deception 15
最初の方はストレートも長いから少し離されるかもしれないと覚悟していたけれど、思ったより差は開かなかった。
4コーナー手前では、もう差はなくなっている。
少しほっとしながら、は前を走る田中の丸いテールランプを見つめる。
何度も後ろを追いかけて走ったことがあるから、そのクセは結構分かっているつもりだ。
ピタリと後ろにつく。
「―――さすがだなぁ。」
その称賛はに対するものとも、涼介に対するものとも受け取れる。
ルームミラーを見るが、そこにはヘッドライトの明かりは映らない。
田中の口調にはまだ僅かに余裕を残しているが、表情は厳しい。
なめてかかっていた訳ではないけれど、思った以上に余裕のない状況に、田中は苦笑せざるを得ない。
やばいな、一個でもミスしたら抜かれるんじゃないか?
そう舌打ちしながらも、ふつふつと湧き上がってくる高揚感は、抑えきれない。
こんな気分は久し振りだな―――昔、涼介とやって以来か?
そんなことを思う。
ヘアピンの入り口ではインに入り込む。
田中はギリギリ進路を断たない程度にラインを開けるが、当然加速する余裕は与えない。
もここで抜けるとは思っていないし、田中もここで抜かれるとも思っていない。
「ホント、生意気になったなぁ。それもあいつ仕込みかよ?」
そのプレッシャーに、田中の余裕がどんどん削られていく。
ブレーキングがシビアになっていく。
安全マージンが削り取られる。
「―――まだの方が後ろです。けど、ピッタリ貼り付いてますよ!」
後半に差し掛かったが状況は変わらない。
けれど無線から聞こえてきたその声は、これから何かが起こる可能性を期待させる。
期待はさせるが―――
「啓介さん、ERってどうなんスか?GT−Rよりは遅いんでしょうけど、ターボっすよね。結構パワーあるじゃないですか?そんなの、抜けるんスかね・・・」
誰もが思っていて口に出来なかったことを、ケンタがポツリと呟くように言う。
そんなケンタをジロリと睨んだ啓介も、実は例外ではない。
どんなにの方がコーナー立ち上がりで勝っていたとしても、アクセルを踏むだけでその遅れはアッサリと取り戻せるだろう。
近くに立っていた松本も口を開かない。
「普通に考えりゃ圧倒的に不利かもしれねぇけど―――ここはもともとあいつのホームコースだぜ?抜かすのは無理だと思ったら最初に引いたりしねぇだろ。」
「そう・・・っすよね。」
「信じるしかねぇよ。」
啓介は自分に言い聞かせるように言う。
二人を信じるしかない。
と、アニキと。
「あー、こんなことなら途中に砂でも撒いときゃよかったッスよ。」
「馬鹿かおまえは。んなことして逆にのほうが滑ったらシャレになんねぇだろうが。」
緊張感があるのかないのか分からないケンタの頭を引っ叩く。
「―――まだ田中が前らしい。」
携帯を切り、史浩は眉根を手で押さえる。
もちろん信じていないわけじゃない。
けれど、やはり前に出たと聞くまでは落ち着くことなどできない。
この隣りに立つ男のようには。
「まあ、そうだろうな。」
「もう中盤は越したよな?一体はどこで抜くつもりなんだ?」
つい声が大きくなってしまう。
冷静さを取り戻そうと、上を向いて深呼吸した。
「この先、抜きやすいポイントが2か所あるのは史浩も知ってるだろう?」
「じゃあそのどちらかか?」
「いや、たぶん違うだろうな。」
「―――涼介、こんな時にからかうのはやめてくれよ。」
珍しく睨んでくる史浩に、涼介は少しからかい過ぎたかと肩を竦めた。
「それ以外に、あいつが好んで抜く場所があるんだ。」
「田中がか?そんな所、あったか?」
「調子に乗ってる奴とバトルするときにな。」
「―――つまり、田中が調子に乗ってるから、同じように負かすってことか?」
「がそこまで考えていたら、大したものだけどな。」
史浩はちょっと嫌そうな顔。
想像力豊かな親友に、涼介は呆れたような感心したような複雑な笑みを向ける。
エキゾースト音が徐々に近づいてくる。
涼介も全く不安がない訳ではない。
飽くまで史浩に話していることは、予想でしかなく、実際今走っているがどんな状況かなんて本人にしか分からないのだから。
まだ―――仕掛けてこないのか。
「抜きやすいポイント」を通過し、田中はミラー越しに全くペースの乱れない後続車両に目をやる。
ブレーキング時、手応えが変化してきたのが分かる。
あからさまに制動距離が伸びてきて、コーナリングも踏ん張りが効かなくなってきた。
タイヤがここまでタレるなんて久し振りだ。
それだけ本気になっていると言うことか。
に本気にさせられているのか。
次のコーナーを越えた後が、最後の直線らしい直線だ。
皆それを知っているから、ここぞとばかりにかっ飛ばす。
そして大概ブレーキングが遅れるのだ。
その後の複合コーナーは出口がきついのに。
田中もバトルをするときは、わざとけしかけるように、ここで車を並べる。
ムキになった相手の車は突っ込みすぎて自爆するのが常だった。
挙動を乱すだけで済めばまだマシな方。
「まさか―――ここで来る気か?」
田中がクリップにつくと、斜め後ろにロードスターのヘッドライト。
立ち上がりで2台が並ぶ。
ここは田中の得意な場所だ。
こんな所で逆にけしかけてきて、引っかかるとでも思うのか?
