deception 3




待合室に入ると、が自販機の前でごくごくとジュースを飲んでいた。
史浩も水を買い、その横に並ぶ。

さて、なんと話しかけたらいいものか。
いろいろ聞きたいことはあるのだが、そのきっかけがつかめない。
仕方ないのでとりあえず史浩もゴクリゴクリと勢いよく水を飲んだ。

「―――あの」

ふう、と一息つき落ち着いたところで、恐る恐ると言った感じのの声。

「もう修ちゃんには言っちゃいましたか?」
「え?」

隣りのを見ると、緊張した二つの目とぶつかる。
いくら暗がりとはいえ、どうしてこの子を男と見間違ったのだろうか。
思い込みとは怖いものである。

「・・・言ってないよ。」
「そうですか。」

安堵のため息。
これで、同一人物であることは決定的となった。

「昨日のあの場所では、やっぱり男の振りをしていたんだよね?」
「・・・一応、そうです。」
「ばれてないの?」
「たぶん・・・。田中さんとしか殆どしゃべらないし。」

田中は―――実は気づいているんじゃないだろうか?
しかし敢えて騙された振りをしているのではないか。
峠で、場違いなくらいに女の匂いをさせている女性もいる。
しかし、真面目に走ることだけを目的にすれば、その性別が邪魔になることもないとは言えないだろう。
夜の峠には、色々な人間が集まるものだ。

「で、松本にも内緒にしてる、と。」

実はばれているのだが。
はコクリとうなずく。

「別に、正直に言えばいいじゃないか。」
「そんな、ばれたら絶対にやめさせられますよ。ジムカーナ行くのだって・・・って言うか、あの車を買うときだって反対されて大変だったんですから。」
「車だけで?」
「はい。あんな車買って、お前が街乗りだけで満足するわけがないって。・・・確かに、そのとおりだったんですけど。」

しかし、結局は車を買うことも、ジムカーナに行くことも許し、実は峠を走っていることだって黙認している。
松本の心情を察し、史浩は思わず苦笑を漏らした。

「ちゃんと説明すればわかってくれるさ。松本だって、自分の目の行き届く赤城とかで走ってくれた方が安心だって思うんじゃないかな。」
「そんなことありませんよ。万が一許してくれたとしても、赤城でなんてきっと二人とも気が散っちゃって・・・」
「そうかなぁ」
「そうです」

今いち納得いかない史浩に向かって、はこくこくと縦に首を振った。

「だから・・・あの、言わないでおいて欲しいんです。修ちゃんにも、あと、田中さんたちにも」

もちろん、最初から史浩にばらす気などない。
心配そうに見上げるを安心させるように笑うが、楽観視はしない。

「それは構わないけど、いつまでも内緒には出来ないんじゃないかと思うよ。」
「そうですけど・・・あとちょっとの間だけでも」

真剣な眼差し。
なるほど、この眼で訴えられては頷かざるを得ない。

「・・・わかったよ。」
「ありがとうございます!」

打って変わって明るい笑顔。
幼なじみでなくとも、思わず頭をぽんと撫でたくなる。
史浩は彼女の共犯者となったことに、少なからず満足感を抱いた。

その部屋の外で、松本が深い深いため息をついていることにも気づかずに。



交流戦当日、は5回かかっていた田中からのコールに4回までは無視をした。
が、結局最後の1回に出てしまい、その誘いに抗いきれず「ぜーったいに出ませんよ」と、果たしてその効果がどこまであるのか分からない断わりを入れて、峠に向かった。

今日のバトルには松本は来ないと史浩から聞いていたので、その点は心配ない。
ただ、あまり目立ちたくはない。
峠では、自分のタイムがコンマ数秒縮むだけでも楽しいので、別に誰かと競いたくはない。
それがの今の考えだった。

上り道に差し掛かると、普段ギャラリーとは無縁のこの峠にもチラホラと人が立っているのが見える。
女の人も結構いることに気がついては驚いた。
案外、車が好きな女の人って多いんだな。
実は彼女たちの大半は、高橋兄弟が目当てなのだが、そうとは知らないは彼女たちに勝手に親近感を覚える。

上りのスタート地点の近く、いつも田中たちがたむろしている場所には、見慣れない車が多く止まっていた。
それらの車には、レッドサンズと言う赤いステッカーが、誇らしげに貼ってある。

