deception 11




気がついたら、もう空が白んでいた。
ぽつりぽつりと見えた車の姿も、すっかり消えてしまっている。

はスピンした車から降りて、早朝の空気を吸い込んだ。
車に寄りかかり、目を瞑る。
すると麓から一台の車が上がってくる音が聞こえてきた。

こんな時間から?

目を閉じたままを耳を澄ます―――と、その聞きなれた音に、車から勢いよく身を起こした。
目の前で黄色い車が止まり、その窓が開く。

「道の真ん中に止めてんじゃねーよ。邪魔だぞ。」

口調は乱暴だけど、その顔は笑っている。
どうせ今ここにいるのは、と啓介だけだ。
も、上って来たのが啓介だと分かったので、特に急いで車をどけることをしなかった。
視界の悪い場所ではないし、啓介なら上手くよけるだろうと思ったからだ。

「スピンで今日は締めくくりかよ?」
「・・・放っといて下さい。」

啓介が車を降りて、ふてくされた顔をするの方へと寄って来る。
様子を見る限り、無茶な運転をして―――というよりは、ちょっとオーバーステアになって立て直しを諦めたといった感じか。

「何か、よくこの辺でもうちょっと行けるんじゃないかと思っちゃうんですけど。」
「まあ、そういうときは大概行けねぇよな。こんな時間じゃあ、いい加減タイヤもたれてるし。」
「―――啓介さん、どうしたんですか?先に帰ってましたよね?」
「ああ・・・まあ・・・さっきまでケンタたちとファミレスにいたんだけどさ、何となく走り足りねー気がして。」
「今から?」
「悪いかよ?」

じろりと睨む啓介からは、どこか照れくささを隠すような空気。
実は、のことが気になってきた、とは言えない。
この前の夜は、せっかく涼介が来たというのに、は早くに帰ってしまった。
涼介も史浩も、その日に来ていたはずの田中の話は一切触れなくて、雰囲気も微妙にいつもと違って感じた。
何かあたのかとストレートに聞いても、何のことだ?と惚けられるだけ。
もちろん、何もなければそれがいいに越したことはないが、何となく気にかかって、今も、まだ走っているだろうと思って戻ってきてしまった。

「お前はもう帰んのか?」
「うん・・・そうですね・・・。」
「何だよ?ハッキリしねぇな。」
「あの、ちょっとお願いがあるんですけど、いいですか?」
「なに。」
「啓介さんの下り、隣りに乗せてもらいたいんですけど・・・。」
「俺のFDにかよ?」

が頷くと、「重くて走れっかなぁ?」と啓介の台詞。
案外しつこい、もとい物覚えのいい男である。



がFDに乗り込み、フルバケに納まると心地よい振動が全身に伝わってきた。
自分の車とは違う匂い。音。振動。
案外広い―――かな?
そう感じて啓介にも言うと「そりゃお前、ロードスターに比べりゃ広いだろうよ。」と笑われた。
「あの車に史浩が乗ると、さらに暑苦しいぜ。」と余計なことまで言う。

「この前、涼介さんが乗ったときも苦しそうでした。」
「なに、アニキ、お前の車に乗ったの?」
「運転、見せてくれたんですけど、ステアリングが足の間にあるって感じで、つらそうでした。」
「あれは180ある男の乗る車じゃねぇな。」

180ある男が言う。

「で、どうだった?アニキは?」
「うん・・・自分の車じゃないみたいでした。全開とかじゃないはずなのに・・・。」
「だろうなー。」
「史浩さんが『涼介と同じ運転しようとしちゃ駄目だ』って言ってました。同じなんで出来るわけないんだからって。」
「確かに、いきなりアニキみたいになれる訳ねーからな。」

あれで免許取るまでモータースポーツとかしたことがないなんて信じられない。
はそのドライビングを思い出して、首を振る。

「ま、俺と同じ運転しようと思ってもムリだぜ?」
「どうでしょう?」

ベルトを締め、は冗談ぽく首を傾げて微笑う。

「―――言ってくれるじゃん。途中で失神してもしらねぇからな。」

そう言うなり、シフトを1速に入れ、啓介はアクセルを一気に踏み込んだ。


自分の車では体験したことのないGに、は驚いて声も出ない。
気づけばもう1コーナーが迫っていて、思わず右足に力が入る。

うそ、ブレーキ!ブレーキは!?