もうじきゴールだから焦ったか。
それとも―――
「―――ったく、やっぱりお前、生意気だよ。」
アクセルを蹴っ飛ばす。
横に見えていたの顔が、僅かに後ろへ下がった。
立ち上がり、の方がアクセルを開けるタイミングは早いが、やはり加速ではスカイラインに分がある。
この後のブレーキング、いくらタイヤがタレているとは言え、そのタイミングを見誤ったりはしない。
スカイラインのテールランプが光る。
その瞬間、ロードスターが前に出た。
うそだろ?けしかけておいて自爆する気か!?
自分とは全く違うブレーキングポイントに、田中は背筋がゾクリとする。
曲がれるわけがない。
崖に―――落ちる!?
何台もの車がそのガードレールの切れ目から落ちて行くのを見てきた。
も同じ運命を辿るのか?
田中は思わず速度を緩める。
ロードスターのタイヤが激しい悲鳴を上げる。
言わんこっちゃない、そう言いかけたが―――
「―――違う。」
はギリギリでコントロールを失っていなかった。
アウト側、アスファルトすれすれのところをタイヤが切り抜けていく。
ラインがクロスし、クリッピングに付いた時には既にロードスターは出口を向いていて、アクセルを全開にしている。
「―――お前、ドリフトはしたくないって言ってなかったっけ?」
あまりに鮮やかな四輪ドリフト。
たったの一か月で、ここまで走りを変えられるものなのか。
田中はロードスターのテールランプを追う。
けれど、もうこの地点から抜かすことは不可能だった。
最後のコーナーをドリフトで流すの車の後ろ姿を見て、完敗だと改めて思い知った。
「―――が、勝ったってさ。」
「マジすかっ!?」
史浩からの通話を切り、啓介は当たり前のことを伝えるようにバトルの結果を口にしたが、やはり嬉しさは堪え切れない。
隣りで、はぁと安堵のため息を吐く松本の肩を叩き「やったな。」と笑う。
ケンタの声に呼応し、周囲にいたレッドサンズのメンバーは歓声を上げた。
「さっさと下りようぜ。ほんと、ヒヤヒヤさせやがって。俺、あいつの頭一発ぶん殴ってやんなきゃ気が済まねぇ。」
口にする内容は乱暴だが、その表情は対照的に晴れやかな笑顔。
松本もやはり安心したせいか、表情が緩む。
「これで名実ともにあいつもレッドサンズのメンバーになったって感じだよな。しかも一軍確実じゃねぇ?」
「マジっすか!?」
「先越されたなぁ、ケンタ。」
「げぇ!やっぱ応援すんじゃなかった!」
ケンタもその台詞とは裏腹に楽しそうに笑った。
「!ホントにお前は心配させやがって〜!」
車から降りてきたに、史浩は駆け寄りその首に腕を回す。
いつも他の人間がにそんなことをしようものなら胃をキリキリさせるというのに、今日は随分と大胆だ。
史浩の腕の重みに、は改めて自分の勝利を実感する。
顔を赤らめ「すみません・・・」と小さく言うと「何謝ってるんだよ!」と更に強く抱きしめられた。
「史浩、が苦しそうだぞ。」
クスクスと笑いながら言う涼介の言葉に我に返り、史浩は慌ててを解放する。
そのの前に、涼介が立った。
穏やかな笑み。
はその顔を見ることができてよかったと思う。
涼介のことはやっぱりちょっと苦手だけど、この表情は好きだ。
「頑張ったな。」
「あの―――ありがとうございました。」
「勝ったのはお前の実力だよ。」
ぶるぶると首を横に振る。
その様子が子犬か何かのようで、可愛くて史浩でなくてもつい抱きしめたくなる。
しかし多分今そうしようとすれば、きっとこの前のような抱き締め方になってしまうだろう、そう思ってその頬を軽く抓るだけにしておいた。
