deception 31




試験の後、涼介は飲みの誘いを断り早々に大学を後にした。
同じグループの女たちはなかなか諦めずに何度も誘ったが、それも綺麗な笑みでかわす。
駐車場への道のりがいつもより長く感じて、自然と歩を進めるペースが速くなる。

用事が済んだから今から向かう。
そんな短いメールに、からも「待ってます」とだけシンプルな返事。
薄暗がりの中、緩む口元を隠そうとせず携帯をパタリと閉じた。




夕飯を作り終え、テレビのスイッチを入れる。
もともとはあまりテレビを好んで見る方ではないけれど、今日は特に頭の中に入ってこない。
パラパラと近くにあった雑誌をめくったけれど、やはり目が文字の上を滑るだけ。
背にしていたベッドに凭れかかり、その上に腕を投げ出して天井を仰ぐ。
何でこんなに落ち着かないのだろう。
頭だけ起こしてテーブルの上に並べられた料理を見る。
色々悩んで、結局作りなれた、普通の料理にしてしまった。
もっと見栄えのするものを作った方が良かっただろうか。

そう言えば涼介さんの好きなものとか嫌いなものって聞いたことがなかったな。
啓介さんの嫌いなものは沢山あるから知ってるけど―――

ぐるりと体の向きを変えて、ベッドに頬杖をつく
目を瞑り、うとうとしかけた時にだんだん近づいて来る車の音に、バッと飛び起きた。

チャイムが鳴る前に玄関のドアから顔を出すと、涼介が階段を上ってくるのが見えた。
目があっては小さく頭を下げる。
こうやって涼介が来るのを家で待つという経験は初めてで、何となくどんな顔をして迎えればいいのか分からない。
もう付き合い始めて何ヶ月か経つが、今だにこうやって自分のマンションの廊下を歩く涼介の姿を見るというのは、変な感じだった。

「遅くなって悪かったな。」

部屋に入った涼介がそう言いながら、手に二つ持っていた紙袋のうち大きな方をに渡す。
ずしりと重くて中を覗くと、お酒の瓶らしく包みが二つ。
その間に涼介は小ぶりな白い紙袋から小さなブーケを取り出した。
に驚く隙も与えず、それを差し出す。

「昨日の今日でちゃんとしたプレゼントを買えなかったから。今度一緒に買いに行こう。」

照れる様子もなく、ニッコリと微笑む涼介。
こう言う花を人にあげることに慣れているのだろうか。
余計な考えが、素直に喜ぶことを妨げる。
「ありがとうございます。」と言った声は、やたらと無愛想になってしまった。

「―――あまり好きじゃなかったか?」
「いっいえ!そんなことないです!嬉しいですっ!」
「何せ時間がなかったから、いつもお世話になってる店で、お任せで作ってもらってしまったんだ。」
「お世話になってる花屋さんなんて、あるんですか?」
「ああ、自宅とか病院の方にいつも花を届けてもらっている所があるんだ。」

お前のイメージは白か青だと思ったから。
そう言う涼介の前で、くんくんと花の香りをかぐ。
白基調の花々に、淡い青のリボン。
何だかウェディングのブーケみたいだな。
ふとそんなことを考えてしまった自分に赤面した。

「あっ、今ご飯準備しますから。」

誤魔化すようには慌てて冷蔵庫を開け、サラダを取り出す。
その後ろで涼介はもう一方の袋から包みを取り出し、一緒に入っていた白い箱からワイングラスを取り出した。

「よくうちにワイングラスがないって分かりましたね。」
「帰りに酔った酒屋でサービスで貰ったものだから、色気はないんだけどね。」

二人で苦笑い。

「ワインでよかったかな。」
「あ、はい。お酒はどれもよく分からないし・・・。涼介さんはワインって詳しいんですか?」
「いや、どちらかと言うと俺は日本酒や焼酎の方をよく飲むんだ。さすがに女の子の誕生日に一升瓶を持って行くのもなんだろうと思って止めておいた。」
「ふーん、なんか、結構ワインについての薀蓄とか語りそうなのに。」
「ああ、何だ、そう言う話が知りたいのか?それならいくらでも話してやるぜ?」