心の中で叫ぶ声に一歩遅れてフルブレーキ。
コーナーを抜けると同時に今度はフルアクセル。
いろいろと考える余裕がない。

「啓介さん、このスピードおかしいです。」
「真顔で言うな。」

中盤、何とか口を開く余裕が出たところで言えたのが、そんな陳腐な台詞。
自分でも変だと思ったけれど、そう思ったのだから仕方がない。



車から降りると足がガクガクしていた。
「大げさだなー。」と、横で見ていた啓介が苦笑する。

「アニキの方が速かっただろ?」
「そんなことないです・・・だって、俺の車だったからもともと限界低いし・・・かなりセーブしてる感じだったし・・・。それに啓介さんってアクセルのオンオフ激しい・・・。」
「―――アニキみたいなこと言いやがるな。」

車の横にしゃがみ込んだら、のお腹からグルルル、と言う音。
そのあまりの大きさに、啓介は吹き出してしまい、彼女の頭を小突くタイミングを逃す。

「んだよ、腹減ったのか?」
「今のでスタミナ使ったんです。」

また鳴るのを抑えるようにおなかを両手で抱え、隣りで大笑いしている啓介を恨めしげに見上げる。

「お前細いからなー、ちゃんと食ってんのか?」
「食ってますよ。最近はちょっと金なくて1日2食とかですけど・・・。」
「にしょくぅ!?何でそんなに金ないんだよ?」
「暫く平日のバイト入れるのやめたから、バイト代が減ったんです。でもガソリン代は逆に増えてくし・・・。」
「それって、峠に来るためかよ?」
「・・・とりあえず、2週間後のバトルまでは。」

そっぽを向いて、ぼそりと言う
その背中からは、馬鹿みたいだろ、笑えよ、というオーラをむんむん出している。
彼女の期待を裏切らず「ばっかじゃねーの?」と啓介は呆れた声を上げた。

「その2食も、カップラーメンとかなんじゃねーだろうな?」
「おにぎりもあります。」
「そんなんだからガリガリなんだよ!ちゃんと食え!!とりあえずこれから何か食いに行くぞ!」
「え・・・。」
「奢ってやるよ。」
「そんな・・・いいですよ。」
「何だよ、お前が遠慮すると気持ち悪ぃな。」
「まるで俺が図々しいみたいな言い方しないで下さい。」
「どっちかって言うと図々しいだろ。」

はその言葉に反論すべく立ち上がる。
けれどその直後また豪快に腹の虫が鳴った。
また「ばーか」と言って啓介が笑う。

「今やってる所って言えばファミレスか・・・ああ、ラーメン屋と朝7時までやってる焼き肉屋もあったな。どこがいい?」
「啓介さんの奢りですか?」
「おう。」
「じゃあ、焼き肉がいいです。」
「・・・やっぱり図々しいじゃねーか。」

は思い切りど突かれれた。



早朝の焼き肉屋なんて来る人がいるのだろうかと思ったら、ちらほらと客がいて驚いた。
昔ながらの店といった感じで、排煙が間に合わずに店内全体がちょっと煙っている。
テーブルも端の方は油で少しベタベタしていた。

「店は汚ぇけど、味はいいぜ。」

そう言って、啓介はメニューをに渡し、自分は早々に煙草に火をつけた。

「俺、結構食べる方なんですけど。本当に普通に頼んでいいんですか?」
「ああ、いいよ。」

じゃあとりあえず・・・と、は店員を呼んで次々注文していく。
その量に啓介は自分の懐具合よりもの腹具合を心配した。
そんなに食べられるのか?

「啓介さんて、お金持ちなんですか?」
「別に俺は金持ちじゃねーよ。こんな店で腹いっぱい食わせた位で金持ちとか言ったら、世の中の金持ちが怒るぞ。」
「でもまだ学生って言ってましたよね。すごく割のいいバイトをしてるとか・・・?」
「してねーよ。基本的にバイトは単発でしかしねぇし。」
「ふーん・・・。」
「ま、学生の本分は学業だからな。」
「今、鼻伸びませんでしたか?―――あっ!」

啓介は焼き網に乗っていた肉を、根こそぎ自分の皿に入れた。

「・・・ひどい・・・。」
「どっちが。」

は悲しげにまた新しい肉を網に乗せる。
その目の前で啓介は肉をほおばり、わざとらしく「旨ぇ!」と言う。

「お前も学生なんじゃねーの?大学?専門?」
「大学です。」
「へー、どこ?」
「え・・・う・・・群大です。」

一応、性別を隠している都合上、プライベートな話題になるとつい言い淀んでしまう。
そう言えば、今まで峠では車の話ばかりでまったくそう言う話題にならなかったなーと、改めて思う。
それは、田中がわざとそう言う話を振ってこなかったせいもあるのだが。

「うっそ!まさかアニキと一緒とか?」
「涼介さんは何学部なんですか?」
「医学部だよ。」
「え、お医者さんになるんですか?」
「だって、うち病院だし。」
「ふーん、涼介さんが後継ぎなんですね。啓介さんはお医者さんにならないんですか?」
「俺が医者になるタイプだと思うか?」
「思いません。」
「・・・てめぇ、その肉も全部取られてーのか。」