他のメンバーも続々集まってきて、に声をかける。
赤城に行くようになってから一か月、今日のことばかりでチームのメンバーと大した会話もしていなかったはずなのに、皆笑顔で祝ってくれる。
は頬を赤くし、戸惑いながらもそんな彼らに応えた。
最後に、ひときわ元気な黄色い車がやって来る。
「!てめぇ一発殴らせろ!!」
「はぁっ!?やですよ!!」
車から降りるなり、心配させやがってと拳を振り上げて走り寄ってくる啓介から、は慌てて逃げようとする。
「お前らはガキか!」と叱る史浩の声も二人の耳には届かない。
ガキなのだから仕方がない。
駐車場の端から端まで走り回っていると、は大きな影にぶつかった。
「すみません」と言う隙もなく、その腕を掴まれる。
「、男に真正面からぶつかるなよ。いくらお前でも多少胸があるんだからな。」
耳元で囁かれた意地悪い声の主は―――田中だった。
は更に真っ赤になった顔を上げると、可笑しそうに笑っている田中の顔。
啓介は一変して険しい目をする。
「てめぇ、放せよ。」
「最後にゆっくり話をさせてくれてもいいじゃないか。」
ニヤリと笑ってそう言いながらも、ちゃんとの腕を放す。
けれどはそこから逃げず、じっと田中を見上げた。
「約束は守るよ。もうお前の前には現れない。」
「あの―――俺、このバトルに勝ちたかったのは、レッドサンズをやめたくなかったからです。」
「―――分かってるよ。」
「だから別に、ここが嫌だとかそう言うんじゃなくて―――」
「。」
田中はの言葉を遮るようにその名前を呼ぶ。
ビクリとして黙り、けれどまだ何か言いたげなを見て、呆れたような、けれどどこか愛しそうな目をした。
「俺みたいな奴は、変に期待を持たせるような可能性は残さないで、徹底的にフッてやったほうがいいんだよ。さっきのバトルみたいにさ。」
「俺、そんな―――」
「なあ、一つ聞いていいか?何であそこで抜いたんだ?他にも何箇所か抜きやすいポイントってあるじゃねーか。なのに敢えてあそこを選んだのはどうしてだ?」
「それは―――」
少し迷うように目を伏せたが、すぐにまた顔を上げて田中を見る。
そしてキッパリと言い放つ。
「それは、あそこなら確実に抜けるだろうって―――昨日、思ったからです。」
「昨日?」
「ブレーキングで上手くラインをクロスさせられれば、その後のコーナリングは俺の方が速いだろうって・・・。なるべくピッタリ貼り付いてペース上げさせられれば、たぶん、あのコーナーに行くまでには車重のある田中さんの車ならタイヤがズルズルになるだろうなと思って・・・。」
田中から逸らす気弱そうな視線とその口から出る台詞は全くチグハグだ。
声も口調も違うが、どこぞのリーダーが言いそうな台詞ではないか?
何より腹が立つのが、そのの思惑通りの展開になっていたことだ。
あまりに腹立たしくて、田中は笑うことしかできない。
「お前、ほんっとに生意気。」
「・・・すみません。」
「本当にすまないって思ってないだろ。」
「はい。」
「やっぱり俺も一発殴っていいか?」
咄嗟には自分の頭を両手で守る。
隙ありと、その無防備な脇をくすぐった。
「、絶対ここには戻ってくるなよ。あのムカつく男のチームで、ムカつく位速くなれよ!」
「田中さん・・・。」
「じゃなきゃ、また襲いに行くからな。」
「なっ・・・約束守るって言ったばかりじゃないですか!」
「そうだったか〜?」
口を尖らせる。
こんな馬鹿話をするのも、もう最後なのかと、少し感傷的な気分になる。
結構、本気で気に入ってたんだぜ。
最後の台詞は声に出さず飲み込んだ。