わざと意地悪そうな笑みを作りながら、今度はブーケの入っていた袋からケーキの箱らしきものを取り出す。

「ケーキも買って来てくれたんですか!?」
「お前は食べられるだろう?」

7時までテストがあって、それからこの短時間の間にこんなに色々用意してくれたのか。
は驚くやら嬉しいやら。

「涼介さんって案外マメなんですね。」
「案外ってどういうことだ。」
「い、いえ、深い意味は・・・。」
「お前の場合、マメにしないと誕生日でも何でも知らないうちに過ぎてしまうからな。」
「・・・涼介さんって、根に持つタイプですよね。」
「それには『案外』って付かないのはどうしてだ?」

優しく問いかけるように首を傾げる涼介は、に手を伸ばす。
身の危険を感じたはすかさず逃げようとしたけれど一瞬遅く、その腕を掴まれてグイと引き寄せられた。
後ろから抱きすくめられ、は暴れながら青ざめる。

「わーっ!放してくださいっ!!」
「もうちょっと可愛らしい抵抗の仕方をしたらどうだ。」

こう言うときに涼介が取る行動は分かっている。
口の端を上げて、嬉しそうな顔をして―――

「ぎゃーっっ!!」
「大げさだなは。そんな大声出したらお隣に迷惑だろう?」
「やっ、やめ・・・っ」

容赦ない涼介の手に、声どころか息をすることも出来ず、顔を真っ赤にする
涼介の膝の上でのたうちまわるが、それでも涼介はくすぐるのを止めようとしない。
涙を流しながら抵抗する元気もなくグッタリしてから、ようやく解放された。

「本当にはくすぐったがりだよな。」

可笑しそうに笑いながら、自分はまるで何もなかったかのようにケーキを箱から取り出している。
は床に転がりながらその様子を見上げながらも、息が上がってなかなか声が出ない。

「・・・涼介さんは不感症で仕返しし甲斐がないですよね。」
「負けん気が過ぎると自分の首を絞めるよ?」

再び床を転げ回る
その様子を見届けた後、涼介はワインのコルク栓を軽快な音と共に開ける。
最近の涼介はをくすぐるのがお気に入りだった。
その見事な彼女の反応に感動すら覚える。

「ほら、せっかくの作ってくれた料理、冷めないうちに食おうぜ。」
「・・・なかなか始められないのは誰のせいだと思っているんですか。」
「ん?が悪いんだろう?」

しれっとした顔をする涼介に何も言う気が起きず、は大人しくワイングラスを手に取った。
顔に近づけるとフルーツのいい香り。

「2回目だけど、二十歳の誕生日おめでとう、。」
「・・・ありがとうございます。」

乾杯をしてグラスを傾ける。口の中いっぱいにワインの香りが広がった。
甘くて飲みやすい。
うっかり飲み過ぎてしまいそうだ、そんなことを思いながら二口三口と進めてしまう。
それが涼介の思惑だったりするのだが、企んだ本人は素知らぬ顔で、空になった自分のグラスにワインを注ぐ。
料理の皿が綺麗になる頃には1本空けていた。

「涼介さんもケーキ食べますよね?」

小さなショートケーキを前に、大げさな位首を横に傾けて涼介を見るの顔はほんのり赤く、目は心なしかトロンとしているように見える。
空いた食器をキッチンに下げに行くまでは殆ど変わる様子がなくて「強いんだな」と感心しつつ内心ガッカリしていた涼介は、グラスを口に運ぶ手が止まる。
フォークを握る手は何故かグーの形。
「俺はいいよ」と断ると、「ええっ、何でですかぁ!?」とやや間延びした声を出し頬を膨らませた。

「俺は甘いものが駄目だって知ってるだろう?」
「でも私の誕生日ですよ?一口くらいいいじゃないですか。」

涼介ににじり寄り、ジトリと責めるように見つめてくるの潤んだ目。
酔うとわざとらしい位に甘えてくる女もいるけれど、彼女の場合、本当に涼介が食べないと言っているのを怒っているようだ。
以前、飲みの席で松本が言っていた言葉を思い出す。
ガキになるってこう言うことか?
涼介さんが食べないなら私も食べない!
プイとそっぽを向いてフォークを置くを見て、なるほど・・・などと呟きながら涼介はため息をつく。

