨み上げる。
相手の男もを睨む。
―――が、ふと、何かに気づいたように片方の眉を上げた。
「おい、こいつ、女じゃねぇ?」
「え?まじかよ?」
はその台詞にも動じず、目の力を弱めない。
―――そう。きっと普通はばれるものなのだ。
これだけ近くの位置に立てば。
でも、はいそうですと素直に認めるわけにも行かない。
一人の男の腕が伸びてくるが、何とかそれをかわす。
こう言うとき、どうするのが一番いいのか、よく分からない。
急所蹴ってとりあえず車に戻って・・・多少ぶつけても、ここから逃げ出すよりないよな。
―――でも、急所なんて蹴って、本当に効果ある?
短い時間の間に、色々な考えが頭を巡り、さまざまな不安と恐怖に襲われる。
再びジリジリと近づいて来る男たちを、は精いっぱい睨みつけ、ごくりと唾を飲みこむ。
ざわざわと不安を煽るような風が吹き―――一台の車の音が聞こえてきた。
耳を澄ます。
よく聞く車の音とは違う。
ヘッドライトがたちを照らし、目の前に黒い車が止まる。
見たことにないシルビア。
その車の横には、の前にいる男たちと同じステッカーが貼ってある。
仲間か―――
は絶望的な気分になった。
車から降りてくる男の姿を、ぼんやりと眺める。
「お前ら、何してんだ。」
黒のシルビアに黒の服、真っ黒な髪。
まるで闇の世界の住人みたいだ。
けれど、その黒い瞳には他の人たちのような怒りの色は見えない。
「何って、この前の仲間がのこのこ来やがるから―――」
「あれは偽物らしいぜ。」
「ニセモノ!?」
吐き捨てるように言う黒ずくめの男に、の前にいた男たちは過剰なまでの大きな声を上げる。
眉間にしわを寄せ、考えを巡らせる。
仲間―――偽物―――?
レッドサンズの、ニセモノ?
「でも、こいつがその偽物の方の仲間じゃないとは限らねえだろ。」
「・・・それはないんじゃねえか?」
「おい、何醒めてんだよ、毅。野崎の車がどうなったか知ってんだろ!?」
「それは知ってるけど―――」
毅と呼ばれた男が、ちらりとを見、車に目をやる。
その車には何となく見覚えがあった。
たぶん、二三回しかここで見たことはないはずだが、何となく印象に残っていた。
小さい車で元気がいい―――と思ったのを覚えている。
まさか、こんな小柄なドライバーが操っているとは思わなかったが。
男は自分を見返してくるの視線と視線がぶつかり、目を逸らす。
強い、訴えるような目。
助けを求める、というよりは、自分の潔白をその強い視線で証明しようとしているようだった。
やっぱり。こいつは違うだろうと言いかけたその時、数台のエンジン音に紛れて、猛烈な勢いで自分たちの方へ近づいて来る一台の車。
がピクリと反応する。
四人の中に突っ込みそうな勢いで、その車は強烈なスキール音を立てて目の前で止まった。
その黄色い車を目にして、思わずは力が抜けそうになる。
涙が出そうになって、慌ててシャツで乱暴に拭った。
「―――!」
のもとに駆け寄り、乱暴をされた形跡がなかったのを確認して、ひとまず安堵のため息をつく。
うっすら目を潤ませているの頭を、やや荒っぽく掴み自分の方へ引き寄せた。
そして前に立っている三人の男をジロリと睨みつける。
その迫力は三人の比じゃない。
「てめえら、うちのメンバーに何か用かよ?」
相手は圧倒され、じりじりと下がっていく。
けれど自分たちだって仲間の車がクラッシュさせられたのだ。
このまま黙って引き下がれるわけがない。
「この前、ここに俺達の名前を騙った奴らが来たって言うのは聞いたよ。気の毒だとは思うが、こいつは関係ねぇ。」
「関係ねえで済むかよ!こっちの車がどうなったと思ってんだ!」
「おい、やめとけよ。」
「うるせえ!」
「じゃあどうしろって言うんだ?こいつらに野崎と同じように崖に落ちろとでも言う気かよ?それじゃあこの前の奴らと同じになっちまうぜ?」
黒のシルビアの男は冷静に仲間を説得しようとする。
けれど他の二人の男は、やはりどうしても納得はいかない。
ぎり・・・と歯ぎしりする。
「・・・でも、こいつ女じゃねえか。」
「そうだよ、こいつら本物なのかよ!?レッドサンズに女が入ったなんて話、聞いたことがないぜ?」
って、おいおい、こいつはどう見たって高橋啓介じゃねえか。
こんな男が二人も三人もいてたまるかよ。
たちを指差す二人に、黒のシルビアの男は心の中で突っ込む。
とにかくもう引くに引けない状態なのだろう。
ため息をつき、の方を見る。
確かに女と言われれば、そんな気もする。
だからこそ高橋啓介もここまで追って来たのかもしれない。
どれ位速いのか―――ちょっと興味がある。
「じゃあ、バトルしてみればいいんじゃねえか?」
「・・・バトル?」
皆がその単語に反応する。
結局、この場をおさめるにはそれが一番いいのだろう。
