deception 22




初め、その音を夢うつつの中で聞いて、何の音なのか判別できなかった。

―――車の音だ。

肌触りのよいシーツが気持よさに、もそもそと体を動かしながら、それだけは思った。
けれど、それが誰の車の音かまでは考えられない。
ふと、自分の腰に重みを感じて、はうっすらと目を開ける。
いつも目が覚めた時に見えるものとは違う天井。
は一瞬首を傾げ―――飛び起きた。

隣りに寝ていたはずの人物の姿はすでにない。
誰に見られるという訳ではなかったが、衣服を全く身に付けていなかったは、慌てて上半身を手で隠す。
枕元にあった時計を見ると朝の7時。
昨日は一体何時に寝たのか覚えていない。
―――というか、どのようにして寝るまでに至ったかも覚えていない。

ようやくさっきの車の音が啓介のものだと気付く。
昨夜あんなにきっぱりと「泊まりません!」と言い切ったというのに、結局全部啓介の言ったとおりになってしまった。
一体どんな顔をして会えばいいのだろうか。
本当なら、啓介が返ってくる前にこの家を出るべきだったのだけど、昨日の夜は全然そんなことを考える余裕はなかった。
涼介も起きるのなら、自分を起こしてくれればよかったのに、と身勝手なことを考えてしまう。

いそいそと、ベッド脇に置かれていた服を身に付ける。
今さら誰にも会わずこっそり出て行くことなんて、出来るわけもない。
手櫛で髪を整え、は覚悟を決めて息を吸い込んだ。



階段を下りて行くと、奥の方から啓介の声が聞こえた。
涼介の声も漏れ聞こえるが、やはり啓介の声の方が響く。
恐る恐るその声のするキッチンを覗き込むと、入り口の方を向いていた啓介と目が合い、にやり、と笑われた。

「―――よお、お早いお目覚めで。」
「・・・おはようございます。」
「ああ、、目が覚めたのか。」

昨夜の余韻など全く感じさせない、普段どおりの優しい笑み。
入口で躊躇っているに、「もコーヒー飲むか?」と言って中へと促す。

「あ、お前も牛乳飲む?」

おずおずと入ってくるに、啓介は自分の手に持っていた空のグラスをプラプラと振ってみせる。

「啓介さん、これ以上大きくなってどうするんですか。」
「お前はもうちょっと大きくなった方がいいんじゃねぇの。」

胸が。
最後の言葉は声には出さなかったけれど、明らかに口の動きがそう言っていた。
ジトリと睨むに、啓介はふふんと鼻を鳴らす。

「お前、今日朝からバイトって言ってなかった?」
「あ、はい・・・そろそろ帰ろうと思って・・・。」
「そうだったのか?これから朝飯でも作ろうかと思ったんだが、時間はないのか?」
「ええと、バイトは10時からなんですけど、一度家に帰ろうと思って・・・。」

渡されたコーヒーを、はコクコクと飲む。
やっぱり涼介の淹れたものは美味しい。昨夜自分の淹れたものとは違うように感じる。
ほう、と息を吐く。
いつもと変わらない三人の会話に安堵すると同時に、妙な違和感を感じて少し居心地が悪い。
「ごちそうさまでした」とカップを涼介に返す。
その時に涼介の手が触れて、は頬が熱くなった。
今さらそれくらいのことで―――と自身突っ込みたくなるが、逆に今だからこそ僅かに肌が触れただけで反応してしまうのかもしれない。

「あの、じゃあ、俺帰ります。お邪魔しましたっ」

そんな自分を誤魔化すように、いつも以上に元気な声を出す。
逃げ出すようにキッチンを出ようとすると、後ろから啓介の声が聞こえた。

「じゃ、俺はシャワー浴びてちょっと寝るわ。」

じゃあな、
ポンとの肩を叩き、先に啓介の方が先にキッチンを出る。

「大丈夫か?。」

そして今度はすぐ後ろから涼介の声。
車運転して帰れるか?
そう聞いて来る涼介の表情はいつもと同じ。

「昨日無理させてしまったんじゃないかと思ってな。」

そう続ける時の表情も変わらない。
ばかりが、かぁ・・・と顔を赤らめる。

「だ、大丈夫、です・・・。」
「そうか。あれくらいはまだにとっては平気ってことか。」
「え、あ、いえ・・・っ・・・」

困って更に頬を染めるに、涼介は「冗談だよ。」とくすくすと笑った。
もう恥ずかしいことなど何もないだろうと思うのに、の反応は全く以前と変わらない。
そんな彼女が可愛くて、自然と口元に笑みが浮かんでしまう。

「バイトは遅くまであるのか?」
「はい・・・夕方の5時まで。」
「夜は峠の方に顔を出すんだろう?」
「その、つもりです。」
「そうか。・・・じゃあ、今日はもう二人では会えないな。」
「え?」
「何だ、会いたかったか?」
「い、いえ・・・。」
「俺と会いたくないのか?」
「えっ、そ・・・そうじゃ、なく・・・」

また冗談に引っ掛かるに、涼介はまたくすくすと笑う。
からかわれていることに気づき、口を尖らせる

「今日はゆっくりと休めよ。」

その唇をついばむようにキスをし、涼介はの髪を愛おしげに撫でた。