deception 34




バイトを終え、遅い夕飯を取りにがファミレスに行ったら、見たような顔ぶれ。
喫煙席の窓際の席に啓介やケンタ、あとレッドサンズの一軍のメンバーが何人か座っているのが見えた。
冷たいステアリングを握って冷えてしまった手をポケットに突っ込み、そのテーブルへ向かう。
そこへ到達する前にメンバーの一人がを見つけ、「よう」と手を上げた。
が「どうも」と頭を下げるのと同じタイミングで、啓介たち他のメンバーも彼女の方を振り返った。

「おー!久し振りじゃん」
「元気だったかー?」
「全然顔出さねぇじゃねーか」

テーブルにつくと、ケンタを始めメンバーが次々と話し掛ける。
啓介とは昨日彼の自宅で会ったので全然「久し振り」じゃない。
もちろん彼の家に会った、と言っても涼介に呼ばれて行ったら啓介も家にいたと言うだけだが。
啓介は何も言わずニヤニヤと意地悪い笑い。
は敢えてそれを無視し、ケンタたちに口を尖らせて見せる。

「でも俺、赤城には大体毎日行ってますよ」
「げ、マジで?お前、あの雪の中毎日走ってんだ」
「まあ、寒くて一晩中は無理ですけど」

ケンタたちも雪道の走行を練習しないわけではないが、それでもやはり峠に行く回数は冬になると減ってしまう。
今のうちにバイトしてお金を貯めて春に備える―――と言った感じで、やはりオフシーズンなのだろう。
そして暇なときはこうやってファミレスでだべっているのだ。

「でもまあ、今の季節に赤城で会ってもお互い車から下りようとはしねぇよな」
「……そうですね。この前もお互い車に乗ったままで携帯で喋ってましたよね」
「えっ!?そんなことしてたんスか?」

啓介が口元を歪めて言えば、も手にしたメニューに視線を落したまま苦笑する。
啓介とは雪が積もり始めてからも赤城で何度か会っている。
最初は普通に外に出て話をしていたが、足元からじわじわと冷たくなっていき長続きしない。
どちらかの車に乗って話をすればいいと言う啓介の提案に、は何となく素直に頷けない。
それでいつの間にか携帯で話をするようになってしまった。

「でも春から県内遠征が本格的に始まるんですよね。俺たちもちゃんと走っておかないとなぁ」
「俺、今度Tサーキットの走行会行くぜ?」
「走行会かぁ……俺もちょっと探すかー」

他のメンバーが少し真剣な顔つきでそんな話をすると、ケンタが盛大なため息をついた。

「なーんか、色気ないっすよね。もうじきバレンタインっすよ?」
「え?あー……そうだったな」
「何だか、ケンタさんの口からバレンタインなんて聞くと違和感がありますね」
「うるせーぞ、

間髪入れないケンタの台詞は聞こえないふりをして、ウェイトレスと呼ぶ
舌うちするケンタに苦笑いしながらも、他のメンバーは「お前はいいよなぁ」とため息をつく。

「彼女と約束あるんだろ?」
「え?ええ、そりゃまあ……」
「啓介さんは言うまでもないって感じですかね」
「俺?俺は別に何も予定ねぇよ。バイトとかも入れてねぇし、一日家でゴロゴロしてんじゃねー?」
「えっ、意外ですね」
「ああそっか。変に外に出たりしたら、女の子に追いかけられちまいますもんね」
「……そんなこともねぇけどさ」

ちょっと不機嫌そうな顔になる啓介を横目で見ながら、はお冷をごくごくと飲む。
啓介や涼介には峠でも女の子の追っかけがいる。
最初は峠とか走り屋自体に興味があって来ているのかと思っていたも、流石に今ではその彼女たちの大半が二人目当てだと言うことは知っている。
涼介に直接話しかけて来る女の子は今まで見たことがないが、啓介には話しかけたりプレゼントを渡そうとしたりする女の子は何度も見かけたことがある。
とは言え、まともに相手をしているところは見たことがないが。
あの様子なら、バレンタインがどんなことになるのか、容易に想像が付く。

はどうなんだよ?」
「―――え?」

そんなことを考えていると、急にケンタに話を振られ、素っ頓狂な声を出してしまった。
何となくチラリと啓介の方を見ると何やら意地悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。