「本物なら俺たちといい勝負になるはずじゃねぇか。先週の奴らはスタートから酷かったからな。」
「―――何でそんな奴らにやられたんだ?」
「途中で仲間が待ち伏せててぶつかって来たんだよ。はなからバトルする気なんてなかったのさ。」
今考えればおかしな所が多かった。
けれど「レッドサンズ」の名に皆冷静さを失い、とにかくバトルで勝つことばかりに頭が行ってしまった。
「群馬最速のチーム」というのは、それだけバトルの相手としては魅力的だったのだ。
「―――下りなら、俺、走ります。」
指名するまでもなく、の方から名乗り出る。
啓介も、僅かに眉根を寄せたが異議は唱えない。
ここで相手を納得させるには、自分よりもが走った方がいい。
今のなら、たぶん負けることはないだろう。
「じゃあ、俺が出る。」
そう言って前に出たのは、白のインテに乗っている男。
の車を蹴った男だ。
どんな事情があっても自分の車に傷をつけようとする奴なんて許せない。
この貸しはバトルで返すしかない。
「女なんかに負けるかよ。」
「女、女ってうるさいな。それで『女みたいな奴』に負けて後悔するなよ。」
睨まれても怯まずに言い返す。
啓介の背に隠れて守ってもらおうとしたりせず、怖くて足が震えていても一人で立ち向かおうとする。
そんな彼女を見て、啓介はこの状況にふさわしくないと思いながらも、口元が緩むのを抑えられない。
そして、更にふさわしくないことを思う。
―――やっぱり、こいつ好きだわ。
「―――よし、じゃあさっさと始めようぜ。」
5人は下りのスタート地点へと移動した。
スタートラインに車を並べたのもとへ、啓介は煙草を咥えながら近づく。
「おい、。まどろっこしいことしてねぇで、さっさと前出ろよ。ちゃっちゃと帰るからな。」
「それって・・・。」
「俺もすぐ行くから。追いつかれねぇようにな。」
煙を吐き、ニヤリと意地の悪い笑み。
その表情に、の緊張が少しだけ解れ、口を尖らせる。
「いくら何でも追いつかれません。」
「どうかね〜。」
ぽんぽんとの頭を叩き、自分の車の方へと戻る啓介。
カウントを取るために、別の男がの車とインテの間に立つ。
口の端に笑みを浮かべて隣りに立つ啓介に、緊張感のない奴だな、と黒のシルビアの男は呆れた。
即興のバトル。
仲間の勝利を信じて疑わないのか。
バチリ、と二人の目が合った。
「―――あんたが、あいつらとの間に立って説得してくれたらしいな。一応礼は言っておくよ。」
「・・・別に、礼を言われるようなことはしてねぇよ。」
腕を組んだままそっぽを向く男。
まさか礼を言われるとは思ってもみなかったので、戸惑ってしまう。
「あんたがここのリーダーなのか?」
「―――ああ、まあな。」
「そうか。上の奴がまともでよかったよ。俺は高橋啓介。またいつかバトルすることもあるかもな。」
「・・・俺は中里毅だ。」
「S−13の中里ね。覚えておくよ。」
たちがスタートする。
最初、少し上っている箇所があって苦しそうだったが、コーナーで並び、啓介の云いつけ通りが前に出た。
それを見届け、啓介は煙草を揉み消し、車を発進させる。
数百メートル行くと、すでにとその後ろの車との差は徐々につき始めていた。
「―――まあ、そうじゃなきゃな。」
啓介は呟き、アクセルを踏み込んだ。
「ったく、ほんっっっとーにお前は、いつもヒヤヒヤさせやがって!」
の車が先にゴール地点を過ぎると、じきに後ろからFDが近付いてきた。
車を止めて外に出ると、FDからも啓介が下りてきて、よりも早く彼女のもとへ駆け寄り、むちゃくちゃに髪をかき回す。
普段なら「何するんですか!」と反抗するのだが、今日は大人しくぐしゃぐしゃにされた。
「・・・すいません。」
「って、しおらしくすんじゃねぇよ!気持ち悪い!」
そう言ってまたかき回す。
啓介がここに来るまでの間に、色々と最悪の状況も想定していた。
を抱きしめて、改めて無事だったことに安堵する。
「俺が男だったら、こんなに迷惑掛けてませんよね・・・。」
「ばーか!お前が男でも来たよ!お前、たとえ男だとしても弱っちそうじゃん!ボコボコにされてたかもよ?」
「弱っちいって・・・。」
は不貞腐れながらも、顔が熱くなって俯く。
何でこの人はいつもこうやって自分をほっとさせてくれるのだろう。
「とりあえず帰ろうぜ。今頃史浩が胃痛でぶっ倒れてるかもよ?」
「えっ!」
「みんな心配してる。仲間だからな。」
「―――うん。」
啓介は抱きしめていたを放し、頬を撫でる。
何かの衝動を堪え、笑う。
「何があったかは他の奴らには言うなよ?余計な心配させることねぇからさ。」
こくりと頷く。
自分の車に戻るため、に背を向ける啓介。
「―――カタは俺がつける。」
吐き出された台詞は今まで聞いたことがないような声で、はその背を見つめながら、少し、ゾクリと体を震わせた。