啓介が箸を持つより早く、は網の上の肉を全部自分の皿に持っていった。
「あ、いただきます。」と言ってから食べる姿が小憎らしい。

「でも涼介さんがお医者さんって・・・治療とかわざと痛くされそうです。」
「・・・お前、アニキにどういうイメージ持ってんだよ?」

兄が医学部に行っているとか、親が病院を経営しているとか言うと、意味もなく羨望の視線を向けられるのが常である。
それなのに、よりによって群馬のカリスマ的走り屋に何たる言い草。
しかしそののイメージする涼介が、啓介にも容易に想像できて可笑しい。

「それ、本人に言ってみろよ。」
「絶対イヤです。」
「じゃあ俺が言っておいてやる。」
「やめて下さい!」

そんな会話をしながらも、肉を焼く手は休めない。
これだけ食欲があれば心配することはないよな、と啓介は笑い2本目の煙草に火をつけた。

「お前さー・・・あんま頑張り過ぎんなよ。」

横を向き、天井に向かってふうと煙を吐く啓介。
その声がやけに優しくて、は思わず箸を止めて啓介を見る。

「何か、お前って加減しらなそうじゃん。こっち来てから殆ど車のことしか出来てねぇんじゃねーの?ちゃんと大学行ってっか?」
「啓介さんに言われたくないです。」
「ここは茶化す所じゃねーよ。」

優しい声になったり、真面目な声になったり、今日の啓介は珍しいことだらけだ。
は箸を置き、ちょっと俯く。

「今度のデビュー戦に力むのは分かるし、アニキの期待に応えたいって言うのも分かるよ。でもなんつーか・・・特にこの何日かは見てて危なっかしいっていうかさぁ・・・俺はお前とは長く付き合いたいんだよ。」
「俺だって、啓介さんたちと長く一緒にいたいから・・・。」
「別に今度負けたからって、即辞めさせられるってことねーよ。アニキだってもっと長期スパンでお前のこと考えてると思うぜ?」
「・・・・・・。」

無言になる
その表情に、啓介は嫌な予感がする。

「―――お前、また何か賭けたのか?」
「またって何ですか。この前だって啓介さんが洗車なんて言い出したんじゃないですか。今回のは・・・」

違う。
賭けを始めたのは、最初に条件を出してきたのは田中だった。
そして今回も、やっぱり田中だ。

「お前、まさかレッドサンズ辞めるとか言ったんじゃねーよな!?馬鹿じゃねぇの!?」

その大きな声と、どんとテーブルを叩く音に、周囲の客が二人の方を振り返る。
しかし啓介は抑えることなく続けた。

「誰と賭けたんだよ?んな馬鹿なことアニキが言い出すわけないよな。あの田中って野郎か!この前あいつがこっちに来た時様子がおかしかったのって、そう言うことかよ!?」
「・・・涼介さんも了承済みです。」
「アニキも馬鹿じゃねぇの!?」

勢いとは言え、啓介があの兄を馬鹿呼ばわりするなんて珍しい。
イライラと、灰皿に煙草を押しつける。
網の上では肉がどんどん炭と化していった。

「啓介さんは俺が勝てないと思いますか?」
「思わねぇよ!そう言うことじゃねーだろ。そんなものを賭けの対象にするのがムカつくんだよ。何なんだよ、あの野郎。そんなにお前がこっちに来たのが嫌だったのか?ホモなんじゃねぇの。」

啓介は、じっと下を向いたままのを見る。
炭化した肉から煙が上がる。
周りからは、まばらながらもジュウジュウと肉の焼ける音が聞こえてくる。
俺は何でこんなに熱くなってるんだ?
少し冷静さを取り戻す。

「―――とりあえず、食えよ。」
「え?あ、はい・・・。」
「って、それは食うな!新しい肉焼いて食え!!」

真っ黒い物体を脇に寄せ、啓介は新しい肉を乗せる。
そしてその肉をすぐに裏返しながら、啓介が言う。

「とりあえずあと2週間、お前はバトルに集中しろ。腹減ったら飯ぐらいいつでも食わせてやるから。」
「え?でも・・・。」
「食うもん食わねえと倒れるぞ?そんなんで負けたらバカみてーじゃんか。あと、俺に何かして欲しいことはあるか?」
「ないです・・・けど・・・」
「けど?」
「・・・えーと・・・たまに一緒に走って欲しい・・・です。」

やたらと恥ずかしそうに、しどろもどろに言う。
しかも顔まで赤くするので、啓介の方まで何となく恥ずかしくなってきてしまった。
しかし何か妙にうれしいような気もする。
俺もホモなんじゃねーの?
思わず自分に突っ込みたくなる。

「あの悪趣味な追い回しがないと、ちょっとさびしくて。」
「お前はホントに一言余計だよな!まあいいぜ、そんなの、いつでもやってやるよ。ま、『一緒に走る』のは厳しいと思うけどな!」
「・・・いつかFDのお尻を付け回します。」
「へえ、そりゃ楽しみだ。でもそれは1か月じゃ無理だな。」



バトルまで、あと2週間。