「お前に彼女が出来たって話は聞いたことねぇけど、予定とか入ったりしてんのかよ?」
「え、えーと……いえ……」
「うわ、寂しいヤツ!そろそろ彼女作れよ!」
「……余計なお世話です」

二人のやり取りに、他の人間は苦笑を禁じ得ない。
恐らくをまだ男だと思っているのは、レッドサンズの一軍ではケンタだけだろう。
何かおかしいと疑問を抱きながらも、どうしても「女かもしれない」という発想までは辿りつけないらしい。

「お前、今までに最高でチョコいくつ貰ったよ?」と聞いて来るケンタに、
「そんなの、貰ったことないです」と冷たく返す
それはそうだろうな、と周りは心の中で頷く。

「でも、何、お前予定は入れてねーの?」

煙草を灰皿に押しつけながら、啓介が会話に入り込んできた。
相変わらず意地の悪そうな笑みを浮かべたまま。
そんな彼を睨むように見ながら「……まだ」とボソリと答える

「へーえ、そりゃ気の毒」

その「気の毒」な対象となっているのは自身ではない。
それに唯一気づいている本人は、そりゃ分かってるけど……と心の中で呟いた。

もともと会う約束は涼介の方から連絡してくることが多い。
最近はだいぶ素直にの方から「会いたい」と連絡するようになってきたけれど、こんなイベントになるとどうしても尻ごみしてしまう。
それで誕生日もギリギリにしか言えなくて、親友にも後々まで責められたのだが。
今回も早く言え早く言えと彼女からせっつかれているのに、なかなか言い出せないでいる。
そして涼介の方からもその話題が出てこない。

タイミングよくと言うべきか、運ばれてきた料理を無心に食べ始める
そこに客の来店を知らせるベルの音。
は入口に背を向けて座っていたので誰が入って来たのかすぐには分からなかったが、向かいに座っていた啓介のニヤリとした笑い顔に嫌な予感がした。
そしてその予感は的中する。

「何だ、大勢集まって」

最初に聞こえてきたのは史浩の声。
見上げれば彼と一緒に視界に入って来たのは―――やはり、涼介。
思わず口の中に入っていたご飯を喉に詰まらせそうになり、慌てて水を飲んだ。

「ちわーす」
「こんなに集まるなんて久しぶりですね」
「お前たちも暇だぁ」

呆れるように言う史浩。
そしてその言葉に笑いながら隣りの空いているテーブルにつく涼介。

「お、は今頃飯か?」
「あー……はい、さっきまでバイトだったんで」
「そっか。お疲れさん」
「こう言うときに一緒に飯食ってくれる女とかいねーのかよ」

煙草に火をつけながら憎らしげに吐き出されたケンタの台詞に、思わず史浩は向かいの涼介を見てしまう。
そして「どうかしたか?」と言わんばかりに首を傾げて白々しい表情をする涼介から、慌てて視線を逸らした。
ほんと史浩って学習しねぇ。
そんな風に苦々しい気分で啓介は史浩を見る。

「しつこいですよ、ケンタさん。自分が彼女持ちだからってそんな話題ばっかり振ってこないで下さい」

言われた本人のは、動じることなく不機嫌そうな声。

「ひがむな、ひがむな」
「幸せの押し売りですね」
「何だ、はさっきからケンタに苛められてるのか?」

意外にも二人の会話の間に入って来たのは涼介だった。
運ばれてきたコーヒーを優雅に飲みながら、微笑を浮かべてを見る。
その涼介の表情が、斜め前にいる啓介のあからさまな意地悪い笑みよりも怖く感じるのはなぜだろうか。
は嫌な予感がしながらも、「いえ……そう言うわけでもないんですけど……」とモソモソと答える。

「バレンタインが近いのに、彼女もいねーのかってさー」
「彼女?」
「そうだよ。カノジョ」
「あ、ああ、そっか。そうだよな!」

引き続き学習をしない史浩。
啓介の言葉に一瞬キョトンとしたが、が「男」だということを漸く思い出してうんうんと頷く。
しかしこの史浩と比較的一緒にいることが多いのに、まだ気づかないケンタも相当な鈍感である。