いつもと違う雰囲気に、は思わずそこを通過したくなったが、そこはぐっと堪え、端のほうにスペースを見つけて車を止めた。
エンジンを切り、黒いキャップを目深に被る。
そして意を決したように「よし」と小声で言って、車から降りた。

人の輪の中央には、田中と、いつも見かける顔。
他に、史浩と、あと見たことのない男の姿が4、5人。

―――背、高いな。

史浩の隣りに立っていた二人の男に眼が留まり、はぼーっとそんなことを心の中で呟く。
綺麗な黒髪の男と、ツンツンに立てた黄色い髪の男。
ぱっと見、印象は二人で違うけれど雰囲気は似ている。
モデルばりのスタイルもそうだが、顔立ちもよく見ると結構似ていた。

「お、来た来た。こいつがさっき言ってたヤツ。」

田中は、自分の方に近づいてきたの腕をぐいと引っ張り、自分の近くに引き寄せる。
それを見ていた心配性の史浩は、体に触れられて大丈夫なのかとヒヤヒヤする。
腕を掴まれた当の本人は、そんなことをまったく考えず、ただ、何事かと目をパチクリと見開いた。

「うちの期待の新星。今日もお前らをギャフンと言わせてやるから、よろしく。」
「またいきなり、何わけの分からないこと言ってんですか。」
「こうやって年上の人間に敬語で無礼なこと言う所も新星って感じだろ。」
「あの、今日はバトルには出ませんけど、見学させてください。」

田中の存在を無視するように、前に立っていた見知らぬ男たちにペコリと頭を下げる
二人の様子がまるで漫才か何かのようで、涼介は小さく笑みを漏らし、その隣りの啓介は思わず口元を緩ませた。

「無礼なのは、お前に対してだけみたいだな、田中?」
「ああ、よく他の奴にもそう言われるんだよな。俺にだけ心を許してるってことかな。」
―――だったよな。俺は高橋涼介。レッドサンズのリーダーをしている。こいつは弟の啓介だ。今日は俺たちもバトルには参加しないんだが、『期待の新人』の噂を聞いて、ちょっと気になってね。」

そう言って、わざとらしくニーッコリと笑う。

・・・この人って、性格悪いかも。

こっそりとそんなことを考え、の方も「一体何のことやらさっぱり分からない」とばかりにニッコリを笑い返した。



―――小せぇな。本当にこんなヤツが速いのか?

決して女の中では小さい方ではないのだが、男だと信じて疑わない啓介はをじーっと見てそんなことを考える。
最初、この交流戦に来るつもりはなかったのだが、兄が行くというので急遽ついて来ることにした。
啓介は、自分がその速さを確かめる為の手段としてまず第一にバトルを思い浮かべるので、それを拒む走り屋はどうしても腑抜けに見えてしまう。
僅かな距離ではあったが、ここまで走ってくるの車の動きを見て、目の前の男が「腑抜け」とは思わないが、そこまで嫌がる理由が分からない。



「―――俺も、オフィシャルやります。4コーナーの方に行ってきます。」

バトルの準備が始まる。
は結局バトルには出ないで済んだらしい。
せめてオフィシャルの手伝いをしようとトランシーバーを受け取った。

「あ、じゃあ、俺も行くかな。お前、一緒に乗せてってくれよ。」
「えっ!?」

思わず聞き返したのは、なぜか史浩である。
啓介のほうに特に何か理由があったわけではない。
何となく目の前で動き始めたに釣られて言っただけだ。
余計なことを・・・とその横で史浩が嘆く。
果たして、史浩は今日の最後まで胃が持つのだろうか。

「何だよ、公平さを保つ為に両チーム1人ずつ立つのってのは普通だろ?」

普段兄ベッタリでオフィシャルなんて殆どやらないのに、一体どういった風の吹き回しだ。
史浩だけでなく、兄や同じチームの人間の大半がそんなことを思う。
無意識にのことが気になったのか。
史浩の心配をよそに、の方は啓介の言うことはもっともだなと思い、頷いた。

「じゃあ、乗ってください。」
「おう、悪いな。」

の車の助手席のドアを開け、ドカリと乗り込む。
続けても運転席におさまり、Uターンして道を下りて行った。

密室に2人だけなんて・・・大丈夫なのか?
やっぱり俺が代わりに行って・・・いやいや、それじゃあ余計怪しい。

「おい、史浩、そろそろスタートさせてもいんじゃないか。」

そう涼介に声をかけられるまで、史浩は一人でグルグルとそんなことを考えていた。