、そんなわがまま言わないで。」

頬に触れようとしたが避けられる。
やや強引に肩を抱き寄せよると、涼介の腕の中で「やだ!」と暴れ出した。

「―――わがままを言う子は嫌いだよ?」

まるで子供に優しく言って聞かせるように耳元で囁くと、ピタリと動きが止まる。
耳たぶに唇で触れると少しだけ肩が揺れた。
の腰に両手を巻きつけてぐいと自分の方に引き寄せる。

「・・・食べてくれない涼介さんもキライです。」

身を縮込ませ、弱々しい声。
お酒を飲むといつもこんな風になるのだろうか?
複雑な気分で彼女の髪に唇を落とす。

「本当にキライ?」
「・・・・・・。」
「じゃあ、が食べさせてくれたら食べるよ。」

普段のならこんな提案に乗って来たりはしないだろう。
完全に酔ってるんだな。
おずおずと振り向く彼女の顔を見ながら、いっそのことこの状況を愉しむしかないだろうと思い直し浮かべた笑み。
それこそいつものなら、この表情を見たら危険を察知して逃げていたかもしれない。
けれど、頷いた涼介を見たは嬉しそうに再びフォークを持ち、それにケーキを一欠片乗せて涼介の前に差し出す。
涼介はそのフォークを持った手を包むように握ってまた微笑んだ。

が食べて?」

その言葉が理解できず目を大きく開いて瞬きする。
でも頭の回っていない彼女は、促されるままにそのフォークを自分の口へと運んだ。
もぐもぐと口を動かすからいつの間にかフォークを奪っている涼介。
の前にケーキを差し出すけれど、さすがに二口目はスンナリと口を開かない。

「ずるいです、食べてくれるって言ったのに・・・」
「これから食べるよ。」

納得いかないというような表情をしながらも、少し大きめの一切れを口に入れた。

「おいしい?」

の口の端についた生クリームを指ですくい、舌で舐める。
そのゆっくりな動きが何かを煽るようで、頷くことを忘れて見惚れる
そんな彼女の顎を掴むと、僅かに口が開いた。

「・・・っ。」

涼介の口の中にも生クリームの甘さと、苺の香りが広がる。
いつもなら眉をひそめてしまうその味も、甘美な極上の酒のように感じてしまうのだから重症だな・・・と心の中で苦笑しながらも貪る舌の動きを止められない。
酔いのせいか、互いの舌は溶けそうなほど熱い。
小さく鳴ったの喉の音に、少しだけ唇を離して「やっぱりちょっと甘いかな」と低い声で言うけれど、全身が痺れたような感覚に襲われたにはその声が届かない。
口直しにとばかりにワイングラスを引き寄せる。

も飲む?」

答えを待たず涼介は一口、口に含んでに口づけた。
苦しげに漏れた声と表情は、ワインの苦みの為なのか口を塞がれたことによる息苦しさの為なのか分からないが、涼介は構わず塞いだまま歯列を舌でなぞる。
ワインを飲み下した後もなかなか解放せずに彼女の口内を堪能し、ようやく解放した時には息が上がっていて、涼介にしがみつく手にも力が入らない状態になってしまっていた。

「・・・こんな時も、意地悪・・・なんですね。」
「こう言うのは嫌いか?」
「・・・キライ、です。」
「本当に?」

つい数分前にも言った同じ言葉。
目を細めて言うその台詞に、は涼介のシャツを掴んだまま黙って俯く。
この人に本気で抵抗することなんて出来はしないのだろう。
そしてそれを涼介も分かっているのだ。
悔しい。
ため息をつく。
けれどやはりもう「キライ」と言えない。
くすくすと小さく笑う涼介は、ワインのボトルも引き寄せた。

「あと少しだから飲んじゃおうか。」
「じ、自分で飲めるっ。」

は体を起こして慌ててグラスを手に取ろうと思ったけれど、それよりも涼介が腕を掴んでその動きを封じる方が速かった。

「―――、外では絶対酒を飲むなよ?」
「な・・・なんで?」

その問いには答えず、涼介はグラスに残っていたワインを呷った。