「そう言えば、アニキはバレンタインは予定入ってんの?」

聞くまでもない質問。
すっとぼけてそんなことを聞く啓介を睨むだが、啓介の方は敢えてその視線には気づかないふり。
目を逸らす弟に対して、兄の方は逆にを見てクスリと笑う。

「生憎、何も入ってないんだ」
「えーっ!?涼介さんもですか?」
「ああ」
「でも誘われたりしないんすか?」
「今のところ全部断ってるんでね」

そう言って、またをチラリと見てニッコリ。
何だかいたたまれない。
の、スプーンを口に運ぶ手がペースダウンしてきた。

「全部断ってんですか。うわ、もったいない……」
「へー。じゃあ誘って欲しい本命がいるってわけ?」

にやり。
の方は見ずに飽くまで涼介の方だけを見て話す啓介。
ホントに性格悪い。
味のよく分からなくなったカレーを何とか飲み込む
そしてその問いに微笑いながら答える涼介の性格も相当だ。

「残念ながら、まだ誘えてもらえてなくて、ね」
「えっ!?涼介さん、彼女いるんすか!?」
「てっきり今はフリーなのかと思ってましたよ!」

涼介の台詞に一気にざわめきだすメンバーたち。

「しかし、どうも素っ気なくて」
「へー!涼介さんに対してそんな態度取れるなんてすごいっすね!」
「やっぱり大人の女の人なんですか?」
「いいなー、年上かー」

好き勝手想像をし始めるメンバーたちに、涼介は肯定も否定もせず黙ってコーヒーを飲む。
もしかして、誘ってないのを怒っている……のだろうか?
そんな問いに辿り着いたは、スプーンを置いて水を飲み干す。
別に素っ気なくしているつもりなど彼女には毛頭ない。
それは涼介にも分かっている。
けれど、分かってはいても、たまには不満を言いたくなるものだ。

「どうしたんだ、史浩。顔色が悪いぜ?」

しかしどうやらよりもその涼介の意地悪に耐えきれなかった人物がいた。
気がつけば史浩が胃のあたりを押さえて顔を顰めている。

「もしかして史浩さん、涼介さんの彼女って知ってるんですか?」
「え、いや……」
「どんな人なんスか!?教えて下さいよー」
「いや、その……」

更に顰め面になる史浩。
を苛めるつもりが、親友に与えるダメージの方が大きくなってしまったようだ。
悪いことをしてしまったな。
胃をキリキリさせる史浩を見てそんなことを思いながらも、何となく笑いが込み上げてしまうのはなぜだろうか。

「啓介さんも知ってるんスか?」
「さあな」

身を乗り出して来るケンタに、啓介はしれっとそんな返事をし、煙草の煙をふうと吹き出す。
史浩と立場はそれほど変わらないはずなのに、この態度の違いは何なのだろうか。
は膝に手を置き、深いため息。

「まさか、も知ってんのか?」
「知りません」

今度は訝しげに聞いて来るケンタに、は即答する。
こう言うのは勢いが必要だ。
もともとそんなに嘘が得意な方ではないのだから。
そして逃げるように席を立つ。

「あれ、何だよ。帰んのか?」

啓介が新しい煙草を取り出して、トントンと机で叩きながら、にやにや笑い。
この人は―――いつか絶対仕返ししてやる。
そんなことを心に固く誓いながら、は「便所です!」と恨めしげに睨んだ。
大股でトイレの方へ去って行く彼女を眺め、啓介はククと喉の奥で笑い、煙草に火を付ける。

「大人の女ねぇ。どうなんだよ、史浩?」
「……俺に聞くな、啓介」

史浩の胃痛に、啓介が追い打ちをかける。



男子トイレの個室に入り、は解放されたとばかりに安堵のため息をつく。
いや、実際には解放などされていないし、こんな状況を作り出したのも元はと言えば自分がはっきりしないせいだ。
ポケットに入れていた携帯が、ブルブルと震える。
届いたメールを開封してみれば、涼介からの短い文章。
大丈夫か?て、誰が大丈夫じゃない状態にしたと思っているんだろう。
はその小さなディスプレイに向かって口を尖らせた。

大丈夫じゃないです、そう返そうと思ったけれど途中でその手が止まる。
そして薄暗い天井を見上げ、はぁ、と息をつき、便座に座りこんだ。



遅いな。大丈夫かな?」

暫くして史浩がふと思い出したように、そう言って通路の方に目を向ける。
涼介たちのやり取りに戻りづらくなっているのかもしれない。

「ちょっと様子を見て来ようか」

立ちあがりかけた史浩に向かって啓介の暢気な声。

「大丈夫だろー?ちょっとメシ食い過ぎて腹でも下してんのかもな」
「……それは全然大丈夫じゃないじゃないか」

史浩は呆れ顔をしながらも、とりあえず座りなおす。
すると、そこにメールの着信を知らせる音。
テーブルの上に置いていた涼介の携帯だ。
手にしていたコーヒーカップをテーブルに戻し、代わりにその携帯を手に取る。
メールを開いた後にふと見せた表情が、誰からのものであるかを教える。

メールを打てるんなら大丈夫なんだろう。
史浩はふぅと息をつき、コーヒーを飲んだ。
涼介も携帯をパタリと閉じ、カップを取る。

「―――ようやく誘いが来た」
「……そうか。よかったな」

半ばあの状況では脅迫に近いんじゃないだろうか。
そんな考えが史浩の頭に浮かんだが、涼介の落ち着いた顔を見ると、口に出す気にはならなかった。

「へーっ!すごいタイミングっすね!俺たちがそんな話してる時にメールが来るなんて」
「そうだな」

疑うことなく本気で感心するケンタに、涼介はふっと笑って答える。
しかしその涼介の表情に、他のメンバーの中には「まさか……」と疑問が膨らみ出した。
彼らはチラッと啓介の方を見たが、啓介は「俺は何も知らないぜ?」とでも言った感じで視線を逸らし、煙草の煙を吐き出すだけ。
次に史浩の方を見ると、彼は慌てた様子でウェイトレスを呼び、コーヒーのお代わりを頼んだ。
涼介本人に聞くことは出来ない。
第一、ケンタはまだ彼女のことを「男」だと思っているのだから。



暫くして、気分を落ち着けてからがテーブルに戻ろうとすると、皆はもう帰ってしまった後だった。
残っていたのは涼介だけ。
そんなに長い時間トイレに籠ってしまってたんだろうか。
反省しつつ席に戻る。

「―――皆、帰ったんですか?」
「ああ」

正確には皆早く帰るようにと、涼介がやんわりと促したと言った感じだが。
しかしそれは口に出さず、向かいに座ったを見て微笑う。

「飯を食うなら付き合うのに。連絡しろよ」
「え……と、でも、もう遅かったし。昨日も会ったんで……」
「お前とは連日で会っちゃいけないのか?」
「そ、そうじゃないですけど……」

もごもごと口籠る彼女に、思わず涼介はクスクスと声に出して笑ってしまう。
きっと忙しい自分の負担になりたくないと言う配慮なのだろう。
分かってはいるが、つい、苛めたくなる。

「―――で、今日はどうする?」
「え、今日……ですか?でも、今日はもうちょっとで終わっちゃうし……」
「そう言うボケはあまり好きじゃないな」
「いえ、別に……ボケてるつもりはないんですけど」
「で、どうする?」

クスリと笑って、頬杖突いて。
この顔が彼女にどんな答えを求めているかなんて一目瞭然だ。
バレンタインの予定はさっき思い切ってメールで聞いたけど、今日はそれだけでは許してもらえないのか。
小さく唸った後、はコッソリ深呼吸。

「……涼介さんは、これから空いてるんですか?」
「ああ、空いてるぜ」
「じゃあ……あの、うちに、来ませんか?」

窓ガラスを意味もなく睨むの顔は、うっすらと赤い。
もう付き合い始めてそれなりに時間が経つのに、たったこれだけの台詞を言うのにも緊張する。
いつか、もっとスマートに言える時が来るんだろうか?
早くその時が来てほしいと願う
もっと彼女から誘って欲しいと思う反面、こんな反応を見せる彼女が、あまり変わって欲しくないと願ってしまう涼介。

彼女の頬をサラリと撫で、テーブルの上の携帯と車の鍵を手に取り立ちあがる。
あと、皆がちゃっかり残して行った伝票も。

「じゃあ、行こうか」
「はい」

もコクリと頷いて立ち上がり、涼介の後を追った。